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29.毒入りの葡萄ジュース

 学園に入学した初夏、アルシェ公爵領でクラリス嬢とセドリック殿の結婚式が行われた。

 セドリック殿の元上司として招かれたお義父様も断るわけにはいかず、わたくしもお義母様もお義兄様も一緒にアルシェ公爵領に向かった。

 アルシェ公爵領までは列車で行って、列車の駅からお屋敷まで馬車で向かう。馬車の中からはアルシェ公爵領の領民が領主の結婚を祝っている様子が見えていた。

 町は花で溢れ、人々がさざめく。


「新しい領主様が正式なアルシェ公爵領の領主様になってよかった」

「これでアルシェ公爵領も安心だ」


 元アルシェ公爵夫人はアルシェ公爵領の経営も傾けていたようだ。それをクラリス嬢の更生と共に立て直したのがセドリック殿だ。王宮の文官としてもとても優秀だったと聞くが、セドリック殿はアルシェ公爵領でもその手腕を発揮していた。


「公爵夫人となられるご令嬢の詩集を読んで今日は祝おう」

「詩集も我が領地に誇る印刷物だ!」


 詩集に関してはどうしてこんなに売れているのかわたくしにはよく分からない。

 貴族の嗜みなのかもしれないが詩の内容もよさもよく理解できないのだ。

 詩集を出版するということはセドリック殿はクラリス嬢の詩を理解しているようだし、領民もそれを受け入れているようなので何も言わないことにする。


 アルシェ公爵家に入るとわたくしたちバルテルミー一家は客間に通された。客間で身支度を整えると、広い庭で結婚式に立ち会うことになる。今日の結婚式は庭で行われるようだった。


 白いタキシードを着たセドリック殿が純白のドレスにヴェールを被ったクラリス嬢の手を引いて現れる。


「わたし、セドリック・マチスはアルシェ家に婿に入り、クラリス・アルシェと共にこの領地を治めていくことを誓います」

「わたくし、クラリス・アルシェは、セドリック・マチス様と結婚し、共にこの領地を治めていくことを誓います」


 二人が誓って指輪を交換する。

 結婚式でアルシェ家に招かれているのは、セドリック殿の関わりのあった方ばかりのようだ。元はセドリック殿は王宮で文官をしていたのだ。その交友関係は広かったであろう。

 結婚の誓いを挙げた二人に拍手があがり、花びらが撒かれた後を二人が屋敷まで歩いて行く。


 屋敷の中では昼食会の準備がされていた。

 大広間に椅子やテーブルを用意して、決められた席順に座っていく。わたくしたちのテーブルは前の方だった。


 クラリス嬢とセドリック殿がテーブルを回ってお酒を注いで、挨拶をして回っている。


「バルテルミー公爵夫妻、マクシミリアン様、アデライド嬢、ようこそいらっしゃいました」


 わたくしたちのテーブルに来たセドリック殿が挨拶をする。


「アデライド嬢、お手紙をお送りしてよかったですわ。わたくし、セドリック様と出会うまでわたくしのしていたことがどれほど無作法だったか知らずにいました。母も家庭教師もわたくしが正しいとずっとわたくしの味方だったのです。セドリック様に出会ってから、わたくしは本当に貴族の娘になれた気がします」

「クラリス嬢がお幸せなようでよかったです」

「セドリック様とは年の差はありますが、わたくし、本当に尊敬しておりますの。セドリック様こそわたくしの運命の相手。結ばれるべきお方だと信じています」


 まだ「運命の相手」などということは言っているようだが、それが国王陛下の認めた婚約者であるセドリック殿なのでわたくしはそれに突っ込まないようにした。

 グラスに葡萄酒を注いでいくクラリス嬢とセドリック殿に、わたくしが口を開く。


「わたくしはまだ葡萄酒は飲めません」


 わたくしはまだ十二歳だ。葡萄酒は飲めないことになっている。この国は食事と一緒ならば十五歳からお酒を飲んでいいことになっているが、わたくしはまだその年齢に到達していない。


 それに気付いたクラリス嬢がそばに控えている侍従に飲み物を持って来させようとすると、それよりも早く一人の侍従が葡萄ジュースの入ったグラスを持ってきた。

 葡萄ジュースの入ったグラスを受け取ったクラリス嬢に、わたくしは嫌な予感がする。この侍従はわたくしが葡萄酒を飲めないことを先に知っていて用意していたようではないか。何かが怪しい。

