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三十九本目:八咲 沙耶の真実

 道場の空気を裂帛の気勢で吹き飛ばす。立ち上がると同時に、俺たちは前へ跳んだ。


 剣が一点で交錯する。

 道場の床に衝撃が伝わる。一瞬地震が起きたのではないかと錯覚する。


 先は俺が取った。体格の差だ。半歩前へ出なければ届かない八咲より俺の方が間合いは広い。


 しかし、『心眼』に長く触れているコイツの剣捌きは体格の不利など簡単に覆す。よって互角。剣は互いの頭蓋を割ることはなく、鎬を削り合って相殺となる。


 しかし、桜先生との勝負の時にも思ったが、コイツの真の強さはこういう勢いで圧倒するような剣風にあるのではない。


 瞬きよりも迅く、衝突など許さずに斬って落とす、侍のような戦法にこそ宿るはず。ならば何故、得意とする戦法から外れたことをするのか。


 今なら理解できる。手に取るように八咲の魂が伝わってくる。


「ふ、ふふ、は」

「八咲、やっぱおまえ」


 おまえ、感情が昂って仕方がないんだろう。いくら八咲や俺が達観していようが、所詮は十五、六のガキに過ぎない。


 武道をやっているからと言って、感情を完全に制御できるかって言われたら、自信がない。ましてや、真に求めた理解者が目の前にいるのだ。これでお利口さんに剣道をしろという方が無理な話だ。


 しかし、それにしても。八咲おまえ、こんなにもテンション上がってたんだな。普段のクールな感じとは全然違う。今まで気付いてやれなくてすまなかった。


 溢れる激情が全身を燃焼させる。行くぞ。瞬きでもしてみろ。それがおまえの散り際だ。


「八咲、沙耶ァアアアアアッッ!」


 鎌鼬じみた連撃で鉄壁の牙城を崩しにかかる。迸る剣戟は百花繚乱。一つでも受け損ねれば即座に致命傷となる連打を繰り出す。


 だが、斬れない。おまえは一太刀すら許さず、俺の正面に立ち続ける。


 おまえは言ったな。殺し合いの螺旋。その果てには何も無い。その通りだよ畜生。おまえの言う通りだ。あさましい考えだったと今なら分かる。おまえを理解したいという俺の望みは、孤独になってしまったら永遠に手に入らないというのに。


 半年前、俺が負けるのは必然だった。何も分かってない俺が八咲に勝てるはずがない。


 背中が見えないくらいまで遠ざかっていた。

 でも、今なら。俺はおまえの目が見える。もう独りにはさせないから。


「ッシャァアアアアッッ!」


 十重二十重の剣戟の末、腰で八咲を弾いて間合いを広げる。立ち塞がる竹刀を邪魔だと言わんばかりに払いのける。空いた面に打突を叩き込む。しかし、八咲が首を捻って躱した。引き面を打った形──竹刀を突き上げる──で残心を取り、呼吸を止めて吶喊してくる八咲を睨み付ける。


 眼光が先んじて火花を散らし、続いて間合いを示す領域が互いの縄張りを侵食する。


「セェアッッ!」


 八咲もそれが分かっているから、俺の微細な体重移動を見切って打突を繰り出す。俺の一秒先の未来を正確に感知し、小手が移動する座標を射抜いてくる。


 こちらの動きを読んでから攻撃が飛んでくるため、避けづらいことこの上ない。


 地雷原の上を歩んでいる気分だ。一瞬でも判断が遅れたり、間違えたりしたら首が飛ぶ。


 されど上等。おまえと渡り合うにはこれほどの高次元な領域で舞わなければならないんだ。こんなところで気後れしてたまるか。根性見せてやる。


 迫り来る打突の波を捌き切り、網の目を通すように剣先を滑らせる。


 小手に当たった。だけど拳だ。竹刀の軌道が僅かに描いた残心とズレる。


「メェェエラァアアッ!」


 ほんの少しでも隙を見せたら八咲は精密機械のように打ち抜いてくる。コイツには打ち損じという概念はないのか。技術の差を痛感する。


 姿勢を崩すことを覚悟の上で、首を捻って肩で受ける。痺れるような衝撃が俺を蝕む。


 それだけではない、八咲がさらに怒涛の連打を繰り出してくる。目に火花が散る。呼吸すら許されない。脳の神経が焼け焦げて、黒煙を噴きそうだ。喘息持ちのコイツがここまで無酸素運動を続けるなんて。


「でも、よォッ!」


 まだ、軽い。疾風のような打突なら、いくらおまえでもあの人には勝てねぇだろ。


 圧力は桜先生の方がよっぽど恐ろしかったぞ。

 微かに呼吸が入った。息を吸った瞬間は攻撃できまい。居付いた瞬間を斬り落とす。


「むッ!」


 八咲がこの試合で始めて後手に回った。ここだ。逃がすな。ここで風穴をブチ開けろ。


 振りかぶった、瞬間だった。


「ヒュー……ッ、ヒュ、ハァッ」


 八咲の呼吸が甲高い笛のような音に変わった。発作だ。体に異変が起き始めている。


 しかし、それでも、八咲の目から、漆黒の炎が消えることはない。


 八咲の構えが変わる。来やがった。『鬼神』すらも打倒した、無構え。


 究極の脱力により、体を流体に変える。そして放たれるは不可避の一撃。


 侍のように、刹那に斬り落とすという宣言だ。乾坤一擲──否、乾坤一斬の覚悟。


 そこで気付いた。どうして八咲はこの構えを最初から使わないのか。


 発作だ。それが引き金になる。あと数度しか打突を繰り出せない背水の陣。火事場の馬鹿力ならぬ集中力だ。後がないが故に極限まで集中を研ぎ澄ませることができるんだ。


 人生における僅か一瞬。瞬きすれば見逃してしまうような短い時間に魂を燃やす信念。何を引き換えにしても、その瞬間だけは譲れないと咆哮を上げていて。


「そうか、おまえも結局、剣を捨てられなかったんだな」


 生を諦めても剣を諦められなかった。だからコイツは父親を斬れたんだ。


 ああ、クソッたれ。強いワケだ。『要』に立ち向かい、死を乗り越え、ひたすら魂の中で剣を鍛え続けた。無駄を削ぎ落として、余分を排除して、どこまでも研ぎ澄ました。一切の穢れすら斬り落とす純鉄で出来た魂こそが。


「やっぱおまえ、すげぇわ」


 八咲 沙耶という剣士の真実だ。


 左胴が爆発した。俺の打突を完璧なタイミングで抜き、これ以上ない逆胴を炸裂させやがった。内臓が麻痺する。呼吸が喉から押し上げられる。鈍い痛みに動きが緩慢になる。


 胴アリ。上がる白旗。八咲の色。同時に会場が怒涛の歓声に包まれる。



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