ヴィルヘルム殿下がバルテルミー家にやってきたのは、お義父様とお義母様が動き出した後の週末だった。
手合わせをしたいということで訓練用の服を着たヴィルヘルム殿下に、お義兄様が模擬剣を手に取って握手をする。ずっと手合わせがしたいと申し込んできていたが、ヴィルヘルム殿下も第二王子として多忙だったし、学園もあったので実現していなかったのだ。
お義兄様とヴィルヘルム殿下が構える。
剣術の先生が「始め!」の号令をかけても、二人はすぐには動かなかった。
ダヴィド殿下も一緒に来ていて、わたくしと二人でハラハラしながらヴィルヘルム殿下とお義兄様の手合わせを見詰める。
最初に切り込んだのはヴィルヘルム殿下だった。
細身のヴィルヘルム殿下は身軽で、大柄なお義兄様よりもフットワークが軽い。切り込まれてお義兄様は何度も模擬剣で弾いているが、少しずつ体力を削られているのは間違いなかった。
軽い動きでヴィルヘルム殿下が切り込む。
お義兄様はそれを弾いて、ヴィルヘルム殿下の胴に切り込もうとした。
訓練用に胴当てを付けているが、当たったらかなり痛いのではないだろうか。
思わず息を飲んだわたくしとダヴィド殿下に、ヴィルヘルム殿下は寸でのところで避けていた。
それでも体勢を崩したところにお義兄様の追撃が入る。
ヴィルヘルム殿下の首元に模擬剣が突きつけられて、勝負はお義兄様の勝ちになった。
勝負がついたところでお義兄様とヴィルヘルム殿下は着替えて、汗も拭いて、お茶の席に着く。わたくしとダヴィド殿下はお義兄様とヴィルヘルム殿下を尊敬の眼差しで見つめていた。
「見事な勝負でしたわ」
「ぼくが情けないところを見せてしまったかな」
「そんなことないです、兄上。とても格好よかったです」
「ありがとう、ダヴィド」
菫色の目をきらきらと煌めかせるダヴィド殿下にヴィルヘルム殿下も微笑んでいる。
和やかな時間は長くは続かなかった。
「クラリス嬢のこと、学園でも噂になっているよね。バルテルミー家としては、家名に泥を塗られたようなものだ」
「両親もクラリス嬢との婚約を考え直したいと国王陛下に手紙を送っています」
「その話も父上から聞いたよ。クラリス嬢の奇妙な手紙も添えられて、父上は大いに困惑していた」
そもそも国王陛下がバルテルミー家とアルシェ家の婚約を許さなければこんなことにはなっていなかったのだが、国王陛下もクラリス嬢が生まれた時点ではクラリス嬢がこんなことをしでかすだなどということは分からなかったのだろう。
「アルシェ公爵夫人がバルテルミー公爵家とは話が付いているから、婚約を進めてほしいと言われて、父上は了承してしまったことを悔いているようだよ」
「この婚約はアルシェ公爵夫人が一方的に結んだものですからね」
「自分にも責任があると父上はお考えのようだ。それにアルシェ公爵夫人の行動も気になる」
息子のオーギュスト様が幼女趣味で小さな貴族の令嬢を毒牙にかけてお金で口封じをしていたとか、平民の幼女を買って乱暴を働いたとか、証拠は大量に集まってきている。国王陛下がそれを断罪しないわけにはいかなくなっているのだ。
お兄様という婚約者がいながらクラリス嬢は平民の特待生を脅して無理やり自分の恋心に付き合わせているし、アルシェ公爵家は子どもの養育に失敗したとしか思えない。
その元凶がアルシェ公爵夫人だとすれば、アルシェ公爵夫人に表舞台から去っていただかなくてはこの事態はどうにもならない。
アルシェ公爵夫人がお義兄様に手を出せないようにならないと、お義兄様が毒殺される可能性はまだまだ残っているのだ。
お義兄様の死をわたくしはもう一度経験したくなどなかった。
「子どもの養育は親の責任でもありますわ。アルシェ公爵夫人に沙汰がくだされないのでしょうか」
