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三十七本目:俺はおまえも

 大会が始まる。ノンストップで勝ち上がる。全員が俺よりも上級生だったが関係ない。八咲も逆サイドから全くの無傷で勝ち上がっていた。


 そして準決勝。俺の眼前には、瞳に怒りと殺意を漲らせた東宮がいた。


 俺を倒すと宣言し、その通りに勝ち上がってきたのか。やるな。


 蹲踞をし、審判の合図を待っていると、


「よぉ、達桐。よくもまぁ、一年のおまえが勝ち上がれたもんだな」

「こっちのセリフだ。おまえ程度でよくここまで来たな」


 ぶっつぶす、という声が聞こえてくる。殺意が剣から滲み出ている。相変わらず不細工だ。向けられるこっちが胸焼けする。


 ああ、なるほどな。八咲が言っていたのはこういうことか。

 敵意を振り撒く姿。今の東宮はまさに、


「始めッ!」


 『要』にこだわっていた俺にそっくりだ。


「ッシャアアアッッ!」


 東宮が気勢に殺意を乗せて、俺を圧しようと吼える。会場中を震撼させる叫びに、観客どころか審判までもが微かに怯えていた。


 目の前で竹刀を構える剣士が、俺に見えてしょうがない。


 いや、俺本人なんだろう、少し前までの。だから、決別の意志を込めてこう言ってやった。


「もうおまえには負ける気しねぇよ」





 試合が終わった。


「なんでだ、なんでなんだよ」


 面を取って一息入れていると、ソイツは俺のところまで詰め寄ってきた。


「なんで俺は、テメェに勝てねぇんだよッッ!」


 東宮が俺の胸倉を掴み、引き寄せる。

 視界に無理やり映る顔は、今にも泣きそうなほど歪んでいた。


「努力したのに! 高校剣道で揉まれてきたんだぞッ! それをなんでこの前まで中坊だったテメェに負けるんだよッ! 納得いかねぇよ!」


 気持ちは痛いほどよく分かる。八咲に勝てないと散々喚き散らかした俺がそうだったからだ。汚れた鏡を見ている気分だ。だけど、八咲はそんな俺を諭すように導いてくれた。


 だからきっと、今度は俺の番なのかもしれない。


「アンタは強いよ」

「アァ?」

「でも、自分とは違う考えも受け入れるようにしないと、いつまでも勝てないままだ」


 東宮の瞳孔が小さくなる。俺の胸倉を掴む力が微かに緩んだ。


「必要なのは力だけじゃない。先輩からのアドバイスです。また相手しますよ、部長」


 パ、と手を払い、固まったままの東宮に背を向ける。

 どんな表情を浮かべているかは、見ないでやるのが情けだろう。


「クソ、クソォ」


 悔しさを滲ませた声が、嗚咽交じりに聞こえてきた。

 それでも俺は振り向かない。振り向かず、前に進んでいく。


「クソォオオ……ッ!」





「お疲れ、剣誠くん。決勝おめでとう」


 会場の外に出る。面を取って汗を拭っていると、後ろから香織が声を掛けてきた。


「おお、香織か。ありがとな。そういやぁ剣道の大会の観戦って初めてだろ? どうだ?」


「んー、今のウチにはよく分かんないけど、とにかく熱気がすごいなぁって」


「ああ、それはあるな。こんな防具なんざ纏ってんだから暑いに決まってんだけど。まだ五月でこの熱気だからな。夏場はマジで地獄だぜ」


 うひぇ、と素っ頓狂な悲鳴を上げる香織。


「ウチも、いつか二人みたいに試合できるかな」

「できるさ。初心者だからまだ防具着けて試合とかは早いけどな」


 笑いながら香織の方を見る。思い悩んでいるような表情だった。


「あのさ、決勝前にホント悪いんだけど、一つ聞いてもいい?」


 どうした、と返してやると、香織は一呼吸だけ間を置いて、


「八咲さんのこと、どう思ってるの?」

「んあ? アイツ?」


 なんでそんなことを聞くんだろうかと思ったが、香織の目は真剣だった。


「……絶対に倒さなきゃいけない相手、だけど」


 この会場のどこかにいる八咲を探してぐるりと見渡す。しかし、見つけられなかった。


「尊敬してる。アイツは俺よりも先にいた。俺が負けるのも当然だった。だからこそ俺は、アイツと同じ位置に立ち、アイツを理解したい」


 超えたい、という言葉よりも、理解を欲す言葉が出てきた。

 俺の言葉を聞いて、香織はどこか切なそうに唇を噛み締める。


「ウチは?」

「ん?」

「ウチのことは、理解してくれないの?」


 言われてみれば。香織とは小学校からの付き合いだが、知らないことの方が多い気がする。よく朱音の遊び相手になってくれて、朱音が懐いていたことくらいだ。


 朱音が懐いてたから、俺も大事にしなきゃな、って思ってた。


 守りたいって言っておきながら、その人のことをあまり知らないって、間抜けな話だ。


 以前までの俺なら、それでもよかったのかもしれないけれど。


「ウチはさ、達桐くんのこと、友達だと思ってる。八咲さんのことも。そうじゃないならわざわざ休みの日に試合なんて見にこないよ」


 そうだったのか。てっきり、剣道を見に来たのかと。

 背中がむず痒くなってきた。でも、悪い心地はしなかった。


 いじめから助けたことがきっかけで知り合い、朱音の遊び相手になってくれて、ずっと俺みたいな物騒な男の近くにいてくれた。一緒にいることが当たり前みたいになってた。


 でも、俺は香織を深く知ろうとしてこなかった。歩み寄ってなかった。香織はこんなにも俺に近付いてくれているというのに。それはちょっと、なぁ、冷たいだろうよ。だから。


「そうだなぁ。俺は香織のことをもっと知りたい。香織のこと、もっと理解したいと思うよ」


 試合場の外にいる香織のことも、理解するべきなんだろうな。


「……ッ」


 香織の表情が、感動に震えるようにくしゃりと歪んだ。

 まるで泣きそうな表情だ。なんでだ? そんな嬉しいかよ。


「うん、うん。ウチも、もっと剣誠くんを知りたい、八咲さんのことも知りたい! 剣道も、もっともっと、知りたい」


 ぐす、と鼻を啜りながら口元を押さえ、何度も目を瞬かせる。


 香織の感情がよく分からない、が、ゆっくり知っていけばいい。そう思えた。


「よし、それじゃあ行ってくる。八咲倒してくるわ」

「二人とも、無事に帰ってきてね」


 香織の目線を背負いながら、俺は必要な道具を持って会場に戻った。



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