ヴィルヘルム殿下の誕生日のお茶会から、クラリス嬢との手紙のやり取りは続いて、わたくしは七歳になり、お義兄様は十二歳になった。
春、入学の季節だ。
そのころにはお義兄様は成人男性くらいの身長になっていた。
新入生の中では一番大きいのではないだろうか。
お義兄様は冬の間に学園の制服の採寸を終えていたが、体がもっと大きくなることを考えて大きめの制服を注文していた。春になって入学式に臨むお義兄様の制服はぴったりだった。
入学式には家族も出席できる。
わたくしはお義父様とお義母様にお願いして入学式に行かせてもらった。
貴族の子息令嬢が通う学園なので、入学式にも席が用意されている。バルテルミー公爵家はお義父様が王弟なので、国王陛下一家に続いて広い席を用意されていた。
お義父様とお義母様と並んで椅子に座ると、前が全然見えない。七歳のわたくしは、昔から体の大きなお義兄様と違って普通の七歳児と体格が変わらない。女の子は男の子よりも成長が早いというが、わたくしはお義兄様と比べてしまうのでどうしても小柄な印象があった。
一生懸命伸びあがって新入生の席を見ようとするが見えないわたくしに、お義母様が膝に抱き上げてくれる。七歳にもなってお膝に抱っこされるのは少し恥ずかしかったが、それよりも新入生の席を見たい気持ちが勝って、わたくしはお義母様のお膝の上に座った。
「マクシミリアンが新入生の挨拶をしますよ」
「マクシミリアンは新入試験首席だったからね」
お義兄様の勇姿は見ておかなければいけないけれど、今日はクラリス嬢とジャンが出会う日でもある。それをしっかり見届ければいいのだが。
「新入生挨拶、マクシミリアン・バルテルミー」
「はい」
椅子から立ち上がったお義兄様は、座っていた状態からでも頭一つ周囲より大きかったが、立つとその長身が目立つ。
しっかりとした大人のような体付きに長い手足で、お義兄様はものすごく格好よかった。これで成績まで首席なんて完璧すぎるではないか。
壇上に上がってお義兄様が挨拶をする。
「今年度より入学してきました、マクシミリアン・バルテルミーです。学園での生活を有意義なものとし、学友と共に楽しく過ごしたいと思っています。先生方、六年間どうぞよろしくお願いします。保護者の皆さま、わたしたちを見守っていてください」
挨拶を終えると一礼してお義兄様が壇上から降りていくのまでわたくしは全部を見詰めていた。
お義兄様はやっぱり最高に格好いい。
新入生の挨拶が終わって、入学式が終わるとわたくしとお義母様とお義父様はお義兄様に合流して帰ることになっていた。わたくしがお義兄様の方に走って行くと、お義兄様がわたくしの脇の下に手を入れて抱き上げてくれる。
抱き上げられるのは七歳児としてどうなのかと思うが、成人男性と同じくらいの体格のお義兄様にとっては軽々という感じだし、わたくしが七歳のころは何も疑問に思わず抱っこされていた気がするし、わたくしは気にしないことにした。
近くにあるお義兄様の顔に問いかけてみる。
「お義兄様、クラリス嬢と挨拶はしましたか?」
七歳になったのでわたくしは淑女の嗜みとして家族と話すときでも敬語で話すように気を付けていた。
「まだ挨拶をしていないのだけれど、一緒に行く、アデライド?」
「わたくしもクラリス嬢にご挨拶したいですわ」
学園の入学を以てクラリス嬢は謹慎を解かれる。謹慎していた一年半以上の期間にクラリス嬢とわたくしが交わした手紙は何通になるか分からない。かなりの量になっているはずだ。
ずっとクラリス嬢は自分が正しいと訴え、アルシェ公爵夫人も家庭教師も同じように言ってくれていたと主張していた。しかし、兄のオーギュスト様の評価に関しては、噂を聞いて心を痛めている様子だった。
婚約を白紙に戻すのは前提とするが、オーギュスト様に関してはクラリス嬢と手を結べるのではないかとわたくしは思っていた。
アルシェ公爵家の席に向かおうとしているクラリス嬢がふと足を止めた。その視線の向こうには十二歳という年齢にしてはやや小柄に思える男子生徒がいる。黒髪に青い目で髪も少し荒れた印象のある彼は、平民の特待生、ジャン・リトレではないだろうか。
クラリス嬢の視線がジャンに釘付けになっている。
