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二十九本目:殺し合いの螺旋


「とある少女の話だ。剣道好きのな。少女は剣術で大成した、厳格で古風な家に生まれたが、体が弱かった。そんな少女を母は憐れみ、父は殴った」


 虐待。そんな言葉が頭に浮かぶ。父親と母親の違いはあれど、それは俺と同じ、


「剣は殺しの武器。剣の技は殺しの極意。殺さなければ殺される。命が惜しくば相手を殺せ。少女は、そんな教訓を叩き込まれた」


 それは、まさに剣の『要』と言えるだろう。


「父は少女を強くしようと地獄のような稽古を押し付けた。少女はそれでも……必死になって食らい付いた。少しずつではあるが、強くなっていく実感があったらしい」


 背筋を稲妻が貫いた。剣道好きの少女で体が弱いということは、まさか。


「だが、ある日、父が試合で敗北し、酷く荒れた。その日の稽古で少女は打ちのめされ、死にかけた。その間に父は母と喧嘩をした。少女を巡っての言い争いだったんだが」


 そんな、バカな。耳を塞ぎたくてしょうがない。





「激怒した父は母を斬った。それを見た少女が、父を斬ったんだ」





 これは、八咲 沙耶の過去の話だ。


「ウソだろ」


 だけど、信じることができない。親に殺されかけた自分と同じような過去を持つ存在がこんな近くにいるはずがない。縋るように八咲の話を否定する。


「なら、これを見ろ」と言って八咲は、急に自分の道着の襟を開き出した。


「な、何してんだおまえっ!」


 突然目の前にシミ一つない胸元が露出したせいで焦るが、八咲の目は至って真剣だった。


「この傷を見て、ウソだと思うか?」


 俺は手で目を覆っていたがおそるおそる隙間から見る。さすがに全て露出させるわけではなかったようで一安心したのも束の間、八咲が見せたかったソレが目に映る。


 それは、切創だった。斜めに走るように、刀傷が八咲の胸に刻まれていた。

 教室でコイツの着替えを覗いてしまった際に見た傷痕だった。


「これは、父と切り結び、刻まれた傷だよ」

「──」


 目の前が真っ暗になった。母を父に殺され、その父を自分が斬るという地獄絵図。あまりにも悍ましい事実に吐きそうになる。八咲が死にかけ、死線を潜り抜けたことは疑う余地のない真実だった。俺と八咲は、同じく親に殺されかけたという根幹を持つ存在だった。


 ならば疑問が浮かぶ。なぜここまで剣が違うのか、住む世界が違うのか。

 道着の襟を正しながら、八咲が口を開く。


「そして気付いた。足元で倒れ伏せる父を見て、剣とはこんなものなのかと諦めかけた。殺して殺される応酬の果てに、何が生まれると思う?」


 答えることができない。喉に舌が貼り付いて剥がせそうにない。


「何も無い。何も無いんだよ達桐。『要』に囚われた人間が生む殺し合いの螺旋に頂点などなければ終わりもない。どこに行こうが渦に飲まれて中心で殺し合う。それしかないんだよ」


 釣 明人師範は敵兵を殺して気付いた。


 八咲 沙耶は父を斬って気付いた。剣を殺しの武器として使えば、死しか残らないと。


 斬って、殺して、別の人に殺されて、他の人がそいつを殺して、さらに誰かがまた殺して。頂点だと思ったら、終わったと思ったら、また渦の中心に引き戻される。


 殺し合いの螺旋。


 延々と繰り返し、いずれは死に果てる。


「そうして、孤独に戦い続ける君の隣には誰もいなくなる。殺し合いに囚われたら、やがて自分が守りたいと思っている相手すらも斬りつけることになるだろう」


 そんななハズがない、と否定したかった。でも、できなかった。『要』に囚われてはいけないと気付いた二人は、偉業とも言える快挙を成し遂げたのだから。


 釣師範は全日本選手権を三連覇し、八咲は世界最強に等しい桜先生を打倒した。


「そう、か。だからおまえは、今日」

「そうだ。『極』は『要』の先にある。それを君に教えたくて黒神 桜に挑んだんだ」


 『要』を突き詰めた先に、『極』があると桜先生は言っていた。だが、桜先生は言葉ではそう言っていたものの、辿り着けていないと言っていた。その差はなんだ?