わたくしが恐る恐る口に出してみると、ヴィルヘルム殿下もお義兄様もダヴィド殿下も悩んでいる様子だった。
「アルシェ公爵夫人が決定的な失態を父上の前でしでかせば、当然沙汰が下されるだろうね」
「オーギュスト殿の件も父上は頭を痛めています。オーギュスト殿はアルシェ家を継がせるわけにはいかないと」
そうなるとアルシェ家を継げる人材がいなくなる。
ヴィルヘルム殿下とダヴィド殿下の言葉にわたくしは考える。
オーギュスト様がアルシェ家を追い出されれば、他の誰かがアルシェ家の養子になるか、そうでなければアルシェ家は取り潰しになってしまう。養子になった方がアルシェ家を正しい方向に導ければいいのだが、アルシェ公爵夫人がいる限りは難しいのではないだろうか。
そのときわたくしの頭に一つの考えが閃いた。
「クラリス嬢の婚約が白紙に戻されれば、クラリス嬢は婿をもらって、その方にアルシェ家を治めてもらえばいいのではないですか?」
そのときには、アルシェ公爵夫妻は引退してもらって、アルシェ公爵家は完全に婿の支配下に置く。アルシェ公爵家の婿を国王陛下の信頼できる方にしてもらったら、全てが大団円で終わるのではないだろうか。
「それはクラリス嬢に甘すぎる処分かもしれない」
「国王陛下の信頼のおける文官に婿に入ってもらうというのはアルシェ家にとっても、クラリス嬢にとっても悪い話ではないと思うのです」
その相手をクラリス嬢が愛していなかろうと、政略結婚とはそういうものだ。
これならばアルシェ公爵夫人も表舞台から消えるし、クラリス嬢はアルシェ家を継ぐ相手と結婚することになって、アルシェ公爵夫人の逆恨みもある程度は避けられるのではないだろうか。
これはクラリス嬢のためではない。
お義兄様が毒殺されないようにするための処置なのだ。
「父上にその話、相談してみよう」
「ありがとうございます、ヴィルヘルム殿下」
「アデライド嬢はマクシミリアン殿の婚約が白紙に戻った後は、マクシミリアン殿と婚約するのですか?」
ダヴィド殿下の問いかけに、わたくしはお義兄様の方をちらりと見る。お義兄様はあいまいな表情をしている。
「それはまだ分かりません。そうなる可能性もあるということだけはお伝え出来ます」
その件に関してはお義兄様は言葉を濁していた。
まだクラリス嬢の件が治まっていないのに、次の婚約者の話をされてもお義兄様も困るだろう。
わたくしはお義兄様との婚約は大歓迎なのだが。
だって、お義兄様は素晴らしい方だし、クラリス嬢のような方と婚約させられてずっと諫めるのに疲れていらっしゃるので、わたくしならばお義兄様を癒すことができる。
わたくしはお義兄様が大好きなのだから!
ヴィルヘルム殿下とダヴィド殿下の視線がわたくしに向いている気がする。
「マックスが婚約しないなら、ぼくが父上に頼もうかな」
「兄上、それは抜け駆けです! わたしが!」
なぜか兄弟で言い争いになっているが、わたくしは王家に嫁ぐとなると、ますますバルテルミー公爵家の貴族社会での権力のバランスが崩れてくるので、お義父様もお義母様もそんなことはしないと確信していた。
「ヴィルヘルム殿下、ダヴィド殿下、アデライドはまだ七歳なのです。からかわないでやってください」
「からかったつもりはないのだが」
「わたしは本気ですよ」
真面目な顔をしていった後で、ヴィルヘルム殿下とダヴィド殿下はお義兄様と顔を見合わせて笑っていた。
「アデライド嬢は可愛いけれど、マックスが大事にしているから、手を出したら親友を辞めてしまいそうだな」
「手を出すとはなんですか。アデライドはまだ七歳なのです」
何度もわたくしの年齢を繰り返すお義兄様に、ヴィルヘルム殿下はずっと笑っていた。
やはり冗談だったようだ。
わたくしはほっと胸を撫で下ろした。