「ねぇ、剣誠くん、大丈夫なの?」
「大丈夫。香織は気にするな。俺がああいうヤツをシンプルに嫌いってだけだから」
竹刀を一本取り出す。一足一刀という一歩踏み込んだら竹刀の届く間合いに立つ。
右の側頭部の横で立てるように構える。剣道の中段とはかけ離れた構えだ。
「なんだその構え、剣道知らねぇのか?」
道着姿の三年が中段に構える。いつの間にか周囲には小さな人だかりができていた。大騒ぎになる前に終わらせた方が良さそうだ。
「うるせぇ、サッサと来いよ童貞」
「この、ガキが」
コイツの額に浮き出ている血管の地図がさらに濃くなる。鋭い眼光で俺を刺してくる。
視界の端では眉を八の字にしてこちらを見る香織。心配そうな顔だった。
「剣道も知らねぇシロートが。泣きべそかくんじゃねぇぞ」
地面を蹴って踏み込んでくる三年。無駄のない動きは相当な練度かもしれない。
だが、俺を本気で殺そうという気概がない。
こんな偽物の殺意で、俺に勝とうなど片腹痛いとしか言えない。
俺が桜先生から剣道を習うに当たって、同時に教わった剣戟を繰り出す。
「知らねぇなら教えてやるよ」
不用心に俺の間合いに侵入してきた刀身に狙いを定め、一気に振り下ろす。
「
太い風切り音が空気を震わせ、三年の竹刀を打ち落とした。
即座に構え直し、頭蓋を叩き割る。
「ひっ」
殺意に晒された三年が怯えた様子を見せた。
先輩の脳天をカチ割る寸前で、俺は竹刀を停止させた。
時間が停まる。俺の竹刀が巻き起こした剣圧が、地面の砂を巻き上げた。
「すげぇ」「なんだ今の」「え、いつ振った?」「竹刀が見えなかったぞ」
周囲の物好きな野次馬からどよめきが聞こえてくる。
「す、すごい」と香織は惚けた様子で俺を見上げていた。
「おう、だから言ったろ、大丈夫って」
「あ、う、うん。剣誠くん、さすが、だね」
未だに思考が現実に追いついてないのか、香織は俺をボーっと見つめていた。
──示現流とは九州
示現流は他にも
二つの流派の大きな違いとしては、示現流は大名や上級の武士しか習うことができなかったが、薬丸自顕流は大勢の下級武士たちの間で広く学ばれた点だ。
示現流の信念は髪の毛一本でも早く打ち下ろせ、というもの。そのための最適な構えとして、先ほどの
俺が先生から普通の剣道と一緒に教わっているのは示現流の方だ。
これは憶測だが、桜先生のご先祖様は名の知れた大名だったのではないだろうか。
「ぐ、ぐ、テメェ、一年ごときが」
竹刀を片付けようとすると、坊主頭の三年が顔面を真っ赤にしてこちらを睨んでいた。
懲りてないみたいだ。もう一発いっとくかと思って竹刀を握り直すと、
「何やってんだ
大型バイクが唸るみたいな、低く圧力に満ちた声がした。
振り返ると、そこには武人がいた。
道着越しでも伝わる隆起した筋肉。山を想起させる大男がいた。面から覗く両目は力強さに満ち、濃い眉は力強く引き締まっている。
「あ、
猛犬のような怒りを見せていた坊主頭の三年──どうやら高木という名前らしい──が、明らかに委縮して声を萎ませていた。コイツが剣道部の長、ということか。
武人の如き男、東宮は地面にへたり込む香織と俺、そして吹き飛ばされた竹刀を見て、
「ったく、しょーもねぇことしてんじゃねぇよ。こんな大勢の前で恥晒しやがって」
「で、でもよッ」
「うるせぇ、もうテメェはすっこんでろ」
反論しようとする高木に有無を言わさぬ迫力。どうやらコイツが部長で間違いないらしい。
纏っている覇気が違う。眼力が違う。相当強いぞ、この武人。
警戒する俺の方を見た武人の先輩が、小さく微笑みながら近寄ってくる。
「悪かったな、ウチの部員が。後でキツく言っとくからよ」
そう言って、丁寧に頭を下げた。
「ウチは、大丈夫です」
「そうか。痛むようなら剣道部に言ってくれ」
最後にすまなかったなと言って、東宮先輩は俺たちに背を向け、高木の頭にヘッドロックをかましながら校舎の方へ消えていった。それに合わせて、野次馬たちもバラけていく。
「いい、先輩だったね」
「そうかぁ? 部の頭なら部員の教育くらいしっかりしといてくれよって感じだけどな」
それに、同期がやられたのに、随分と大人しいのも違和感だった。人格者と言えばそれまでだが、どうにも心のどこかに引っ掛かる。しかし、ここで俺に何かできるはずもない。
ため息を吐きながら竹刀を納め、香織に手を差し出す。
「とりあえず、歩けそうか?」
「え、あ、いや、ダメ、痛い。……どうしよ」
「しゃーねぇ。緊急だからちょっと我慢してくれな」
「え? ちょ、わっ!」
膝裏と肩に手を回し、体幹に近付けて一気に担ぎ上げる。俗に言うお姫様抱っこをすると、香織がやたらと喚き出した。
「ちょちょちょちょ! 力すご……じゃなくて、思春期の女子に何してんの!」
防具と竹刀と女子一人はさすがに足腰に来たが、走れないこともなかった。
普段から鍛錬しといて良かった。ぎゃあぎゃあとうるさい声を無視し、一目散に保健室へ駆け込んだ。