「大切な人たちを守るために強くなりたい。だから剣道をする。そこで辛酸を舐めさせられた私を倒したいと強く思う。それ自体は間違ってないさ。強くなりたい、そう思うことは人なら誰もが持つ普遍的な願いだ。問題はそこじゃない」


 八咲が俺の心を見透かすように見つめてくる。


「問題なのは、東宮を打倒して手に入れた君の剣──君の答えの行き着く先が、全ての他者を排斥し、何も残らないという未来しかないという点さ」


 全てを滅ぼす、つまり『要』が体現しようとしていた剣の極致。八咲は俺の剣を否定している。反論したいがしかし、俺が辿り着く最果てである桜先生を破られた以上、何も言えない。


「おまえは、『極』に辿り着いてんのか」

「そうだな、少なくとも『要』から解脱し、『極』に至っているはずだが、最奥まで掌握しているとは思えないな」


 夕焼けの空を見上げ、手を伸ばす八咲。


「釣師範の背中は未だ遠い。彼と対峙した人の中には、剣を交えるまでもなく負けを認めた人もいたそうだ。私はその境地に達していない。私もまた、道半ばなのだよ」


 八咲でさえも、全貌を掌握しきれていないというのか。


「しかし、分かっていることはある。『心眼しんがん』という言葉を知っているか?」


 『心眼』。それは剣の境地の一つだ。実際の目ではなく、心で相手の先の先を取る。


 超能力じみた話だと思うが、生涯全てを剣に捧げた仙人のような剣士たちは、皆それが可能と言っても過言ではない。未来が見えているかのようにこちらの動きを読む。


「あ」


 そういうことか。コイツは殺気を感知する。あれはつまり、俺にクセがあるとかじゃなくて。


「まさか、あの時、『心眼』で俺の動きを見切っていたのか」

「正解だ。『要』を解脱した人間は『心眼』を獲得し、戦っている相手の魂を感じ取ることができる。すると相手が自分のどこを狙っているか、いつ打突が来るのか分かるんだ」


 いかに剣を抜かずにいられるか。それが『極』の言葉だった。普通は斬られるので剣を抜いて応戦するしかないが、相手の打突を完璧に見切れば確かに剣を抜く必要もなくなる。


 全ての打突を身のこなし一つで捌けるからだ。

 もっと言えば、剣を抜く前に動きを制することも可能だろう。


 それが、殺し合いに特化した『要』と、見切ることに特化した『極』を隔てる壁か。


「魂にはその人物の本質が宿る。剣には誤魔化しの効かない魂が乗る。それを感じ取ることが『極』におけるもっとも重要なことだ。だから分かるんだよ、君の激しい殺意がね」


「そういう、ことか。でも、どうやったら、辿り着けるのか」

「考え給え。君はもう答えの前に立っている。ただ盲点に気付いていないだけなんだ」

「……」


 考えよう。剣の『要』は殺し合いだ。命を奪い合うことだ。でも、それは結局何も生まれない。死しか振り撒けず、やがてすべてを、自分が守りたかった人たちすらも斬り伏せる結果となる。


 故に、『要』の殻を破り、先の境地に踏み出す必要がある。その領域に八咲はいて、『心眼』で俺の動きを看破する。だから俺はコイツに勝てない。桜先生でさえも、八咲に敗れた。


 俺や桜先生になくて、八咲や釣師範にあるのはなんだ。

 全員が全員、一度は『要』に身を染めているはず。何が違うのか。


 釣師範が『極』に至ったのは、敵兵を斬ってから。八咲が『極』に至ったのは、父を斬ってから。殺し合いこそが『要』。二人はそれを潜り抜けた。と、いうことは。


「『要』を、斬った、のか?」


 八咲の動きが、一瞬止まった。


「『要』を極め、その先に行くということはつまり、『要』そのものに打ち克つ必要が、あるのか? それが、『極』に至る道なのか?」


「うむ」と言いながら、八咲が一度だけ目を閉じて、


「なら、君にとっての、『要』とは誰だ?」


 俺の『要』。釣 明人にとっての敵兵であるように。八咲 沙耶にとっての父であるように。『要』そのものと言っていい存在が、俺の近くに、いる。頭に浮かんだその人の名は。


