目次
ブックマーク
応援する
いいね!
コメント
シェア
通報

三十八本目:二人だけの世界

 いくつもの試合によって醸し出された熱気が肌に貼り付く中、ソイツの気配だけは嫌に強く感じ取れた。扉を開けた脇。気を付けなければ見逃してしまいそうな立ち位置。そこの壁に八咲は腕を組んで背を預けていた。


「やぁ、来たな」

「おぉ、そっちも順当そうだな。津村のばあちゃん来てるぞ」

「知っている。そもそも私が招いたのだ。先ほど挨拶をしてきたよ」


 そうだったのか。


「発作は大丈夫そうか?」

「当然だ。先ほど霧崎さんと話していたようだが。まさかもう試合を終えたつもりか?」


 少し、声のトーンが低くなった。下の階にいたのに気付いていたのか。


「別に気ぃ抜いてねぇよ。むしろ友達に見られてんだ。気合い入ったぜ」

「友、達、ねぇ」


 八咲が含んだ笑みを浮かべた。なんだ? なんか意味ありげだな。


「まぁいい。それより歩きながらでいい。少し付き合い給え」


 スポドリを口に含みながら八咲の歩くペースに合わせる。


「『我々はいかに剣を振らずにいられるか、そのために剣を振っている』」


 俺が目を向ければ、八咲が首肯を返す。


「釣師範が言っていた、『極』の文言。今の君ならこの言葉の意味が分かるんじゃないか?」


「そう、だな。合ってんのか分かんねぇけど、見切ることを突き詰めれば、相手の魂の理解につながる、みたいな。今ならそう思える」


「そうだな、私もそれに近い答えだ。『極』の正体は理解のカタチだ。『極』の果てが生み出すのは、鞘から剣を抜き放つ前に魂で対話し、殺し合いそのものが発生しない世界だ。つまり、剣を極めると剣は不要になる。それが『極』なのだ」


 なんて逆転の発想。こんな天地がひっくり返るような道など、なるほど生半可な苦悩じゃ辿り着けやしない。ましてや、『要』に染まり切らないような人間では。


「しかし、以前も言ったが、私自身その領域に至っていない。東宮の時も、黒神 桜の時も、結局力技で解決しようとしてしまった。まだ私は釣師範の背を追いかけているのだ」


「そういえば言ってたな、釣師範は戦うまでもなく試合を終えたとか」


「ああ。彼は私を、剣を納める鞘だと言った。理解者を求めてさまよう私は、剣という存在が心を埋めてくれるのを待っているに過ぎない、と」


 コイツは父親に殺されかけ、斬ったことで『要』から解脱した。


 だが、そんな悍ましい過去を持つ存在を理解できる者などいなかった。


「彼によって私は救われた。しかし、彼は程なくして亡くなった。今わの際で私は諦めるなと教えられたよ。きっと私を理解し、共に歩んでくれる、そんな剣が現れると」


 ああ、そうか。

 コイツは。『極』にいながらも、その魂は孤独だったんだ。


「彼は先見の明が冴え渡っている。私を理解してくれる可能性を秘めているのは、私と同じ傷を持つ存在だけ。ずっと、ずっと探していた」


 だから八咲は俺とのつながりを望んだ。そのために、俺を昇華させようと動いたんだ。


 前を行く八咲が、漆黒の髪を靡かせながら振り向いて、




「だから尋ねよう。剣誠──私の剣になってくれるか?」




 満開の笑顔を浮かべてそう言った。


 剣と鞘。

 鞘は剣がなければ意味を持たず、剣は鞘がなければ人を傷付けるだけの兵器と化す。


 俺はずっと抜き身の剣だった。それこそがみんなを守るのにふさわしい姿であると勘違いして、ずっと。


 違ったのだ。必要なのは排斥する強さじゃない。理解し、受け入れる強さ。




「俺なんかでよけりゃ──喜んで」




 だから、俺は八咲の剣になると宣言した。


 脇を通り過ぎ、頭をクシャリと撫でながらそう言った。もう八咲は何も言わなかった。俺も、何も言わなかった。試合場に辿り着いた。


 アナウンスより先に、俺と八咲は分かれていた。舞台に立つ。試合場のすぐ後ろへ着座する。小手を揃え、その上に面。次に手拭いを面に被せ、俺と八咲は姿勢を整えた。そして、礼。ゆっくりと、正座から互いに向かって頭を下げる。三秒ほど、頭を下げたままだった。同時に頭を上げる。完全に揃った動きで手拭いを巻き、面を被る。捻れないように細心の注意を払いながら、面を固定するための紐を手早く結んでいく。小手をはめて、竹刀を握る。右足から膝を立て、次いで左足で完全に立ちきる。


「正面に、礼ッ!」


 主審の合図で、主賓に向けて頭を下げる。その先には桜先生もいた。どこか感慨深そうに目を細めていた。姿勢を戻し、八咲と向き合い、開始線まで足を運ぶ。竹刀を抜いた。蹲踞をした。目が合う。剣を通じて八咲の爛々とした魂が伝わる。いよいよだなと、そう語っていた。


「私たち二人だけの世界だ。至高以外、ありえまい」




 しゃらん、という華美な音がした。




 嗚呼、そうだ。この音。あの日。すれ違った八咲から聞こえた、煌びやかな鉄の音。


 もっと早く気付けばよかった。この音は、八咲の魂に宿るカタチの音だと。


 どこまでも穢れを削ぎ落とした、透き通った剣の音だった。


「俺はおまえを理解したい。そして、共に──」




 がしゃん、という洗練された音がした。




 俺の魂が歓喜していた。俺は俺を理解し、包んでくれる存在と道を歩む。


 俺たちは剣と鞘。斬っても切り離せない、二心同体の存在。


「剣誠くん、八咲さん」


 香織が試合場の外にいる。胸で手を握り、何かに祈るような姿だった。


 おまえもだぞ香織。俺は白線の外側にいるおまえのことも、理解するからな。


「始めッ!」


 さぁ、思う存分、剣の『極』を語り合おう。

 至高にして最高。最高にして最大。因縁深き決勝の幕が、


 咆哮と共に、斬って落とされた。



この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?