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三本目:『要』と『極』

「ありがとう、ございました」


 早朝の稽古を終え、先生に向かって座礼をする。


「最後の相面ですが、あなたは打とうとすると筋肉が強張る癖があります。力を込めるのは打つ一瞬だけ。それ以外は脱力していないと、相手に技の起こりを読まれますよ」


 微かに紫がかったポニーテール。柔和に垂れた目尻が包容力を醸し出す。

 色素の薄い、慎ましい口。鼻筋の通った顔。乳白色の肌。

 道場経営なんぞやってなかったら芸能人にでもなれたんじゃないかといつも思ってる。


「頭は冷静に、されど剣は熱く。忘れないでくださいね」


 はいッ! と先生に返事をして頭を下げる。

 先生が防具を解き始めた時だった、軽やかな着メロが道場に響き渡った。俺のではなかった。


「あ、ごめんなさい剣誠君、取ってくれますか?」


 入り口付近に置いてあった先生のスマホを持って行く。

 見えた画面に映っていた名前は『剣道日本』。

 剣道人なら誰もが知っている有名な剣道雑誌の会社だ。


「ありがとう。……はい、黒神です。いえ、この時間でしたら起きているので大丈夫ですよ。取材ですか? 分かりました。しかし、確かその日は稽古会が。はい、日程を確認してから、折り返し掛けさせていただきますね。はい、失礼します」


 通話が終わる。ふぅ、と少し困った顔でため息を吐く先生。


「さすが。取材や稽古会に引っ張りだこですね」

「優勝してからずっとです。他にも強い女剣士はいるのに、どうして私ばかりなんでしょう」


 たぶん、先生の写真の方が誌面映えするからだと思う。

 どこか哀愁を漂わせる瞳も似合ってるのだ。

 しかし、そんなことは思春期男子からすると直接言いにくい。


「そりゃあ、先生が日本一、剣の頂点に立っているからですよ。僕も強くなった自覚はありますが、先生に勝てる気は全くしない。さっきの相面も完敗でした」


 未だに打たれた感触が残る頭に手を当てる。相面には忌々しい記憶がある。


「僕は半年前に、八咲に頭を割られた。あの屈辱は今でも忘れません」


 黒い津波が迫ってくるような面打ち。

 何度動画を見返してもカラクリが分からなかった。

 あの敗北から、俺は早朝に先生に稽古をつけてくれと頼みこみ、ずっと続けている。


「次会ったら僕は八咲を倒す。負けの屈辱を倍返しにしてやるんだ」


 決意を握り締めるように拳を固めた。


「あなたは、あの日からずっとその調子ですね。どっちが強いかにだけ固執している」


 物憂げな瞳で優しく諭してくる。

 声は低くても表情は柔らかい。まるでデキの悪い弟を見守る姉のようだ。

 だけど、どうしてもこれだけは譲れなかった。


「先生、あなたはあの日のことを知っているはず。負けたら守れないんです。大事な人たちを守るために、僕は強くならなくちゃいけない。だから、立ち塞がる全ての敵を斬り伏せていく。それが剣の本質でしょう? 他ならぬあなたが教えてくれたことだ」


「それは、そうですけど」


「あなたには感謝しているんです。僕に剣の『要』を教えてくれて、剣道の強さを授けてくれたんですから。見ていてください。僕はもっと強くなります。あなたも守れるように」


 鬼みたいに強いこの人を守る必要なんてないのかもしれない。

 しかし、だからといって、剣道を教え、俺の生活を支えてくれたこの人を守らなくていいという理由にはならない。

 むしろ、恩義を感じているからこそ、守らなければならないのだ。


「強くなりたい、ですか。それがあなたの至上命題なのですね」


 はい、と目に力を込めながら返す。


「では問います。本当の強さとは、なんでしょうか」


 急に飛んできた質問に、思わず息を詰まらせた。


「え、それは、どんな理不尽からも、周りを守ってあげられること、ですか?」

「そのために必要なことは?」


 思考の整理が追い付かない。

 それでも、咄嗟に思いつくことを並べていく。


「誰が相手でも負けないこと、勝つこと」


「あなたがそうやって強さを求める理由は、負けたら誰も守れないから。だからあなたは剣を殺しの武器、剣技を人殺しの術と考えて、剣道における『一本』を尊重しています」


 剣道における『一本』とはつまり、真剣ならば致命傷を与えているぞという証明だ。


「それはつまり、剣の『要』ですよね?」

「はい。あなたは『要』の意味を正しく理解しています」


 でもね、と先生は言葉を続けた。


「剣道にはまだ奥行きが存在するのです。『要』の向こう側が」


「んん? いやいや、何言ってんすか。他でもない『鬼神』のあなたが、相手を捻じ伏せることに特化したあなたが、『要』よりも深奥があると?」


「その渾名は止めてください。おっかなくて嫌いなんです。『要』の先は確実にあるんですよ」


 分からなかった。剣が人殺しの道具でなければなんなのか。

 剣術が人殺しの術以外に意味を持つはずがない。

 剣が持つ血染めの過去を上書きすることなど、誰にもできないのに。


「僕は今まで『要』を大事にして、『要』を信念にして強くなったんですよ。それ以上のものがあるなんて信じられないんですが」


 先生は俺の不満を感じたはずだが、それでも涼しげな顔をしながら、




「──『きわみ』」




 きっぱりと、俺の心に突き刺すように告げた。


「きわ、み?」

「はい。この考えを遺したのはつり師範です」


 釣と言えば一人しかいない。桜先生の師匠、つり 明人あきと師範だ。

 数年前に亡くなってしまっているが、かつて全日本を三連覇した伝説の剣士である。


「彼はいつも、私たち門下生にこのような言葉を漏らしていました。『我々は、いかに剣を振らずにいられるか、そのために剣を振っている』と」

「それが、『極』ってヤツ、なんですか」


 おそらくですが、と先生が肩をすくめる。


「最近思うんです。剣道における本当の強さって、そこにあるのではないかと」


 つまり、どういうことなのか。

 剣を抜いて稽古することは、いずれ剣を抜かなければならない時に、しっかりと力を発揮するためだ。


 それが実戦であれ、試合であれ同じだ。

 なのに、俺にとっての師匠の師匠は剣を抜かないために剣を抜いて稽古すると言っている。


 矛盾している。だが、それこそが剣の『極』だと先生は告げている。


「ちっとも分からん。そんなの、『要』の先とは言えないだろ」


 思わず口が滑った。

 しまった、と思った時にはもう遅かった。


「あら、タメ口で文句とは、随分エラくなりましたね。弟子の成長が見れて嬉しいですよ」

「す、すいませんでしたっ! せ、先生! 背中から殺気が! 鬼の顔が見えてますって!」


 全力で謝ると、先生はすぐに「まぁいいけど」と言いながら殺気を消した。怖かった。


「悩むのも無理はありません。矛盾しているようですが、言っている私でさえも、今の自分の剣が正しいとはとても思えませんから」


 どうやら、全日本最強の先生も『極』を追求していて、まだまだ強くなるということか。


「まだ未熟な僕には理解できない領域です」

「構いませんよ。でも、覚えておいて。剣の『要』を突き詰めた先に、『極』はある」


 『極』。

 俺には必要のない考えだと思う。

 剣は殺し合いのための兵器だ。誰が何と言おうと、この本質が覆ることはないのだ。



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