「桜、先生」


 俺が『極』に至るための最大の壁の名は。


「『桜先生』を剣道で倒すこと。それが、『極』に辿り着くために、必要なこと、なのか」


「倒す、は言葉の綾だがな。君が超えるべきは、黒神 桜が振りかざす『鬼神』の覇気だよ。あれこそが、彼女の剣に込められた、剣の『要』なんだ」


 今まで俺に剣を教えてくれた師匠を打倒することで、俺は高みへと辿り着く。

 その領域で、仁王立ちになりながらコイツは俺を待っている。


「ただ、容易な話ではないぞ。覇気は積み重ねてきた努力や信念によって決まる魂の力。生涯を『要』で塗り固めた彼女の覇気は、文字通り桁が違う。同じ『要』の領域にいて彼女の覇気を打ち破れる存在は、まずいないだろうな」


 だが、俺が『極』に辿り着くには、桜先生を超えるしかない。あまりにも難しいことかもしれないが、八咲は俺に道を示してくれた。『極』に至るための道を。


「なんで、こんな、敵に塩を送るような真似を?」


 思わず訪ねた。八咲は俺を嫌っているはず。なのに、どうしてここまでしてくれるのか。


「どうしてだろうね。君を憎めない私がいるんだ。こんなにもツンケンとした男なのに、嫌えない自分がいた。きっと、魂は気付いていたんだ。彼は私と同じ傷を持っていると」


 ドクン、と見透かされたようで心臓が強く跳ねた。


「あの大会で一目見た時から、だろうな。その予想が確信となったのは東宮との戦いの後だ。この男は私と同じ傷を背負っている。だから燻っているのが見ていられなかったんだよ。殺意に囚われている君を、放っておけなかった」


 ふ、と八咲が柔らかな笑みを浮かべ、


「おそらく私は、同じ痛みを知る君を理解したいと思っていたんだ」


 あっけらかんとした様子で、言い切った。


「そして、父親を斬るという誰も理解できなかった私の傷を、理解してほしい」

「八、咲」

「達桐、私はね、君に歩み寄りたいのだよ」


 ──独りになんかさせないよ。香織が屋上でそう言ったのを思い出す。


 強くなりたい。その一心で剣を振ってきた俺は、東宮との戦いで一つの答えを得た。


 強さとは、殺意に磨きをかけ、立ちふさがる全てを完膚なきまでねじ伏せること。徹底した破壊と、容赦のない信念。恐怖という呪いを相手の魂に刷り込み、心から征圧することこそが真髄だ。


 しかし、香織という素人は俺の答えを否定した。強くなるために孤独になろうとする俺に歩み寄ろうとした。八咲もまた、違う形で俺の答えを否定し、歩み寄ろうとしていた。


 俺と八咲は傷物だ。だからこそ、俺たちは互いを理解できる。傷を晒してもいいと、心の底から思うことができる。俺の心からコイツを嫌う感情は、いつの間にか消えていた。


 八咲の姿がぼやけた。道着に水滴が落ちた。いつの間にか、感情は壊れていた。


 今まで魂を塗り固めていた、傷だらけの鍍金めっきが剥がれ落ちていく。

 今の俺は何を望むか。勝利か。殺戮か。蹂躙か。


 違う。違う。どれも違う。俺と同じ傷を持ちながら、それでも俺より先を行く八咲を知りたい。八咲の立っている領域を感じたい。八咲の見ている景色を見たい。八咲の剣を暴きたい。八咲の魂に触れたい。もっと、深く強く、俺は。八咲 沙耶の、全てが知りたい。八咲 沙耶と魂でつながりたい。


 俺は──八咲 沙耶を理解したい。


 変性する。俺という剣の持つ意味が書き変わっていく。つながりを、理解を求める形へ。


「そうか、誰かを守れるくらい剣道で強くなりたければ」


 俺の言葉を聞いて、八咲が柔らかな笑顔を浮かべた。


「そうだ。剣を殺すための兵器と考えるな。理解のための言葉だと、考え給え」


 ツン、と。八咲がつつくように俺の鼻を押した。


「がんばれ、剣誠」

「ああ、ありがとな八咲。ちょっと待ってろ、すぐ追いつくから」


「うむ、待っているぞ」と告げる八咲は、悔しいけど可愛く見えた。


「負けたら承知しないからな」

「うるせぇ、ばかおんな」



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