小さなお茶会のためにわたくしはドレスや髪型を決めなければいけなかった。
わたくしの部屋のクローゼットはかなり大きい。そこにぎっしりとわたくしの普段着のワンピースからドレスまでたっぷりと入っている。五歳なのですぐに大きくなって着られなくなると分かっていても、お義父様もお義母様もわたくしのためにたくさんのドレスやワンピースを用意してくれていた。
普段着のワンピースの数が多くてドレスが少ないのは、わたくしが公の場にはまだあまり出ない五歳児だからだろう。
クラリス嬢とヴィクトル殿下が来るのだから、それなりの格好でいなければいけない。
「ドレスはどれがいいかしら。髪飾りはリボンにしようかな」
呟きながらメイドが一着ずつ見せてくれるドレスを合わせていると、部屋のドアがノックされた。誰かと思ったらお義母様が入ってくる。
「アデライド、お茶会のドレスを選んでいると聞きました。アデライドの初めてのお茶会のドレスを、わたくしも一緒に選んでいいですか?」
「お義母様、選んでくれるの? とても心強いです」
お義母様が一緒に選んでくれるなら失礼のないものを選べるだろう。
若草色のドレスを差し出してくるメイドに、わたくしはドレスを受け取って合わせてみる。
「とても可愛いですね。でも、少しデザインが古いかもしれません。こちらのドレスはどうですか?」
「はい、お義母様」
お義母様がクローゼットから出してきたのは空色のドレスだった。襟と裾に今流行りのレースが施されている。とても繊細なレースなので、転んで解けるのが怖くてわたくしはまだこのドレスに袖を通したことがなかった。
「着てみてください」
「はい。手伝って」
メイドに手伝ってもらってドレスを着ると、お義母様がわたくしの髪に触れながらリボンを選んでくれる。繊細なレースのリボンはドレスの裾と襟に施されたものとよく似ていた。
「ドレスはこれを、リボンはこれがいいでしょう」
「とても素敵。わたくし、お姫様になったみたい」
「アデライドは我が家のお姫様ですよ。誰よりも可愛いアデライド」
抱き締めてくださるお義母様にわたくしも腕を回して抱き返す。お義母様のおかげでドレスもリボンも決まった。
靴は外出用のよく磨かれたストラップシューズで、靴下は白でレースの飾りがついているものに決めた。
お茶会の準備が整うと、お義母様は部屋から出て仕事に戻って行った。バルテルミー家の女主人としての仕事がお義母様にはあるのだ。
わたくしはドレスから普段着のワンピースに着替えて作戦を練る。
クラリス嬢のアルシェ家での貴族教育が、どこに出しても恥ずかしいレベルだということをはっきりとお義兄様に理解してもらわなければいけない。
公爵家同士の婚約を一方的に破棄して、平民と結婚しようだなんて考えること自体が貴族としておかしいのだ。
貴族の令嬢がどれだけの投資をされて育てられて、どの家と結び付くかで領民にどれだけ利益を還元できるかを求められているか、それをクラリス嬢は理解していなかった。十八歳でそれなのだから、十歳のころからその傾向はあるだろう。
少しずつお義兄様にクラリス嬢に幻滅してもらわなければいけない。
学園に入学した暁には、決定的な証拠を掴んで、お義兄様の方から婚約の解消を言い出すように仕向けなければ。
お茶会を前にわたくしは気合を入れていた。
お茶会の当日、クラリス嬢は公爵家の令嬢らしく紅茶色のドレスで現れた。紅茶色のドレスは明るいクラリス嬢の薄茶色の髪をよく引き立てている。靴も磨かれていて、ドレスのデザインも最新のものだった。
わたくしは空色のドレスを着ていたが、お義兄様は濃い緑のスーツ姿だった。緑色のスーツが翡翠色の知的な目によく合ってとても格好いい。
背も高くて大人のようなお義兄様にわたくしは見惚れてしまう。
やっぱりお義兄様はクラリス嬢には渡せない。わたくしが幸せにするのだと改めて強く決意した。
お茶会にやってきたヴィクトル殿下は銀髪によく合う薄紫の光沢のある白いスーツ姿だった。銀髪に菫色の瞳のヴィクトル殿下はお義兄様よりも背は低いけれども、その年頃にしては背は高い方で、顔も整っている。国王陛下が寵愛なさっている王妃殿下にそっくりだというから、美しいのも当然だろう。
「マクシミリアン、久しぶりだね。剣術の稽古はどうかな? そろそろぼくと手合わせしてくれてもいいんじゃない?」
「ヴィクトル殿下、お久しぶりです。ヴィクトル殿下のお誕生日にお会いして以来でしょうか。今日はお茶会なので手合わせはまた今度ということで」
「そうだね。こんな堅苦しい格好では剣も振れないよ」
ヴィクトル殿下とお義兄様はとても親しいようだった。ハグをして再会を喜び合うヴィクトル殿下とお義兄様の間には入っていけない。わたくしが挨拶のタイミングを計っているとヴィクトル殿下がわたくしの方を見る。
「これが噂のバルテルミー家の末っ子お嬢様? 可愛いな。ぼくも妹が欲しくなる」
「わたしの妹のアデライドです」
「アデライド・バルテルミーです。ヴィクトル殿下、お初にお目にかかります」
本当は初めてではないのかもしれないが、ヴィクトル殿下と挨拶をするのは初めてだった。わたくしはまだ小さいのでお義兄様のお誕生日のお茶会にも出席したことがない。この国ではお茶会に出席できるのは六歳くらいからだと決まっていた。
