王宮のお茶会に出かけるとき、わたくしは大変な困難と向き合っていた。
馬車のステップってどうしてこんなに高いの!?
わたくしの膝くらいあるのですけれど!
膝を超えるくらいの高さのステップは、優雅に上がることができない。さすがにステップに両手をついて上がってはいけないと分かっているが、五歳児の小さな体が恨めしい。
困って登れずにいると、お義兄様がわたくしを後ろから抱きかかえてくれた。
「今日のためのきれいなドレスが汚れたら、可愛いアデリーが落ち込んでしまうだろうから、ちょっと失礼かもしれないけれど許してね」
「お義兄様、助かったわ。ありがとうございます」
大人の女性くらいの身長のあるお義兄様はわたくしを抱っこしても軽々と馬車のステップを上りきってしまう。馬車に乗ると、お義父様とお義母様も乗り込んできた。
大人がお茶会をするのと別の会場で子どもだけが集められて小さなお茶会をすると決められているのだ。
王宮から出席するのはお義兄様と同じ年のヴィルヘルム殿下とわたくしの一つ年上のダヴィド殿下だ。クロヴィス殿下は十五歳で社交界デビューをしているので、大人のお茶会の方に出られるのだ。
馬車の中に座っていても、足が床に届かないのでわたくしの体は安定しない。ぐらぐらと揺れるわたくしの体を見かねてお義兄様がお膝の上に抱っこしてくださった。お義兄様に抱っこされると落ち着く。
お義兄様と一緒にいると心地よく幸福な気分になるのは、愛されている自信と、大事にされている実感があるからかもしれない。
お義父様とお義母様と過ごしても、安心感と信頼感しかない。愛されているからこそ、わたくしは大胆な計画を立てて、お義兄様とクラリス嬢の婚約を解消させて、わたくしとお義兄様が婚約してお義兄様を幸せにするのだと言い切れるのかもしれない。
王宮につくと、お義父様とお義母様は国王陛下と王妃殿下にご挨拶をしていた。
「兄上、本日はお招き下さりありがとうございます。マクシミリアンも、アデライドも今日のお茶会を楽しみにしていました」
「アデライドにとっては初めての他家でのお茶会になります。小さなお茶会にデビューさせてくださったこと、感謝いたします」
「よく来てくれた、テオドール。そなたはもう少し王宮に顔を出してくれるといいのだが」
「兄上、そのように仰ってくださってありがとうございます。また兄上に会いに参ります」
「ぜひおいでください。今日は楽しんでいってくださいませ」
会話を聞いていると国王陛下は本当にお義父様の兄君なのだと実感する。お義父様は国王陛下の実弟で、この国の第四王位継承者なのだ。そのお義父様の息子であるお義兄様がアルシェ公爵家と結び付くのがこの国の貴族のバランスを崩すというのは、お義父様とお義母様の言う通りかもしれない。国王陛下もアルシェ家に押し切られて認めてしまったが、この婚約を実は歓迎していないのかもしれないとわたくしは推測する。
お義父様とお義母様に見送られて、わたくしとお義兄様は小さなお茶会の会場に向かった。
小さなお茶会には貴族の子息、令嬢が集まっていた。
この中で一番幼いのはわたくしではないだろうか。
「マクシミリアン、アデライド嬢、ようこそ」
明るい声で歓迎してくれたのはヴィクトル殿下だった。薄いグレイのスーツを着ている。ラペルホールに瑞々しい薔薇を挿していて、とてもお洒落だ。
「おにいさま、しょうかいしてください」
「ダヴィド、この長身の美男子がぼくの親友のマクシミリアンだよ」
「はじめまして、マクシミリアンどの。ダヴィド・デムランです」
「ダヴィド殿下、お会いできて嬉しいです。マクシミリアン・バルテルミーです」
ヴィルヘルム殿下に紹介されてお義兄様がダヴィド殿下に挨拶すると、ダヴィド殿下はハーフパンツのスーツにソックスガーター姿でお義兄様に一礼する。
「こちらがマクシミリアンの妹君のアデライド嬢」
「はじめまして、アデライドじょう」
「お初にお目にかかります、ダヴィド殿下。わたくし、アデライド・バルテルミーと申します」
「かわいいかたですね……」
