これからはクラリス嬢のことをお義兄様と話し合える。
このことはわたくしに大きな勇気を与えていた。
これならばクラリス嬢とお義兄様が十八歳になって学園の卒業パーティーまで待たなくても二人は婚約を解消できるのではないだろうか。お義兄様は卒業パーティーで恥をかかされることもないし、アルシェ公爵家と穏便に婚約の解消ができれば、お義兄様が殺される未来もなくなるはずだ。
クラリス嬢との手紙のやり取りは続いていた。
クラリス嬢はアルシェ家で我が儘放題のようである。
『恋愛小説の中で、主人公が行っていたケーキのお店にわたくしも行ってみたかったのです。お父様とお母様にお願いしたのですが、どうしても許してもらえませんでした。酷いと思いませんか、アデライド嬢。お父様とお母様は店に使用人を行かせてケーキを買ってこさせましたが、わたくし納得していませんの。絶対にあのお店に聖地巡礼してみせますわ』
こんなことを手紙に書いてきた日もあった。
この内容にはお義父様とお義母様も驚いていたし、お義兄様も手紙を見せると目を丸くしていた。
貴族の子息、令嬢が気軽に外出できないのはどうしようもないことだ。誘拐されたり、命を狙われたりすることがあるのだ。護衛も大量に付けなければいけないし、お忍びで行くといっても限度がある。
クラリス嬢はまだ十歳なのだ。幼すぎて護衛が付いても外出できないことは理解しなければいけない。公爵令嬢としてそれは当然のことである。
それなのに、クラリス嬢は納得できないなどと言って、市井のお店に行くと誓っている。
「アルシェ家の教育はどうなっているんだ」
「クラリス嬢にも困ったものですね」
お義父様もお義母様も呆れ返っている。
順調にクラリス嬢の評価と高感度が下がっているのはいい傾向だ。
わたくしは朝食の席でお義母様にお願いした。
「お義母様、王宮でのお茶会があるでしょう? わたくし、クラリス嬢とお揃いの髪飾りを付けていきたいの。でも、どのドレスがいいか決まらなくて。お義母様、一緒に選んでくれませんか?」
「アデライドのお願いを聞かないわけにはいきませんね。可愛いアデライドが一番映えるドレスを選びましょうね。今日の昼食後にお部屋に行きますね」
「ありがとうございます、お義母様」
自分で選ぶのにはあまり自信がなかったので、お義母様が一緒に選んでくれるのは本当に頼りになる。王宮のお茶会なのだから、失礼のないようにしておきたい。
わたくしはお礼を言って、朝食後に歯を磨いて庭を散歩した。お義兄様の剣術の稽古を見学もさせてもらったが、お義兄様は模擬剣を使って立派に戦っている。
「マクシミリアン様、上達されましたね。力も付いてきたので、もう少し重い模擬剣を使ってもいいでしょう」
「ありがとうございます、先生」
剣術の先生がお義兄様を褒めているのを聞いてわたくしも誇らしくなる。お義兄様は勉強も完璧なのに、剣術まで上達が早いのだ。なんて素晴らしいのだろう。
こんな素晴らしいお義兄様を怖がって、自分は市井での暮らしに憧れて運命の相手を待っているだなんてわたくしへの手紙に書いてくるクラリス嬢はやはりお義兄様には相応しくない。
わたくしがお義兄様に相応しいかどうかは分からないけれど、わたくしにはまだ可能性があるのだ。これから努力していけば素晴らしい公爵令嬢になれるかもしれない。努力あるのみだ。
勉強の時間が終わって、昼食後、お義母様がわたくしの部屋に来てくれた。昼食後でお腹がいっぱいで少し眠かったけれど、わたくしは頑張って起きてお義母様を迎えた。
お義母様がクローゼットを開けさせてドレスを選ぶ。
「髪飾りの空色に合うドレスがいいですよね。空色とピンクはよく合うのですが、クラリス嬢の髪飾りがピンクでしたね。そうなるとクラリス嬢はピンクのドレスを着てくるかもしれません」
