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剣の鼓動は無窮の空に鳴り響く
猫侍
現実世界スポーツ
2024年11月25日
公開日
104,742文字
連載中
「俺はおまえが大事だ。だから──強くなりたい、大事なおまえを守れるように」

 大事な人を守りたい、そう願い、強さを欲して剣道をする少年、達桐 剣誠(たちきり けんせい)は地元では敵無しと言われるほどに剣道が強かった。
 しかし、ある日、達桐は出場した大会で敗北を喫する。
 それも、女子に。
 無敵だった達桐を打ち破った少女の名は、八咲 沙耶(やつざき さや)

 彼女を倒すべく、さらなる強さを求める達桐。
 しかし、強さを求めていくうちに、彼は己の剣の道を過とうとしてしまう……。

「剣誠くん、ひとりぼっちになっちゃうよ」
「抜きなさい、じゃなきゃ死にますよ」

「剣誠──私の剣になってくれるか?」

 青春を剣道に捧げる少年少女の、小さな成長の物語。
 剣道はスポーツじゃない、生涯をかけて歩み続ける──武道だ。

序章:じゃきん、という重厚な音

「──お兄ちゃんは、どうして剣道をしようと思ったの?」


 埃臭い傷だらけの和室。綿の漏れた布団にくるまりながら、妹の朱音あかねはそう言った。

 俺は音を立てないようにこっそりと左手で竹刀を振っている。


「え? いや、剣って、ほら、カッコよくない?」

「あはは、そうだね。剣って、カッコいい」


 朱音は布団から顔だけ出して、素振りをする俺を笑顔で見つめている。丸いおでこが可愛らしい。

 しかし、笑顔を浮かべると折れた歯が嫌でも目に入った。


 歳は七歳。俺の一つ下。前歯はこの前に永久歯が生え揃ったばかりだった。

 朱音の紫色に腫れた頬が痛々しい。


「だから、剣道しているお兄ちゃんは、カッコいい」


 素振りを止める。汗を腕で拭いながら、和室を出る。

 一歩踏み込むと、古い床板がぎしりと鳴った。


 しまった。今のは大きな音だった。お母さんが起きやしないだろうか。

 しばらく立ち止まって様子を窺うが、お母さんが起きた気配はない。


 よかったと、ため息がこぼれる。

 カビや水垢の臭いが充満している台所の冷蔵庫を開け、目的のものを取り出して部屋に戻る。


「朱音、一緒に飲もう」

「わぁ、オランジーナだ!」


 青い蓋に、ぶつぶつの付いたペットボトル。ラベルのオレンジはいつ見ても美味しそう。

 滑りの悪い窓を開ける。外の明かりは少ない。深夜だから当然だ。


 月も明日には新月になろうかってくらい細かった。頬を叩く風がいつもより強い。明日はひょっとしたら嵐かも。


「お兄ちゃんも飲んで」


 ありがとう、と言って受け取る。喉を甘い炭酸が駆け抜けていく。


「朱音は、お兄ちゃんがいてくれたら、それでいいの。他には何も、いらないの」


 小さな体が抱きついてきた。甘い匂いがした。

 華奢で、少し小突けば折れてしまいそうな体。


 全力で俺の腰にしがみついているのだろうが、力をほとんど感じなかった。

 気付いたら消えてなくなりそうなほど儚かったから、俺は怖くなって抱き締めた。


「頬っぺた、痛くないか?」

「だいじょうぶ。お兄ちゃんがいるから。お兄ちゃんも、目、紫色だよ」


 そうだったのか。自分じゃ気が付かなかった。大丈夫だよ、と返して微笑みかける。


 胸に頭を擦り付けてくる妹を抱き締める。ウェーブの掛かった長い髪を撫でる。

 顔を腫らしても健気に笑う。どれだけ理不尽に苛まれようと、朱音は笑顔を浮かべるのだ。


 だったら、なぁ。


「ああ、朱音。見つかったよ。俺が剣道をする理由」

「なぁに?」


 畳に横たわる竹刀に手を伸ばす。


「俺はおまえが大事だ。だから、強くなりたい。大事なおまえを守れるように」

「本当? 嬉しいな。お兄ちゃんに守ってもらえるなら、安心だね」

「ああ。どんな理不尽からも、絶対、守ってやるから」




 瞬間、じゃきん、というどこか重たい鉄の音が聞こえた気がした。




 幼いながらに理解した。

 この瞬間、俺──達桐たちきり 剣誠けんせいの魂に、一振りの剣が突き刺さったのだと。


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