「ご丁寧にどうも。ぼくはヴィクトル・デムランだよ。アデライド嬢は何歳になるの?」
「五歳になりました」
「五歳でこれだけ立派にご挨拶ができるのか。ぼくの弟は六歳だけどまだまだ赤ちゃんだよ」
国王陛下には三人のお子様がいる。
クロヴィス王太子殿下と、ヴィクトル殿下と、ダヴィド殿下だ。三人とも男子だった。
わたくしにとっては義理の従兄弟にあたるし、お義兄様にとっては実の従兄弟たちだった。
「ヴィクトル殿下にご挨拶申し上げます。わたくしはクラリス・アルシェ。アルシェ家の娘です」
わたくしがヴィクトル殿下にご挨拶下のに遅れてクラリス嬢も挨拶している。
クラリス嬢もヴィクトル殿下とお義兄様の会話に入れなかったようだった。
「よろしく、クラリス嬢。ヴィクトル、デムランだ」
どこまでも気安い雰囲気のヴィクトル殿下だが、この場ではヴィクトル殿下が一番地位が高い。失礼のないようにしなければいけなかった。
お茶会の会場は庭のサンルームだった。サンルームのテーブルにお茶の用意がされていて、お義兄様とわたくしはヴィクトル殿下とクラリス嬢をお招きする。
お義兄様が座るとヴィクトル殿下は自然にその隣に座って、わたくしがお義兄様の正面に、クラリス嬢がヴィクトル殿下の正面に座る形になってしまった。
「マクシミリアン、勉強はどこまで進んでいる? ぼくは学園の二年生くらいまで進んでいると言われたよ」
ヴィクトル殿下を招いたのはお義兄様だが、ヴィクトル殿下は本当にお義兄様のことが大好きでたくさん話したいことがある様子だった。これはお義兄様とヴィクトル殿下に話していてもらって、わたくしはクラリス嬢と交友を深めることにしよう。
「クラリスお姉様、本日はわたくしのためにお茶会に来てくださってありがとうございます」
「可愛いアデライド嬢のお手紙に感激しました。お手紙が書けるようになったのですね」
「お手紙が書きたくてわたくし、一生懸命字を練習しましたの。クラリスお姉様、よろしければ、わたくし、またお手紙を書いてもいいですか?」
「アデライド嬢の字の練習になるのならば、どれだけでも書いてください」
これで手紙でやり取りをする許可は得た。
無邪気に字の練習のふりをして、わたくしはクラリス嬢の懐に入って内情を探るのだ。
目指せ、お義兄様の幸せ!
クラリス嬢との婚約は解消させる!
えいえいおー!
と心の中で腕を大きく振り上げたわたくしだったが、現実には大人しく手は膝の上に置いている。わたくしの手でも持てる小さなティーカップには、バニラの香りの紅茶が注がれていた。
「クラリスお姉様は最近どんな本を読んでいらっしゃるのですか? わたくしも読めるかしら」
「わたくし、恋愛小説を読んでいるのです。アデライド嬢には少し早いかもしれませんね」
「恋愛小説?」
分かってはいるが、何も分からない五歳児のふりをしてあざとく首を傾げると、クラリス嬢が説明してくれる。
「市井で流行っている恋人同士の物語です。わたくし、真実の愛に憧れているのです。どんなに暮らしが貧しくても、愛があればわたくし生きていけますわ」
言いながら最高級のバニラのフレーバーの紅茶を高級なカップで飲み、厨房の料理人が苦労して作った上等の材料が使われたケーキにフォークを入れるクラリス嬢。
言っていることとやっていることが矛盾してましてよ!
思い切り突っ込みたかったが、わたくしはぐっと我慢する。
お義兄様もヴィクトル殿下もクラリス嬢の熱っぽい語りを聞いて、若干呆れている様子だった。
「親しくなったお祝いに、お揃いの髪飾りを作りましょうか。アデライド嬢の好きな色は何色ですか?」
髪飾りを作るのにどれだけお金がかかるか分かっているんでしょうか、クラリス嬢は。
貧しい暮らしになんて全く耐えられそうにないのに、真実の愛に憧れて愛があれば貧しくても生きていけるなどといっているクラリス嬢の行動が矛盾していて呆れてしまう。
何より、バルテルミー家に嫁いでくることになれば貧しい暮らしなどあり得ないのに、貧しい暮らしに憧れているような様子が信じられない。
「わたくし、緑や空色が好きです」
「わたくしはピンクや茶色が好きですね。アデライド嬢には空色で、わたくしにはピンクで髪飾りを作りましょうか」
にこにこと提案してくるクラリス嬢にわたくしは五歳児らしく無邪気に頷いておく。
「クラリスお姉様が読んでいる恋愛小説というものにわたくしも興味があります。どんなものを読んでいるのか教えてくれますか?」
一応、敵情視察もしておかなければいけない。
クラリス嬢が憧れる世界をわたくしも読んでおいた方がいいかもしれない。
そう思って問いかけると、クラリス嬢は上機嫌になる。
「アデライド嬢には少し難しいかもしれませんが、わたくしが読んでいる恋愛小説を、帰ったら一覧表にしてお手紙にして送りますね」
「ありがとうございます、クラリスお姉様。字を読む練習に読んでみます」
お礼を言いつつも、お義兄様の顔を見ると、眉間にしわが寄っている。クラリス嬢がわたくしの教育に悪いものを教えたと思っているのかもしれない。
「マクシミリアン、市井のことを知るのも悪くないよ」
「あまり染まりすぎるのもどうかと思いますがね」
フォローを入れるヴィクトル殿下に、お義兄様は苦々しく呟いていた。