ドレスのデザインがどれだけ違うとはいえ、色が被ってしまうと余程仲がよくない限りはお互いに気まずい気分になってしまう。髪飾りもお揃いなのにドレスの色までお揃いというのは避けたかったので、わたくしはお義母様の言葉の続きを待つ。
「青いドレスはいいかもしれませんね。合わせてみてください」
「はい、お義母様」
取り出された青いドレスを体に合わせてみると、お義母様の表情が曇る。
「少し色が強いでしょうか。アデライドの愛らしい薔薇色の頬が少し色あせて見えるかもしれませんね。それなら、ミントグリーンはどうでしょうか。これなら、爽やかで明るくて似合うと思うのですが」
「こちらも合わせてみるわ」
ミントグリーンのドレスを合わせると、お義母様の表情が明るくなる。手を伸ばしてわたくしの髪に軽く髪飾りを付けて、お義母様は微笑んだ。
「とてもよく似合っていますよ。この組み合わせでいいのではないでしょうか」
「ありがとうございます、お義母様」
お義母様のおかげでドレスが決まった。安心したところで小さく欠伸が出たわたくしを、お義母様はベッドに導く。
「アデライドはまだお昼寝が必要でしたね。お茶の時間まで少しお休みなさい」
「はい、お義母様、お休みなさい」
布団に入るとメイドが出したドレスを片付けてくれているのが分かる。それを見ながらわたくしはうとうとと少し眠った。
目を覚ますとお茶の時間で、わたくしはお手洗いに行って、着替えて、お義兄様と二人でお茶をする。お茶の時間はほとんどお義兄様と二人きりなのだ。
「王宮のお茶会に出席するときのドレスをお義母様と一緒に決めたわ」
「どんな可愛いアデリーが見られるか、楽しみにしているね」
「お義兄様の自慢の妹であれるように頑張ります」
「アデリーは今の時点でわたしの自慢の妹だよ」
ドレス選びでお義母様の愛も感じたし、お義兄様の愛も感じられたのでわたくしは浮かれた気分でお茶の席に着く。
紅茶を飲みながら、ケーキをフォークで食べていると、お義兄様がわたくしに微笑みかけているのが分かる。表情がなかなか分かりにくいお義兄様だけれど、わたくしはお義兄様の表情を読み取ることができる。お義兄様はわたくしと一緒で楽しそうにしてくれている。
「王宮でのお茶会、楽しみね、お義兄様」
「楽しみだけど、クラリス嬢が何かしでかさないか心配でもあるな」
「クラリス嬢は貴族の決まりが窮屈なのでしょうね」
貴族とは思えないことをクラリス嬢がしてしまいそうな予感はわたくしもしていた。その件に関しては、何か起きればしっかりとお義父様とお義母様に報告するだろう。
それがお義兄様とクラリス嬢の婚約を白紙に戻す一歩になる。
お茶の時間が終わると、わたくしはメイドに便箋を用意してもらって、クラリス嬢に手紙を書いた。敵情視察というやつだ。
『クラリスじょうへ。わたくし、おうきゅうでのおちゃかいのどれすを、おかあさまにえらんでもらいました。おそろいのかみかざりは、つけていくつもりです。クラリスじょうはどんなドレスをきるつもりですか? おうきゅうのおちゃかいでおあいできるのをたのしみにしています』
たくさん文字を書いたので手首が痛くなってしまったけれど、少しずつだがわたくしは字が上手になってきている気がしていた。五歳児の手首はどうしても制御できないが、努力して行ったら少しずつは上達してきているのかもしれない。
クラリス嬢からの返事は翌日に来た。
『アデライド嬢へ。
わたくしのことを「お姉様」と呼ばなくなったのですね。アデライド嬢の成長を感じますわ。わたくしも髪飾りはつけていくつもりです。ドレスは髪飾りに合わせてピンク色のものを着ようかと思っています。アデライド嬢が選んだのは何色でしょう? お揃いになっていると嬉しいのですが』
お義母様がピンクのドレスを選ばなくてよかった。
クラリス嬢の返事を読んで、わたくしは心からそう思っていた。