「あら?今日はいつもよりパンが多くないかしら」
「死なれたら困る、それだけだ」
「つまり私に生きていて欲しいと?」
「しかるべき瞬間に死んで欲しいだけだ」
今日も彼から返事が来ることに喜びを感じつつ、牢に入れられたパンを眺める。
“食事は1日一回、パン一切れと水が一杯……”
それは、処刑日までに死んでは困るためにと与えられるもの。
死にぞこなった私の処刑は、政的利用のため大々的に行われるらしく。
“だからこそ勝手に死なないよう与えられているのだけれど”
今日は何故か、パンが一切れ半もあったのだ。
「処刑日まで生きてさえいればいいはずですのに、何故……?」
昨日今日と会話をしてくれたせいで調子に乗った私が、彼に疑問を投げかけてみるが――
“答えてはくださらないわね”
返事が来なくて少し落ち込む。
先日までは返事がない事が当たり前なのに、この数回の会話だけで私は贅沢になってしまったらしい。
“でも、答えがないなら答えを決めていいってことだわ”
だから私は思うことにした。
『このパンは、彼が恋人である私のためにこっそり増やしてくれた愛なのだ』と。
それが正解かどうかなんて関係なかった。
私が死ぬまであと5日。
“今日も一切れ半あるわ”
昨日と同じく少しだけ増えたパン。
もさもさとしていて決して美味しく食べやすいものではなかったが、それでもこのパンは恋人の気遣いだと思えばそれだけで私はとても幸せで。
「私、優しい恋人がいてしあわ――……」
“幸せよ”と、口にしかけ、開いた口をそっと閉じた。
いつも背中を向けるだけだった彼がこちらを睨んでいたからだ。
「お前たちのせいで幸せを奪われた人が何人いる?俺を勝手に恋人だと思い込むのは勝手だが、幸せになんて絶対なるな」
「………………」
彼のその言葉は刃のように私に刺さり、その日私はそれ以上何も言えなかった。
私が死ぬまであと4日。
次の日も一切れ半あるパン。
それを無言で口に運んでいると、彼が小さく咳払いする。
「体調がお悪い?」
「違う。ただその、――昨日は、言い過ぎた」
「いえ、間違ったことはおっしゃっておりませんわ」
そう、彼は間違っていない。
敗戦国となった時点でこの国は終わり、私も終わった。
国民に戦わせ、何人もの命を犠牲にしたのだろう。
その結果、国王である父を刺し殺したのが我が国の騎士だったならば、きっとこの国はいい国ではなかったのだから。
だから彼は間違っていないのだ。
私が死ぬまであと3日。
「ねぇ、恋人って何をするのかしら」
その返事は残念ながらなく、仕方なく私は一人で考える。
“デートは無理ね、私の世界はこの牢の中だけだもの”
他には、触れ合い?
手を繋ぎ、口付けをする。
それは当たり前の事なのかもしれないが。
“汚いわ”
最後に湯浴みをしたのはいつだったのか。
薄汚れ、髪はギシギシとし貼り付いて。
くん、と匂いをかぐが、臭いかどうかすらわからないくらい汚れきっている。
恋人といえど、流石にこんな私に触れろというのはあまりにも酷で――
“そもそも、牢で遮られているのだけれど”
この願いを口にするには、美しくなってからね。なんて考え、そんな未来はないことがなんだか可笑しくて……
気付けば私は一人、くすくすと笑っていた。
私が死ぬまであと2日。
「ありがとう」
その日はなんとなくお礼が言いたくなり、思ったまま口に出す。
そんな私をちらりと見た彼と目があって――
「まぁ!怒っていないダーリンの顔を見たのははじめてじゃないかしら!」
私を牢屋に押し込んだ時の彼は、侮蔑の表情を浮かべていて。
先日はじめて振り向いてくれた時はギロリと睨んでいた。
しかし今日は、突然の私からの感謝にどこか戸惑った様子で――
「何故この状況でお礼が言える?」
「そんなの、今しか言えないからですわ」
そう、私には今しかない。
処刑は明日。
私が死ぬまであと1日しかないのならば、全て言っておかなくては。
そんな私の気持ちを察したのか、くだらないと切り捨てたのか……
彼はまた私に背を向けてしまう。
それでもいいと思えた。
「私、恋が出来て嬉しかったですわ」
「………………」
「これが勘違いでも思い込みでも構いません。誰かを好きになるって素晴らしいことね、世界がキラキラに見えますの」
「………………」
「明日が私の旅立ちですわ」
「………………」
「もしいつか、私が生まれ変わったら……いえ、私は決して“善”ではありませんでしたね、旅立ちの先に回帰はありません」
「………………」
「ダーリンが、いえ、騎士様の未来に、幸多からんことを」
私が死ぬまであと1日。
その日の朝は慌ただしかった。
てっきりこのまま腕を引っ張られ、見世物として首を切られるのだとばかり思っていたのに湯浴みさせられドレスに着替えさせられて。
“最後の王族を処刑した、とよりわかりやすくする為に磨いたのね”
久々に着るドレスは真っ白で、それは血の色が映えるように選ばれたのだろうとわかるがどこかウェディングドレスみたいだと私に思わせた。
着飾った私を広場に連れていくのは恋人であるあの騎士で。
「どうかしら」
もちろん返事はなく、腕につけられた鎖を引っ張られるだけ。
“もっと早くこの姿になれたなら、手くらいは繋いでくれたかしら”
罪人として処刑場である広場に連行されながら、あまりにも場違いな事を考える。
広場は既に溢れんばかりの人々でごった返していて――
「さっさと死ねぇ!」
「お父さんを返せ!」
「ざまぁみろ!」
口々と沢山の暴言と、そして大量の石が投げられた。
小さな石が何個も当たるが、それでも私は前を向き真っ直ぐ歩く。
目の前には私を連れる彼の背中があって。
“私のとばっちりで彼まで石に……”
ガツガツと石が彼にも当たるが、それでも彼は避けることもせず歩き続ける。
その姿が私を守る盾みたいに思え、やっぱり彼が好きだとそう実感した。
“ありがとう、貴方のおかげで私は堂々と旅立てます”
人々ににこりと微笑むと、皆が息を呑んだのがわかった。
さようなら、私の人生。
ありがとう、私の一方的な恋人。
断頭台に押し付けられるように座らされる。
私は目を閉じなかった。
“最期に彼の姿を、もう一目――”
首を切られたお姫様の亡骸は、城門前に晒された。
そこには既に殺された家族の首もあったが、既に獣が食い散らかしたせいで無惨だった。
“彼女もすぐにこうなるだろう”
同情ではない。
もちろん愛なんかでもない。
それでも俺は足元の花を摘み、彼女の亡骸にそっと添えた。
――この感情の名前を、きっと俺は生涯知ることはないのだろう。