お義兄様が学園に入学してから、平日は学園に通う日々が続いている。
わたくしは勉強も算数が入ってきたり、少し難しい単語も覚えるようになってきたり、乗馬を始めたり、忙しく過ごしていた。
乗馬はお義兄様が使っていた大きな馬は使えないので、わたくしの体型に合わせたポニーが用意された。ポニーに乗って乗馬の練習をするのは土曜日と決められていたので、お義兄様が学園に通い出して初めての休日の土曜日の午前中、わたくしはお義兄様と一緒に乗馬のために牧場への馬車に乗っていた。
「学園生活はどうですか?」
「身分で寮もクラスも完全に分けられているから、ヴィルヘルム殿下とクラリス嬢とは同じクラスだよ」
「平民の特待生の方は違うクラスなのですか?」
「一番下のクラスだね」
クラス分けは成績ではなく身分できっちりと分けられている。
学園内が平等とはいってもそれが建前だけで、実のところしっかりと身分主義なのがよく分かる。
三つある寮も公爵家や侯爵家の入る寮と、伯爵家や子爵家の入る寮と、男爵家や平民の入る寮と分けられているようだ。
寮にもグレードが会って公爵家や侯爵家が入る寮は一人一部屋使えて、お風呂も整っているが、その下の寮はお風呂はシャワーを共同だったり、シャワー室もカーテン一枚で区切られているようなところもあるというのだ。
わたくしは学園に入学していたが、バルテルミー公爵家の王都の別邸から通っていたし、一年生で同じような身分の相手としか同じクラスにならなかったので、寮の詳細まではよく知らなかった。
身を乗り出して聞いていると、お義兄様の表情が苦々しくなる。
「クラリス嬢は平民の特待生に興味を持っているのか、話が聞きたいとお茶に招いていた」
「クラリス嬢は平民の暮らしに興味がおありでしたものね。特待生の方はお茶に行くと返事をされたんですか?」
「恐縮して返事はしていないと聞く。平民が公爵家のお茶に招かれても困るだろう」
わたくしたち貴族は幼いころからマナーを叩きこまれている。
人生が巻き戻ってしまって中身が十三歳のわたくしも、体は七歳だが、しっかりとマナーの講師がやってきて平日は毎日マナーのレッスンを受けている。
それ以外に乗馬、ピアノ、声楽など、教養の範囲で貴族としてできて当たり前のことはしている。お義兄様はヴァイオリンを習っておられた。お義兄様のヴァイオリンはものすごく上手で、わたくしのピアノと合わせてくださることもあるのだ。
ちなみに、十三歳のわたくしは、音楽ではピアノの授業で一番になるくらいの腕前で、七歳の小さな手でもなんとか難曲と言われる曲を弾きこなしていた。
「お義兄様、平民の特待生の方は馬に乗れるのですか?」
「乗馬の授業にはついて行けてなくて苦戦していると聞いている」
「剣術は得意なのですか?」
「剣術の授業も学園に来て初めて習うと苦戦しているらしい」
それならば音楽など全くできないのではないだろうか。
前の人生ではお義兄様の婚約者に平民の特待生が近付いているのは聞いていたが、情報も碌に集めることはしなかった。それだけ平民の特待生はわたくしの眼中になかったのだ。
お義兄様もそうだったはずだ。
「お義兄様、詳しいのですね」
「アデリーがクラリス嬢との婚約を白紙に戻すことを提案してくれたから、クラリス嬢のことは気を付けて見ているようにしているよ」
さすがお義兄様!
頼もしい共犯者です!