 葡萄ジュースの香りを嗅いでみると、甘い中に何か普通と違うような匂いがする。


「そこの侍従、この葡萄ジュースを一口飲んで見せなさい」

「え……いえ、その……」

「セドリック様、この侍従はこのお屋敷で雇っているものですか?」


 厳しくわたくしが追及すると、セドリック殿がその侍従を逃げられないように二の腕を掴み上げた。侍従は震えている。


「この侍従はこの屋敷で雇っているものですが、元アルシェ公爵夫妻がいたころから雇われていたものです」

「この葡萄ジュースを調べてください」


 逃げようとする侍従をしっかりと捕まえて許さないセドリック殿。侍従は悲鳴を上げて披露宴会場が披露宴どころではなくなる。


「お許しください。わたくしは元アルシェ公爵夫人に脅されて……」

「この葡萄ジュースに何を入れたのですか?」

「ど、毒です……」


 やはり元アルシェ公爵夫人の狙いはわたくしになっていた。

 葡萄ジュースのグラスには毒が仕込まれていた。

 この結婚式に参加する中で葡萄酒が飲めないのはわたくしだけのようなので、わたくしに順番が回ってきたときに毒入りの葡萄ジュースを手渡すような手はずになっていたのだ。


「結婚式を中断します。毒殺未遂事件が起きるなど」


 ざわめく客人たちの中、セドリック殿はきっぱりと告げて、警備兵を呼んで毒の入った葡萄ジュースは調べさせて、毒を入れた侍従は引きずるようにして別の部屋に連れて行く。

 クラリス嬢がそれを追いかけ、わたくしとお義兄様と両親もそれを追いかける。


 警備兵に取り押さえられた侍従は真実を話していた。


「貧しいわたくしを侍従にしてやったのは自分だと元アルシェ公爵夫人が手紙を送ってきて、もし毒をバルテルミー公爵令嬢の葡萄ジュースに入れなければ、わたくしの家族の使う水飲み場に毒を仕込むと脅したのです」


 手紙にはわたくしに飲ませるための毒も一緒に入れられていたという。

 泣きながら手紙を取り出した侍従に、セドリック殿が鋭く警備兵に告げる。


「元アルシェ公爵夫人を毒殺未遂の罪で捕らえよ! 手紙を証拠として王宮に送る。元アルシェ公爵夫人の裁きは国王陛下にお任せする」


 バルテルミー家の養子とは言え娘を毒殺しようとしたのだ。元アルシェ公爵夫人は厳罰に処せられるだろう。恐らくは一生牢獄で暮らさねばならなくなる。


 これでなんとか元アルシェ公爵夫人の件は片付いたか。

 ほっと息を吐いて会場に戻るわたくしにクラリス嬢が謝る。


「あの方と血が繋がっていると思うと恥ずかしいのですが、わたくしの母が申し訳ありませんでした」

「クラリス嬢はもう心を入れ替えたのです。子は親を選ぶことができません。これからはセドリック殿の言葉に真摯に耳を傾け、共に領地を治めてください」

「ありがとうございます、アデライド嬢」


 涙ぐんでいるクラリス嬢はセドリック殿に手を引かれて会場に戻った。


「元アルシェ公爵夫人が、アルシェ家の侍従を脅し、バルテルミー公爵家のアデライド嬢の葡萄ジュースに毒を入れて飲ませようとした。この件に関しては警備兵が調べを行っているし、元アルシェ公爵夫人の書いた直筆の手紙が証拠としてある。元アルシェ公爵夫人は捕らえられて、王都で裁きを受けるだろう。オーギュストとクラリス嬢の教育を誤った罪と合わせて今度は決して許されない。元アルシェ公爵夫人は投獄されることとなるだろう」


 セドリック殿は起きた出来事をはっきりと会場で明らかにし、二度とこのようなことが起きないように徹底すると告げて、結婚式を再開した。

 それ以後も全てのテーブルに毒見役が付き、結婚式で毒殺事件が起きないように目を配られた。

 また毒を誰かが盛られるようなことはなくて、わたくしはその後は問題なく結婚式を楽しむことができた。


 前回の人生でお義兄様を毒殺したのはやはり元アルシェ公爵夫人だった。

 今回の人生ではその毒牙がわたくしに向けられた。しかし、わたくしはそれを予期して警戒していたので無事だった。


 結婚式が終わってわたくしたちが王都の別邸に帰ってから、元アルシェ公爵夫人の死を聞いた。

 元アルシェ公爵夫人は計画が露見した後に、捕らえに来た警備兵の前で毒を飲んだというのだ。

 それが本当の話か分からない。

 もしかすると元アルシェ公爵が、元アルシェ公爵夫人のやったことを悔いて毒を飲ませたのかもしれない。

 真実は闇の中だが、わたくしたちは元アルシェ公爵夫人の陰に怯えなくてよくなったのだった。


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