「こっちは教室棟で、中央の渡り廊下を渡った向こうが職員棟。もう一つの奥の建物が特別教室棟で、教室棟と職員棟どっちとも奥の渡り廊下で繋がってる。体育館は職員棟の向こう側で、校庭はさらにその奥にあって……」
春日は相模に説明しながら、各学年の教室がある教室棟から、校舎中央にある渡り廊下を渡る。職員室などのある職員棟へ入ると、春日と相模の二人はそのまま一階まで降りていった。
職員棟の一階、中央階段のすぐ近くにあるドアの上部には『図書室』と書いてある。
引き戸を静かに開けると、すぐ目の前のパーテーションに『図書室ではお静かに』と大きく書かれたポスターが掲示されていた。そしてその下には返却用のボックスが置いてある。
奥まで進むと、左右の壁を覆い尽くすようにズラりと本が並び、ぎっしりと本の詰まった本棚が所狭と林立していた。ところどころに閲覧机が設けられ、昼休みというのもあってか、いくつかの机は生徒が利用している。
出入り口にあったパーテーションの反対側は司書室のようで、ワイシャツに黒い肘カバーをつけた黒縁眼鏡のお爺さんが、几帳面な様子でカードの整理などをしていた。
連れてきた相模はというと、教室での様子とは打って変わって、興味深そうに図書室の中のあちこちに視線を向けている。
「……本、好きなのか?」
「うん。まぁ、読書が唯一の趣味って感じ」
「本借りるなら貸し出しカード作れよ。借りたい人は最初にカード作らないといけないから」
キョロキョロと辺りを忙しなく見ていた相模に、春日は司書室との仕切りになっている貸し出しカウンターを指差した。ちょうどその端に、新規カード作成用のスペースが設けられている。
「そうか、わかった。ごめん、先に戻ってていいよ」
「いや、俺も借りたいのがあるから」
「……そう」
何か言いたげな顔をしたが、相模はそのままカードの作成へカウンターへ向かってしまった。彼がカードへ記名している間、春日は先日借りて読んでいた本の続きの巻を見つけて、すぐにカウンターへと戻って来る。
カードの記入を終えた相模は、春日が持ってきた本に目を留め、あっと小さく声をあげた。
「……『銀貨物語』?」
「そう、知ってる?」
「うん。……そっか、ここにも置いてるんだ。よかった。向こうで途中までしか読めなかったから」
図書室に並ぶ本を見つめながら、相模が教室では一度も見せなかった、同い年らしい楽しそうな顔をする。
──ようやく笑ったな。
春日はなんとなく、こっちが素の表情なのかもしれないな、と感じた。
「それ、どこにあるの?」
「ああ、こっちだ」
相模に聞かれ、春日は図書室の奥の方へと案内した。
◇ ◇
「あー春日、相模は今日どうだった?」
放課後の職員室。
日直のため日誌を届けにきた春日に、担任教師がそう話しかけた。
「今日は、体育の時間に倒れてました」
「あー、そっかぁ」
春日の言葉に、教師は頭をガシガシと掻く。
相模和都が転校してきて数日。『よく倒れる』と言われていた彼は、朝礼や体育の時間になると、本当によく倒れた。
その度に保健委員である春日は、発作に苦しむ彼を抱えて保健室まで運び込むのだが、あまりに頻繁におこるので、クラスメイトからは『運び屋』とまで言われるようになってしまった。
春日本人は昔から身長も体格も大きい方で、現時点で一七〇センチ近くあり、入学した当初からよく重いものを運ぶ手伝いをしていたため、相模を運ぶのはそんなに苦ではない。
「倒れそうな雰囲気とか、なんか分かりそうか?」
「そうですね。なんとなくですが、顔色が悪い感じの時は、だいたい倒れてる気がします」
「なるほどねぇ」
下手をすればほぼ毎日倒れているということもあり、ここ最近は隣の席に座る彼の体調を横目で常にチェックするようになっていた。相模本人からすれば気持ちのいいものではないかもしれないが、突発性の発作である以上、常に警戒しておくことしか出来ない。
「倒れる時は、心臓の辺りを押さえてるので、心臓系の病気のような感じもしますが……」
「そう思うよねぇ。ただ、検査はこれまでにも山ほどやってるらしいんだけど、身体にまったく異常はなくて、健康体そのものなんだと」
担任教師は椅子に深く腰掛けながら、ため息をついた。事前に知っていたとはいえ、頻繁に倒れる生徒を受け持つというのも、なかなかの心労なのだろう。
「まぁすこし、痩せ気味だけどな」
「そうですね、めちゃくちゃ軽いです」
教師たちを手伝って色々と重いものを持つ機会の多い春日だが、相模はその中でもかなり軽いほうだった。ちゃんと計ったら、自分の体重の半分以下ではないかと思うような重さである。
体重と発作、それ以外に身体の問題はない。そうなると原因となり得るのは、一つだけ。
「あるとしたら、精神的なものじゃないか、ということだけどね」
「……そうですか」
転校初日に比べたら、だいぶ周りと話をするようになったが、相模はやはり女子生徒を極端に避ける傾向にあった。発作と関係があるのか、ただ単に苦手なのかまでは春日にもそこまで判断できていない。
担任教師は、普段は大人びた対応をする春日が、珍しくクラスメイトのために考え込んでいるのを見て肩を叩いた。
「まぁ、だいぶ大変だと思うけど、よろしく頼むよ」
「はい、問題ありません」
春日はそう答えると職員室を後にし、鞄を取りに教室棟の三階にある一年三組の教室まで戻る。するとそこでは、日野が他の生徒とお喋りをしながら待っていた。
「お、終わった? 帰ろうぜ」
「ああ、相模は?」
通学用のリュックを背負いながら教室を見回す。相模は今日、掃除当番だったはずだが、教室には日野以外に数名の女子生徒が残っているだけだった。
「掃除終わった後、取り巻きに囲まれる前にって、さっさと教室出ていったよ」
「そうか」
発作の原因を探るためにも、もう少し話をしてみたいと思っていたのだが、それもなかなか難しいようだ。
日野と一緒に教室を出ると、昇降口のある北階段のほうへ向かって肩を並べて歩く。学年でもそれなりに大きいほうの春日だが、日野も春日に負けず劣らずの身長と体格をしている。
「なんだ、春日も相模くんが気になっちゃってる系か?」
言葉の端に揶揄する空気を感じ、春日は呆れるように日野の方を見た。
「いや、見張ってないといつ倒れるか分からんからな」
「あー、お前すっかり『運び屋』になってるもんなぁ」
同じクラスで頻繁に相模の倒れる様子と、介抱に走る春日を見ている日野は同情的な視線を向ける。
「ちっこいって言っても、人間一人分だろ? 重くねぇの?」
「いや、めちゃくちゃ軽いぞ。下手するとクラスの女子より軽いかもな」
「お前それ、クラスの女子たちの前で絶対に言うなよ」
「……わかってる」
自分でも言ってから気付いてしまったが、日野に言われて春日は気まずい顔でそう答えた。