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20.クラリス嬢のポエム

 アルシェ家でのお茶会の当日。わたくしが初めて平民の特待生であるジャンに会う日だ。

 前の人生ではジャンとは全く接点がなかったので会わなかったし、お義兄様の口からもジャンのことが出て来ることはなかった。

 学園に入学してからクラリス嬢とジャンの噂は聞いていたが、お義兄様というものがありながら平民の特待生に現を抜かすクラリス嬢を軽蔑しただけで、ジャンのことを探ろうとは思っていなかった。


 朝食時にお義父様とお義母様はわたくしに言った。


「オーギュスト殿は謹慎ということで田舎の親戚宅で自粛してもらっている」

「アデライドがアルシェ家で会うことはありませんからね。安心してください」


 お義父様とお義母様が圧力をかけてそうさせたのだろう。わたくしの膝を撫でた手の感触はよく覚えているし、もう二度とあの手に触られたいとは思わなかったので、わたくしはお義父様とお義母様の配慮をありがたく受け入れたのだった。


 軽く昼食を食べてからわたくしはお義兄様と一緒に馬車に乗ってアルシェ家の王都の別邸に向かう。馬車に乗るときに五歳のときよりは若干楽になっていたが、まだまだステップが高いのでお義兄様の手を借りた。お義兄様はエスコートもスマートで格好よかった。


 やっぱりクラリス嬢にお義兄様はもったいない!

 わたくしがお義兄様を大事に幸せにします!


 決意を新たに、決戦に挑むつもりでわたくしは馬車の中でお義兄様と一緒に座っていた。

 わたくしがまだ小さくて馬車の床に足が届かないので、お義兄様はわたくしの隣りに座って、わたくしが落ちないように気を付けてくださっていた。


「オーギュスト様がいないとしても、わたしのそばを離れてはいけないよ」

「はい、お義兄様」

「アルシェ公爵夫人が何を言って来るか分からないからね」


 オーギュスト様がいなくても、アルシェ公爵夫人はお屋敷の中にいる。小さなお茶会なので子どもだけのはずだが、アルシェ公爵夫人は主催のアルシェ家の女主人なので顔を出さないとも限らなかった。


 お義兄様がわたくしを守るように、わたくしもお義兄様を守れないだろうか。


 この小さな体と十三歳の頭脳しかないわたくしが恨めしい。

 それでもできることは何でもしようとわたくしは心に決める。


 アルシェ家に着くと、クラリス嬢が迎え入れてくれた。

 クラリス嬢のドレスはミルクティー色で白い襟と袖と裾のレースがアクセントになっている。わたくしは七歳のわたくしのために仕立てられた空色にピンクが差し色になっているドレスだった。

 先にお義兄様が馬車から降りて、わたくしの手を取ってステップを降ろしてくださると、クラリス嬢が挨拶をする。


「本日のお茶会にお越しくださってありがとうございます」

「お招き下さってありがとうございます」

「本日はよろしくお願いします」

「お茶会は子どもだけですし、無礼講としたいと思うのですわ」

「それはやめた方がよろしいかと」

「マクシミリアン様は遊び心がないのですね。つまらないですわ」


 婚約者に向かってそんなことを言うのも信じられないし、貴族のお茶会で無礼講などと言い出すのも信じられないのだが、クラリス嬢はお義兄様に本当につまらなそうに言ってそばを離れて行った。

 お茶会の会場に招かれると、同級生として招かれているヴィルヘルム殿下のお姿があった。今日はダヴィド殿下はご一緒ではないようだ。


「マックス、アデライド嬢、来たのか。令嬢が令嬢らしく、猿のような振る舞いをしないか見届けに来たのだが、マックスの婚約者じゃないとぼくもこんなお茶会に出席しないよ」


 クラリス嬢に聞こえても構わないように言っているのは分かるのだが、当のクラリス嬢は黒髪に青い目のジャンに近付いて声を掛けていた。


「本日はようこそお越しくださいました。わたくし、あなたとお話をしてみたかったのです」

「こ、公爵令嬢とお話ができるような身分ではありませんので、どうか、他の方と楽しんでください」

「遠慮はいりませんわ。今日は無礼講にしたいくらいですもの」

「無礼講など、恐れ多いことです。わたしは招いていただいただけでありがたく思っています」


 クラリス嬢とジャンの会話を聞いているとなんだか違和感がある。

 クラリス嬢はジャンに興味を持ってぐいぐいと接近しようとしているようだが、ジャンはクラリス嬢に近付くのも恐れ多いと思っているようなのだ。

 わたくしは前の人生ではジャンの動向を探ることができなかったが、これはもしかして権力に押されて、無理やり付き合わされているだけなのではないだろうか。


「わたくしの隣りに座るといいですわ。わたくし、市井での暮らしに興味がありますの。わたくしが読んだ恋愛小説では、平民と貴族が恋に落ちる話も多かったですわ」

「そ、それは物語の中のできごとですから」

「緊張なさっているのね。薔薇の蕾のように震えて可愛らしい方ですわ」


 薔薇の蕾のように震える?


