七年後。
「──
全力で振り抜いた太刀が、邪魔する敵を斬り伏せる。上がる旗はもれなく三本。
「面アリ」という審判の声が俺の勝利を告げた。倒れた相手に手を差し出して、引き上げてやる。
「ありがとうございました。大丈夫ですか?」
「こ、殺されるかと思った……」
そんな泣きそうな声を聞きながら竹刀を納める。俺は汗をかくどころか息すら切れていない。
あまりにも一方的な試合に、会場の一部からはどよめきが起こっていた。
すると、「兄ちゃん!」と観客の方から声を掛けられた。
甲高い声。朱音、と思って振り向くと、
「次、準決勝だよな! 剣誠兄ちゃんならラクショーだよな!」
朱音じゃない。道場でよく突撃してくる小学生の男の子だ。
それもそうか。朱音は。
「うん、見てろよな、絶対勝つから」
応援してくれる子どもを不安にするワケにはいかない。ガッツポーズで空元気を見せる。
男の子は「特等席で見るぜっ!」と言ってその場から動かなかった。
着座する。竹刀を置く。面を取る。手ぬぐいを外し、体の中に溜まっている熱を息に乗せて吐き出す。正座のまま目を閉じる。体育館の光が俺にだけ注がれているのを感じる。
「達桐、強すぎだろ」「チートだ、チート」「アイツだけ出場停止にしてくれねぇかなぁ」
離れたところで俺をチラチラ見ながら、何かを話しているのが数人いるらしい。
「そりゃ、剣の『
剣は人を殺すための道具で、剣技は人を殺すための技だ。
銃や爆弾が無かった時代、人は争いの中でどうすれば効率良く人を殺せるかを研究した。
その果てに生まれた当時の答えの一つが刀剣だ。
戦争に勝つために、争いを制するために──人を殺すために、剣は生み出された。俺はこの考えを剣の『要』と教わった。
しかし、外で刃物を振りかざすワケにはいかない。だから剣は竹刀になり、剣技は剣道へと姿を変えた。体は防具に固められ、殺し合いの術は安全な武道へと変化していった。
竹刀で人は殺せない。
人を殺す刃は錆びついた。
殺意の風化。
その意味を、ヤツらは分かっていない。
「そうだ。俺は負けない、大事な人たちを守るために、もっと強くなるんだ」
「準決勝の相手、誰だっけ」
瞑想を止め、トーナメント表の前に行って確認する。
次の相手は、漢数字の『八』に、花が咲くの『咲』で八咲。
そして
確かに希望者は女子でも男子のトーナメントに出場することができる。
しかし、俺は何度もこの大会に出場しているが、男子の大会に出ようだなんて物好きな女子は今までに見たことがない。
ただのでしゃばりか。それとも。
腕を組んで首を捻った瞬間、準決勝に出場する選手を集めるアナウンスが聞こえた。探してみようかと思ったけど無理そうだ。
脇に面と小手、そして手に竹刀を持ち、振り返ろうとした時だった。
しゃらん、と煌びやかな鉄の音がした。
一人の剣士が、俺の背後を横切った。今の音は、この剣士から聞こえた音だろうか。
小さい。身長は一五○と少しくらいか。脇に面と小手を持ち、選手を集めるアナウンスに従っていた。
清らかな小川のように透き通った艶を放つ、長い黒髪が視界を泳ぐ。
思わず目で追うと、袴に刺繍されている名前が見えた。
八咲 沙耶。
どうやらこんな小さい女子が、俺の次の対戦相手らしい。
出場者は全員男子だ。男子と女子では言うまでもなく体格が違う。それでもこの子はのし上がってきたのだ。にわかには信じがたい。
「まぁ、剣道にマグレはあるしな」
じと、と滲む脇汗は勘違いだ。あの綺麗な鉄の音は、きっと気のせい。
ひどく美しく、そして儚く聞こえたのも、気のせいに違いない。
×××
その準決勝は悪夢だった。
ソイツの中段の構えを見た瞬間、全身に鳥肌が立った。
構えから滲み出る重厚感は、一学生のレベルを超えていた。
今まで戦った誰とも違う、異質な剣風。
微動だにしないと思ったら、次の瞬間には打たれていた。
一瞬で命を斬り落とす剣戟は、とてもじゃないが女の細腕から繰り出されたものとは思えなかった。
小手に直撃したら、骨の芯まで痺れた。
胴を打ち抜かれたら、胃の中のものを吐き出すかと思った。
面を斬りつぶされたら、意識が消えそうだった。
大事な人たちを守れるように、俺は強くならなきゃいけない。だからどんな大会でも、誰が相手でも負けるワケにはいかない。そう誓ってここまで来た。
それなのに、負けた。それも男ではなく、自分よりはるかに小さい女に。
屈辱。その二文字が俺の視界に火花を散らす。
最後の
ぶつかる瞬間に見えたソイツの目は鈍い輝きを放っていた。
黒の道着が一気に俺より大きくなった気がした。まるで黒い津波だった。
あまりにも美しいと、心の底から思ってしまったことが何より悔しかった。
後に知ったヤツの名は、
しかし、コイツは俺に勝ったにもかかわらず、決勝戦を辞退した。
理解ができない。どうして。全く分からないからこそ腹が立った。
ちくしょう、覚えてろ八咲。俺はいつか必ず、おまえをぶった斬ってやるからな──。