五歳児の体で何とかカーテシーの真似事をすると、ダヴィド殿下の頬っぺたがぽっと赤くなった気がする。わたくしはお茶会に相応しく可愛くできているようだ。
「ヴィルヘルム殿下、本日はお招きいただきありがとうございます。ダヴィド殿下、わたくしクラリス・アルシェですわ。よろしくお願いします」
わたくしとダヴィド殿下の挨拶に割って入るのもマナー違反だし、身分が上の方から声を掛けられるのが普通なのにそれを待っていなかったのもクラリス嬢はマナーがなっていなかった。
お義兄様の表情もヴィルヘルム殿下の表情も難しいものになるが、すぐに笑顔になってヴィルヘルム殿下は対応する。
「ようこそいらっしゃいました、クラリス嬢。楽しんでいってください」
「おにいさま、このかたは?」
「マクシミリアンの婚約者のクラリス嬢だよ」
「マクシミリアンどののこんやくしゃ……」
六歳のダヴィド殿下の目にもクラリス嬢は奇異に映っているのかもしれない。じっと見つめられてクラリス嬢がソファ席に座る。わたくしもお義兄様もダヴィド殿下もヴィルヘルム殿下もソファ席に座った。
ティーカップに紅茶が注がれて、クラリス嬢がわたくしに話しかけてくる。
「アデライド嬢も恋愛小説を読んだのでしょう? 感想を直に聞きたかったのです」
「わたくし、恋や愛はまだ早すぎるのかよく分かりませんでした」
「平民の女性が貴族の男性と結ばれる話もあるのですよ。平民の女性の痛快だったこと」
「平民の女性は痛快だったのですか?」
「わたくし、今日はあんな風に振舞ってみましょうか」
それはやめた方がいいのではないでしょうか。
そんな親切なことはわたくしは言って差し上げない。
クラリス嬢の動きをじっと観察する。
お義兄様とヴィルヘルム殿下は話が盛り上がっているようだ。
「剣術の先生にもう少し重い模擬剣を使ってもいいのではないかと言われました」
「マックスはまた剣術が上達したのか。ぼくも見習わないといけないね。剣術はなかなか上達しなくてね」
「剣術は練習あるのみ、鍛錬あるのみですよ」
「マックスは体格にも恵まれているからなぁ。ぼくは勝てなくなってるんじゃないかな」
「今度手合わせをしましょう」
楽しそうに話しているお義兄様とヴィルヘルム殿下は本当に仲がいいのだと思う。ヴィルヘルム殿下の話を聞いてダヴィド殿下も話に入ってくる。
「おにいさまは、マクシミリアンどのをマックスとよんでいるのですね。なんだかすてきです。わたしもマックスとよんでもいいでしょうか?」
「ダヴィド殿下に呼ばれるなら光栄です」
「うれしい! マックス、なかよくしてください」
ヴィルヘルム殿下は王妃殿下に似た銀髪に菫色の目だが、ダヴィド殿下は国王陛下に似た黒髪に琥珀色の目だ。琥珀色の目はわたくしと少し似ている。
「あなた、そのドレス、似合っていませんわね」
立ち上がったクラリス嬢が通りかかった令嬢に声を掛けているのに、わたくしもお義兄様も驚いてしまう。
確かにその令嬢は年齢よりも大人っぽいドレスを着ていたが、言い方というものがあるだろう。
「クラリス嬢、そういう言い方は失礼にあたると思います。今のドレスも素敵ですが、もう少し可愛らしいドレスだともっとお似合いになるかもしれませんね」
言い直すお義兄様に、急にドレスが似合っていないと言われて泣き出しそうになっている令嬢は、涙を引っ込めたようだった。
「そちらの方は、随分とそばかすが目立っていますね。大丈夫ですよ。そばかすの目立たないお化粧の仕方があるのです。わたくしが教えて差し上げますわ」
構わず次の令嬢に声を掛けるクラリス嬢に、そばかすを指摘された令嬢は泣き出しそうになっている。
「そ、そばかすもかわいいって、おかあさまとおとうさまは……」
「そばかすはお化粧で消せるのです。わたくしに任せて!」
「クラリス嬢、そのくらいでやめておきましょうか」
止めるお義兄様に、そばかすを散らした令嬢は涙を流して走り去っていた。
何という無礼をするのだろう。
アルシェ家の公爵令嬢教育が失敗していることは明らかだった。