 薔薇の蕾は震えるのだろうか。

 ついつい真顔になって考えてしまった。

 オーギュスト様がわたくしを見て「妖精さん」と言ったように、アルシェ公爵家の方は表現が独特な気がする。


「ジャン殿はご家族は?」

「殿などやめてください。呼び捨てでお願いします。家族は父と母と弟が一人います」

「わたくしたちは同じ学園の生徒ではないですか。ジャン殿と呼んでどこが悪いのでしょう」

「恐れ多いです」


 平民を「殿」と呼ぶなんてありえない。貴族として自覚がないようにしか思えないクラリス嬢の振る舞いに、お義兄様もヴィルヘルム殿下も遠巻きに見て呆れている。


「平民の特待生は嫌がっているのではないかな」

「権力を笠に着て好き勝手振舞っているようにしか見えませんね」

「あ! 何か手渡しましたよ」


 観察しているヴィルヘルム殿下とお義兄様とわたくしの前で、クラリス嬢はジャンに何かを手渡した。ジャンは受け取りを固辞しようとしているが、ぐいぐい押し付けられて仕方なく受け取ったようだった。


 部屋の隅に行ったジャンにわたくしとお義兄様とヴィルヘルム殿下も近付く。

 ジャンは手紙を手にしていた。


 手紙を読んで顔面が蒼白になっているジャンに、ヴィルヘルム殿下がそっと囁く。


「君には処理できないものじゃないのかな? 見せてごらん」

「だ、第二王子殿下!?」

「ちょっと失礼」


 ジャンから手紙を取り上げたヴィルヘルム殿下が中身を読む。それから微妙な顔でお義兄様とわたくしに見せてくる。


『ジャン・リトレ殿。

 あなたを見た瞬間、キューピッドが運命の矢をわたくしに刺したのを感じました。わたくしの心の薔薇の蕾が、今花開こうとしています。蕾の中には恋の妖精さんが眠っていて、熱いベーゼを待っているのです。いつかあなたに届けてほしい、わたくしの心に咲く薔薇の花を。

 クラリス・アルシェ』


 これは何なのでしょう。

 よく意味が分からないのですが、恋文ということでよろしいのでしょうか?

 ベーゼってなに?

 わたくしよく分からない。


 大いに困惑するわたくしに、ジャンが頭を抱えて床に座り込んでいる。


「バルテルミー家の若君、お許しください。わたしはアルシェ公爵令嬢に何の感情も抱いていません。話したのも今日が初めてなのです。アルシェ公爵令嬢はわたしが物珍しくてクラスにまで来ていたようですが、わたしはアルシェ公爵令嬢と言葉を交わしたこともないのです」


 言葉を交わしたこともないのに、こんな妙なポエムを書いてしまうほどにクラリス嬢は平民の特待生に心を奪われてしまったのか。

 何と思い込みが激しいのだろう。

 ジャンはどちらかと言えばそれに圧倒されて、迷惑がっている様子すらある。


「わたしは学園で勉強して、どこかいい就職先を探して、両親と弟を楽にさせてやりたいだけなのに……こんなことをされてしまうと、学園で身の置き場がなくなってしまう……」


 助けてください。


 ジャンの目が必死にお義兄様に縋っているのがよく分かる。

 権力というのはときに暴力的なのだとクラリス嬢は理解していないのだ。権力を笠に着ればジャンに迫るのを断れなくしてしまうのは簡単だ。

 前の人生ではジャンという人物にそれほど接触していなかったから分からなかったが、ジャンはクラリス嬢との関係を歓迎していないどころか、迷惑と思っている様子だった。

 それもそうだろう。公爵令嬢との恋など叶うわけがないし、婚約者のお義兄様に睨まれてしまえば学園にいることすら危うくなってしまう。


「この手紙はわたしが処理していいかな?」

「お、お願いします」


 震えながらジャンはお義兄様に手紙の処理を任せていた。

 これでクラリス嬢がジャンに近寄ろうとしている証拠の一つが手に入った。


「それにしてもほぼ初対面からこれとは……」


 沈痛な面持ちで額に手をやるお義兄様に、わたくしも意味の分からないポエムを思い出しながら苦々しい表情で紅茶を飲んだのだった。


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