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1-3

 ◇ ◇



 五月も半ばに入った、ある日の昼休み。

 その日は朝から相模の顔色が少し暗い気がして、春日は隣の席でずっと気にしていた。ただ午前の授業では特に倒れる様子はなく、昼休みに入ってしまう。

 転校してきて一ヶ月は経つというのに、教室では相変わらず相模の机を女子生徒たちがぐるりと囲んで、かしましく話していた。

 春日はその様子を、教室を出てすぐの廊下のほうから眺めていた。と、そこへ他のクラスへ遊びに行って戻って来た日野が声を掛けてくる。

「おーい春日、体育館にバスケしに行かね?」

 昼休みは体育館が開放されており、誰でも自由に使えるようになっていた。日野は時々、他のクラスの生徒と昼休みにバスケをしているらしく、春日も一緒にどうだ、と誘いに来たらしい。

「いや、今日はやめておく」

「なんで?」

「相模の具合が、あんまり良くなさそうなんでな」

 こちらをチラリと見ただけで、春日の視線の先が、教室内の相模の席に向いていると気付いた日野は、なるほどという顔をした。そしてその観察対象を、女子生徒たちが取り囲んでいる様子に、ほとほと呆れたように息をつく。

「あいつら、毎日飽きねぇよな。散々冷たくあしらわれてるのに」

「そういうのが好きなんじゃないか?」

「女心は分からんなぁ」

「……相模は、女子たちのことを『気持ち悪い』と言っていたがな」

「え、まじで?」

 つい先日の放課後、そんなことを言われたのだ、と日野に話している最中、突然、教室の中から女子生徒の悲鳴が聞こえた。

 慌てて声のした方に視線を向けると、教室の床に相模が倒れており、取り囲んでいた女子たちがオロオロと狼狽うろたえている。

「……やっぱりな」

 春日は急いで駆け寄ると、いつものように胸を押さえて苦しむ相模を横抱きで抱え上げた。ふと、相模の目蓋が小さく開いて、

「春日、ごめ……」

「気にするな」

 そう答えると目蓋が閉じて、相模は意識を手放したようだった。最初こそ気絶する様子に焦ったものだが、さすがに一ヶ月も経つとこの様子に慣れてしまう。

「春日、一人でいけるか?」

「ああ、問題ない」

 日野にそう答えて、春日は急ぎ足で教室を出ていった。

 それを見送った日野は、教室の隅でそれまで相模を取り囲み、倒れる様子に驚いて泣き出すなど、落ち着かない女子たちを宥めつつ、状況を確認する。

「あー、一応聞くけど。何があって、倒れたんだ?」

「相模くん、ずっと本を読んでたんだけど」

「なんか、急に立ち上がって」

「そしたらいつもみたいに、胸を押さえ始めて……」

 ぐすぐすと涙を拭きながら、女子たちが懸命に答えていたのだが、教室にいた他の男子生徒らは呆れたような声を上げた。

「お前らが取り囲んでたせいじゃねーの?」

「そうそう、毎日毎日うるせぇし」

 ここ一ヶ月近く、休み時間の度に相模の席を囲んでは騒いでいるので、さすがの男子たちも腹に据えかねたらしい。

 しかし男子たちに言われたからと、女子たちも黙ってはいない。

「なによ!」

「私たちは仲良くなりたいだけだし」

「いや、普通に相模も困ってんじゃん」

「ホントホント、ガン無視されてるしな」

「それはシャイなだけでしょ?」

「いや、全然シャイとかじゃねぇぞ、アイツ」

 双方の意見が飛び交うかと思いきや、だんだん普通の言い争いになってきた。日野はこの状況をどうしたものかと考えて、

「あ、じゃあ、じゃあさ。学校にいる間は、相模を取り囲むの、やめてやらない?」

 女子と男子の間に入り、日野はとりあえず相模の体調面を考慮した提案を出してみる。

「なんでよ」

「相模だって休み時間はゆっくりしたいだろうしさ。放課後はほら、自由だし、みんなに迷惑かかんないし、ね?」

「そうしろよ。相模が倒れたら、春日が大変なんだぞ」

「えーでもぉ」

 不満の声も多少上がったが、日野の提案は春日への同情もある男子たちの後押しもあり、渋々ではあるが女子たちになんとか受け入れてもらえた。

 ──これで少しは、アイツらも楽になるといいんだけど。

 日野はため息をつきつつ、職員棟の一階のほうへ視線を向けた。



 保健室は、職員棟の一階、正面出入り口とは反対の端にある。

 相模が目を開けると、ここ最近になって見慣れて来た白い天井と、薄い水色のベッドカーテンが視界に入った。

「気付いたか」

 声の聞こえたベッド脇へ視線を向けると、そこには背の高い隣の席のクラスメイトがパイプ椅子に座ってこちらを見ている。

「あれ、春日。……先生は?」

「用事があるらしいので、任された」

「そう、テキトーな先生だな」

 この学校の養護教諭は、五十代くらいの女の先生で、自分が運び込まれる度にどこか面倒臭そうな反応をする先生だった。その顔を見ないで済んだので、それはある意味良かったかもしれない。

 相模は上体を起こすと、ベッドカーテンを掴んで少しめくり、壁掛けの時計に視線を向ける。とっくに昼休みは終わっていて、午後の授業が始まる時間になっていた。

「お前、なるべく俺と一緒にいられるように出来ないか?」

 カーテンを元に戻した相模に、突然、春日がそんなことを言い出した。

「……なんで?」

「倒れる頻度が多すぎるからだ。今日は顔色が悪かったから分かったが、そうでないことも多い。だから……」

 普段より近い高さの目線で、真剣な顔でそう告げる春日を、相模は鼻で笑った。

「自分と一緒にいろって……なにそれ。新手の告白? それとも友情ごっこかヒーローごっこ?」

「好きなように思ってろ。変な場所で倒れられるよりマシだ」

 相模の揶揄うような返事に、春日はいたって真面目な顔で答える。これは春日なりに考えた、よく倒れる人間相手の、効率の良い対処法だ。

 言われた相模は、ふーん、と目を細め、何かを考えているようだったが、口の端を小さく上げて。

「……それもそうだな。いいよ、お前は平気そうだし」

「何がだ?」

「あぁ、こっちの話」

 そう言いながら、相模は起こした上体を再びベッドの上に横たえる。

「なるべく一緒にいるようにはするけど、おれよく追っかけ回されるし、無理だったりもするからね」

 ベッドの上で、どこか楽しげに目を細めて相模が言った。その視線はまるで、出来るものならやってみろ、と言わんばかりで。

 しかし春日は、そんなことは想定済みだと言うように、表情を変えずに答えた。

「その時は見つけるから、問題ない」

「……あっそ。せいぜい、頑張って」

 相模はそう答えると、小さな口を大きく開けて欠伸をした。それから春日に背を向けるように横を向く。

「……少し寝る」

「ああ」

 春日が答えてすぐ、昼下がりの静かな保健室に小さな寝息が聞こえ始めた。

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