「──お兄ちゃんは、どうして剣道をしようと思ったの?」
埃臭い傷だらけの和室。綿の漏れた布団にくるまりながら、妹の
俺は音を立てないようにこっそりと左手で竹刀を振っている。
「え? いや、剣って、ほら、カッコよくない?」
「あはは、そうだね。剣って、カッコいい」
朱音は布団から顔だけ出して、素振りをする俺を笑顔で見つめている。丸いおでこが可愛らしい。
しかし、笑顔を浮かべると折れた歯が嫌でも目に入った。
歳は七歳。俺の一つ下。前歯はこの前に永久歯が生え揃ったばかりだった。
朱音の紫色に腫れた頬が痛々しい。
「だから、剣道しているお兄ちゃんは、カッコいい」
素振りを止める。汗を腕で拭いながら、和室を出る。
一歩踏み込むと、古い床板がぎしりと鳴った。
しまった。今のは大きな音だった。お母さんが起きやしないだろうか。
しばらく立ち止まって様子を窺うが、お母さんが起きた気配はない。
よかったと、ため息がこぼれる。
カビや水垢の臭いが充満している台所の冷蔵庫を開け、目的のものを取り出して部屋に戻る。
「朱音、一緒に飲もう」
「わぁ、オランジーナだ!」
青い蓋に、ぶつぶつの付いたペットボトル。ラベルのオレンジはいつ見ても美味しそう。
滑りの悪い窓を開ける。外の明かりは少ない。深夜だから当然だ。
月も明日には新月になろうかってくらい細かった。頬を叩く風がいつもより強い。明日はひょっとしたら嵐かも。
「お兄ちゃんも飲んで」
ありがとう、と言って受け取る。喉を甘い炭酸が駆け抜けていく。
「朱音は、お兄ちゃんがいてくれたら、それでいいの。他には何も、いらないの」
小さな体が抱きついてきた。甘い匂いがした。
華奢で、少し小突けば折れてしまいそうな体。
全力で俺の腰にしがみついているのだろうが、力をほとんど感じなかった。
気付いたら消えてなくなりそうなほど儚かったから、俺は怖くなって抱き締めた。
「頬っぺた、痛くないか?」
「だいじょうぶ。お兄ちゃんがいるから。お兄ちゃんも、目、紫色だよ」
そうだったのか。自分じゃ気が付かなかった。大丈夫だよ、と返して微笑みかける。
胸に頭を擦り付けてくる妹を抱き締める。ウェーブの掛かった長い髪を撫でる。
顔を腫らしても健気に笑う。どれだけ理不尽に苛まれようと、朱音は笑顔を浮かべるのだ。
だったら、なぁ。
「ああ、朱音。見つかったよ。俺が剣道をする理由」
「なぁに?」
畳に横たわる竹刀に手を伸ばす。
「俺はおまえが大事だ。だから、強くなりたい。大事なおまえを守れるように」
「本当? 嬉しいな。お兄ちゃんに守ってもらえるなら、安心だね」
「ああ。どんな理不尽からも、絶対、守ってやるから」
瞬間、じゃきん、というどこか重たい鉄の音が聞こえた気がした。
幼いながらに理解した。
この瞬間、俺──