「クラリス嬢、謹慎は明けたようですね。入学おめでとうございます」
「ありがとうございます、マクシミリアン様。あの方、平民の特待生の方でしょうか?」
お義兄様の挨拶に上の空で答えて、クラリス嬢はジャンを見詰めている。
「確かそうだったと思いますよ」
「きゃっ! わたくし、口に出ていたかしら。わたくしの謹慎は解けましたがお兄様は……」
「オーギュスト様のされたことをクラリス嬢はご存じですか?」
「噂では聞いています。メイドたちが話しているのを聞いてしまいました。お母様はそのメイドたちを辞めさせたけれど、お兄様がしていたことは不誠実だったとわたくしは思います」
不誠実どころか犯罪なのだが、そこまでの認識はまだないようだ。
スカートの中に手を入れられて膝まで撫でられたことを思い出してぞっとしていると、お義兄様が宥めるようにわたくしの背中を撫でてくれる。お義兄様の手は愛情に満ちていて少しも気持ち悪くなかった。
「お会いできなかった間、手紙のやり取りができて気がまぎれましたわ。ありがとうございます、アデライド嬢」
「わたくしもクラリス嬢と手紙のやり取りができてよかったと思います」
話題を変えるようにわたくしに向き直ったクラリス嬢に、わたくしは微笑んで見せる。お義兄様に抱っこされているので格好はつかないが、クラリス嬢はそんなことは気にしていない様子だった。
クラリス嬢にしてみれば七歳のわたくしなど小さな子どもに思えるのだろう。わたくしは中身が十三歳なので抱っこは少々恥ずかしい。
「マックス、これから六年間よろしく。クラリス嬢もいたのか。これから六年間どうぞよろしく」
ヴィルヘルム殿下が立ち止まって話しているお義兄様とクラリス嬢に気付いて挨拶してくるのに、クラリス嬢は頭を下げた。
「二年前のお茶会では大変失礼を致しました」
「クラリス嬢はまだ十歳だったからね。あれから変わっただろうし、あんなことはもうしないと信じているよ」
納得していない心境を隠していそうなクラリス嬢と、釘を刺すように言うヴィルヘルム殿下が一瞬睨み合う。その間に入ったお義兄様はうんざりした顔をしていた。
こんなことがこれから続くのだろうか。
それならば一刻も早くお義兄様の婚約を白紙に戻さなければいけない。
六年間なんて待ってはいられない。
ヴィルヘルム殿下も協力してくれるし、お義兄様自身も婚約を白紙に戻すことには乗り気なのだ。
後は証拠が揃うのみだった。
ジャンに興味を持っていたクラリス嬢。
彼女がこれからどう動くかが鍵になってくる。
「わたくしはこれで失礼いたします。両親も待っておりますので」
クラリス嬢がヴィルヘルム殿下とお義兄様とわたくしに挨拶をしてアルシェ公爵家の席に向かっていく。明るい薄茶色の髪の男性はアルシェ公爵で、金髪の女性がアルシェ公爵夫人だ。二人ともクラリス嬢を笑顔で迎えていた。
アルシェ公爵夫人と一瞬目が合ったような気がしてわたくしは顔を反らす。
「婚約者ではなく妹君にご執心だなんて、大きな成りをしていても我が娘の婚約者殿はまだまだ子どもですね。抱き上げられている妹君も大きな赤ちゃんのよう」
聞こえないだろうと思ってアルシェ公爵夫人が口に出した言葉は、しっかりとわたくしの耳に届いていた。お義兄様の耳にも届いていただろう。
「自分の娘のやったことに関して、一度も謝罪せずに、父上に謹慎を解くようにしつこく手紙を送ってきた公爵夫人が何か仰られている。人間と野生の猿を同じ席には居させられないのは解りますよね?」
舌に棘をたっぷりとまぶして言葉を吐いたのはヴィルヘルム殿下だった。
「クラリス嬢はようやく他所の人と同席できるレベルに成長されたようで何よりです」
「なんとっ!?」
意味が分かったのかアルシェ夫人は扇を持つ手を震わせている。
これは「あなたのご令嬢は野生の猿以下だった」という意味である。赤ちゃん扱いされたわたくしは少し胸がすっきりする。
「ヴィルヘルム殿下、わたしたちも失礼します」
「ご入学おめでとうございました」
怒りに扇で顔を隠しているアルシェ公爵夫人を無視して、わたくしとお義兄様はお義父様とお義母様のところに戻った。
お義父様とお義母様と合流して、馬車に乗ってバルテルミー家の王都の別邸まで戻った。