大会が始まる。ノンストップで勝ち上がる。全員が俺よりも上級生だったが関係ない。八咲も逆サイドから全くの無傷で勝ち上がっていた。
そして準決勝。俺の眼前には、瞳に怒りと殺意を漲らせた東宮がいた。
俺を倒すと宣言し、その通りに勝ち上がってきたのか。やるな。
蹲踞をし、審判の合図を待っていると、
「よぉ、達桐。よくもまぁ、一年のおまえが勝ち上がれたもんだな」
「こっちのセリフだ。おまえ程度でよくここまで来たな」
ぶっつぶす、という声が聞こえてくる。殺意が剣から滲み出ている。相変わらず不細工だ。向けられるこっちが胸焼けする。
ああ、なるほどな。八咲が言っていたのはこういうことか。
敵意を振り撒く姿。今の東宮はまさに、
「始めッ!」
『要』にこだわっていた俺にそっくりだ。
「ッシャアアアッッ!」
東宮が気勢に殺意を乗せて、俺を圧しようと吼える。会場中を震撼させる叫びに、観客どころか審判までもが微かに怯えていた。
目の前で竹刀を構える剣士が、俺に見えてしょうがない。
いや、俺本人なんだろう、少し前までの。だから、決別の意志を込めてこう言ってやった。
「もうおまえには負ける気しねぇよ」
試合が終わった。
「なんでだ、なんでなんだよ」
面を取って一息入れていると、ソイツは俺のところまで詰め寄ってきた。
「なんで俺は、テメェに勝てねぇんだよッッ!」
東宮が俺の胸倉を掴み、引き寄せる。
視界に無理やり映る顔は、今にも泣きそうなほど歪んでいた。
「努力したのに! 高校剣道で揉まれてきたんだぞッ! それをなんでこの前まで中坊だったテメェに負けるんだよッ! 納得いかねぇよ!」
気持ちは痛いほどよく分かる。八咲に勝てないと散々喚き散らかした俺がそうだったからだ。汚れた鏡を見ている気分だ。だけど、八咲はそんな俺を諭すように導いてくれた。
だからきっと、今度は俺の番なのかもしれない。
「アンタは強いよ」
「アァ?」
「でも、自分とは違う考えも受け入れるようにしないと、いつまでも勝てないままだ」
東宮の瞳孔が小さくなる。俺の胸倉を掴む力が微かに緩んだ。
「必要なのは力だけじゃない。先輩からのアドバイスです。また相手しますよ、部長」
パ、と手を払い、固まったままの東宮に背を向ける。
どんな表情を浮かべているかは、見ないでやるのが情けだろう。
「クソ、クソォ」
悔しさを滲ませた声が、嗚咽交じりに聞こえてきた。
それでも俺は振り向かない。振り向かず、前に進んでいく。
「クソォオオ……ッ!」
「お疲れ、剣誠くん。決勝おめでとう」
会場の外に出る。面を取って汗を拭っていると、後ろから香織が声を掛けてきた。
「おお、香織か。ありがとな。そういやぁ剣道の大会の観戦って初めてだろ? どうだ?」
「んー、今のウチにはよく分かんないけど、とにかく熱気がすごいなぁって」
「ああ、それはあるな。こんな防具なんざ纏ってんだから暑いに決まってんだけど。まだ五月でこの熱気だからな。夏場はマジで地獄だぜ」
うひぇ、と素っ頓狂な悲鳴を上げる香織。
「ウチも、いつか二人みたいに試合できるかな」
「できるさ。初心者だからまだ防具着けて試合とかは早いけどな」
笑いながら香織の方を見る。思い悩んでいるような表情だった。
「あのさ、決勝前にホント悪いんだけど、一つ聞いてもいい?」
どうした、と返してやると、香織は一呼吸だけ間を置いて、
「八咲さんのこと、どう思ってるの?」
「んあ? アイツ?」
なんでそんなことを聞くんだろうかと思ったが、香織の目は真剣だった。
「……絶対に倒さなきゃいけない相手、だけど」
この会場のどこかにいる八咲を探してぐるりと見渡す。しかし、見つけられなかった。
「尊敬してる。アイツは俺よりも先にいた。俺が負けるのも当然だった。だからこそ俺は、アイツと同じ位置に立ち、アイツを理解したい」
超えたい、という言葉よりも、理解を欲す言葉が出てきた。
俺の言葉を聞いて、香織はどこか切なそうに唇を噛み締める。
「ウチは?」
「ん?」
「ウチのことは、理解してくれないの?」
言われてみれば。香織とは小学校からの付き合いだが、知らないことの方が多い気がする。よく朱音の遊び相手になってくれて、朱音が懐いていたことくらいだ。
朱音が懐いてたから、俺も大事にしなきゃな、って思ってた。
守りたいって言っておきながら、その人のことをあまり知らないって、間抜けな話だ。
以前までの俺なら、それでもよかったのかもしれないけれど。
「ウチはさ、達桐くんのこと、友達だと思ってる。八咲さんのことも。そうじゃないならわざわざ休みの日に試合なんて見にこないよ」
そうだったのか。てっきり、剣道を見に来たのかと。
背中がむず痒くなってきた。でも、悪い心地はしなかった。
いじめから助けたことがきっかけで知り合い、朱音の遊び相手になってくれて、ずっと俺みたいな物騒な男の近くにいてくれた。一緒にいることが当たり前みたいになってた。
でも、俺は香織を深く知ろうとしてこなかった。歩み寄ってなかった。香織はこんなにも俺に近付いてくれているというのに。それはちょっと、なぁ、冷たいだろうよ。だから。
「そうだなぁ。俺は香織のことをもっと知りたい。香織のこと、もっと理解したいと思うよ」
試合場の外にいる香織のことも、理解するべきなんだろうな。
「……ッ」
香織の表情が、感動に震えるようにくしゃりと歪んだ。
まるで泣きそうな表情だ。なんでだ? そんな嬉しいかよ。
「うん、うん。ウチも、もっと剣誠くんを知りたい、八咲さんのことも知りたい! 剣道も、もっともっと、知りたい」
ぐす、と鼻を啜りながら口元を押さえ、何度も目を瞬かせる。
香織の感情がよく分からない、が、ゆっくり知っていけばいい。そう思えた。
「よし、それじゃあ行ってくる。八咲倒してくるわ」
「二人とも、無事に帰ってきてね」
香織の目線を背負いながら、俺は必要な道具を持って会場に戻った。