「平民の特待生はアルシェ家のお茶に招かれるでしょうか?」
「クラリス嬢がどうしても話を聞きたいと言っているから、押されて招かれるんじゃないかな。そのお茶会にどうやらわたしやアデリーも招きたいようなんだ」
「わたくしやお義兄様を!?」
平民の特待生と二人きりのお茶会というのは外聞が悪いし、お義兄様という婚約者がいるのに申し訳ないと思う心がクラリス嬢にもあったのかとわたくしは驚いていた。
クラリス嬢がわたくしやお義兄様を招待するのであれば、平民の特待生との会話を聞いて下調べができる。
「お義兄様、招待されたら参りましょう」
「アデリーがそう言うのならば。本当はアルシェ家に行くのはあまり乗り気ではないんだけどね」
オーギュスト様とアデリーが会ってしまうかもしれない。
お義兄様の言葉にわたくしは膝を撫でられたことを思い出してぞっとする。謹慎させられているとはいえ、オーギュスト様はアルシェ家では自由に過ごしているはずだ。社交界に出られないので貴族とは会えないが、下町に出て平民の幼女を毒牙にかけているかもしれない。
寒気がしたわたくしの肩をお義兄様が優しく抱き締めてくれる。
「アデリーのことはわたしが守るよ」
「お義兄様……」
こんなに優しいお義兄様がいながら、これから平民の特待生に心奪われるクラリス嬢が信じられない。
考えているうちに馬車は牧場についていた。
乗馬服を着たわたくしとお義兄様は、立派な大きな馬とポニーを用意されて、お義兄様が大きな馬に、わたくしがポニーに乗る。わたくしはまだポニーを歩かせるのが精一杯で、走らせることはできなかったが、お義兄様は颯爽と大きな馬を走らせている。
格好いいお義兄様の姿に憧れつつ、わたくしは黙々とポニーを歩かせた。七歳になってやっと一人で乗れるようになったのだ。それまでは乗馬の先生が手綱を引いてくれるのに、乗っているだけだった。
「アデライドお嬢様、上手になってきましたね。ポニーもよく懐いています。八歳になられたら、ポニーを走らせることも練習していきましょう」
「はい、よろしくお願いします」
乗馬の先生に褒められてわたくしは素直に返事をする。
ポニーを走らせることができるようになったら、次は大きな馬に乗れるようになる。
前の人生では十歳くらいでやっと大きな馬に乗せてもらっていたので、それくらいまでは待たなければいけないが、お義兄様の背中を追いかけて走れるようになるのも夢ではなかった。
乗馬の練習が終わるとわたくしとお義兄様はお屋敷に帰る。
お屋敷に帰ると昼食の時間で両親がわたくしとお義兄様を待っていてくれた。土曜日と日曜日はお義父様とお義母様も休みを取って、わたくしとお義兄様と一緒に過ごしてくださるのだ。
「マクシミリアンとアデライドにアルシェ家のクラリス嬢からお茶会のお誘いが来ていたよ」
「クラリス嬢のお誕生日でもない私的な小さなお茶会なので、お断りしてもよいのですが、マクシミリアンはクラリス嬢の婚約者ですからね」
お義兄様がクラリス嬢の婚約者であることが認められないような様子のお義母様に、わたくしはお義兄様の顔を見る。
お義兄様は落ち着いてフォークで昼食の白身魚のソテーを切って口に運び、咀嚼して飲み込んでから、膝の上のナプキンの端で口を拭いた。
「クラリス嬢は謹慎が解けたのでお茶会を開きたいのでしょう。学園の同級生も招かれていると聞いています。わたしも参加しないわけにはいかないでしょう」
「アルシェ家に可愛いアデライドを行かせて大丈夫だろうか」
「アデライドが嫌な思いをしなければいいのですが」
お義父様とお義母様はわたくしのことを心配してくださっている。アルシェ家にはオーギュスト様がいるからだろう。
わたくしは背筋を伸ばしてお義兄様の顔を見詰める。
「できるだけお義兄様と一緒にいますし、謹慎を言い渡されているオーギュスト様がわたくしに手を出してくるようなことはないと思いますわ」
前の人生ではオーギュスト様はわたくしを狙ってこなかった。それは公爵家の娘で、クラリス嬢の婚約者の義妹だったからだろう。前回の件でオーギュスト様は謹慎を言い渡されたので、これ以上わたくしに近付いてこないと信じたい。
「アデライドはわたしが守ります。クラリス嬢に何を言われようと、いつもアデライドの姿が見える場所にいます。手洗いに行ったら、廊下でアデライドが出て来るまで待っています」
「マクシミリアン、アデライドを頼むよ」
「マクシミリアン、アデライドにもうあんな思いはさせないでくださいね」
お義父様もお義母様もわたくしのことを本当に大切に思ってくださっているのだということがよく分かる。
わたくしも白身魚のソテーを食べながら、両親の愛に感謝していた。