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となりの小保家さん
ばばおうちかえる
恋愛夜の世界
2024年11月25日
公開日
3,500文字
完結
狐につままれた様なお話。
恋愛とか言いつつも恋には発展しません、嘘を吐いてごめんなさい。
お財布の中身を軽くして小保家さんに会いたい。

となりの小保家さん

 騒がし過ぎず、静か過ぎず。

 ちょうど良い飲み屋横丁の、ちょうど良い裏路地。

 ふと目についた小さい看板を横目に、階段を降りる。

 トタンでできた軽い扉の奥に、もうひとつ扉。

 何となく選んだ、雰囲気のあるバー。

 少し澱んだ視界で店内を見回すと、女性と思しき客が一人。カウンターの隅で、麗しの唇に向かってグラスを傾けている。


「おとなり、よろしいですか?」


 ホンの気紛れだ。許しを頂けたところで口説くつもりもなし。断られたら離れて飲むだけ。


「確かに…」


 ぽつりと、


「集団になると気が大きくなる人は格好悪いけれど、それを群衆心理なんて皮肉ぶる人も、結局求めているのは共感なのだわ」


囁く様にそこまで言って。


「みんな同じ。ほら、安心」


 振り返ったその女性は、息を飲むほどに美しかった。


「えっと…?」


 いっそ気後れしてしまうくらいには、その容姿は整っていたし、


「僕……ひとり、なんだけど?」

「ええ、そうみえるわ」


きょとん、としたその表情は、理解するのが難しい。


「す、座っても?」

「もちろん。椅子は私のものではないわ」


 とりあえず隣に居ても構わないようだ。一応マスターに目配せすると軽く頷いてくれた。安心して席に着く。


「どこかの職人さんの手によるものよ」

「ん?」


 途端にかけられた言葉に、少し戸惑う。


「……ああ、この椅子?話、続いてたんだ」

「そっとおしりに触れてくるの」

「ごめん、なんて?」

「優しくて素敵な椅子だわ」

「ああ、聞き間違えたのかな?」

「痔にいい」

「うーん、あれぇ?」


 少し眠たげな瞳に、不思議なテンポで話す女性。長く垂れた黒髪から覗く美しい横顔が、その独特さを強調する。

 暫しの沈黙。


「そ、それ何を飲んでいるの?」


 耐えきれず、会話の糸口を掴もうとする。


「これ?」

「うん、キレイな琥珀色だ。ウィスキー?」

「麦茶よ」

「麦茶かぁ…」


 麦茶だった。


「今日は少し飲み過ぎたの」

「ああそれ、チェイサー?」

「ごめんなさい、特に掛け声とかはないの。それでも八杯は飲めた」

「お腹タプタプだね」

「ええ、きっと仕事に障りがでてしまうわ」

「ふぅん…」


 ともあれ、とっかかりにはなったみたいだ。


「今の仕事長いの?」


 職種を尋ねたりはしない。コレから仕事なら、言わずもがなというヤツだ。無粋だろう。


「ええ、でも余り向いてないみたい。いまだに右と左が判らないんだもの」

「そうな……ん?」

「いつまで経っても新人類みたいな扱い」

「大変だね」


 仕事以前の発言が気になったものの、ここも何とか飲み込む。意味は分かるし、訂正しても仕様がない。


「僕も、今日は大変でさ…」


 クレーマーに絡まれた。

 損害賠償だ慰謝料だと、散々怒りをぶつけられた。


「知人に弁護士がいるぞ。なんて、名刺ヒラヒラされちゃって」

「あら奇遇ね。私も持ってるの」


 思ったのと違う反応をされ、隣に目を向ける。

 左側に座っていたので気が付かなかったが、女性はその細く白い右腕に、何故か名刺入れを巻き付けていた。


「デュエル。その方は受けてくれるかしら?」

「ちょっと分からないけど…」

「今は多職デッキが流行りだけど、政単積みで圧し切れるかしら?」

「それもちょっと分からないけど…」

「見た分だけでいいから、名刺のレアリティだけ教えてく…」

「ごめんデュエリストじゃないから分からないんだ」


 ごめん、ともう一度断りをいれて黙りこくる。

 その態度をみて、女性は少し申し訳なさそうに、掲げていた名刺入れを引っ込めた。


「ごめんなさい」

「いいんだ。僕の方こそルール知らなくてごめん」

「そうよね、決闘所以外で心に火を点けてはならないわ」

「そうなんだ」

「副流焔も気にするべきだし」

「煙草かな?」

「歩きデュエルも厳罰化したし」

「煙草かな」

「謝罪という訳ではないけれど。一服盛らせて頂戴?」

「そんな、悪いよ……もる?」

「マスター。この男性に、私と同じものを…」

「ぁハイボール下さい」


 遅ばせながらマスターにハイボールを注文する。

 申し訳ないが正直、忘れていた。


「山本さん」

「田中です」

「山本さんは手品が得意なの」

「あハイ…」


 呼ばれた訳ではなかった。恥ずかしい。


「………あの、やまもと…」

「山本さん?」

「え?あの、手品が得意、なの?」

「ええ、山本さんは手品が得意なの」

「あ、うん。はぁ…」


 何で急に山本さんの話をしたんだろう。


「何で急に山本さんの話をしたのかしら?」

「え?あ、スイマセン。僕は知らない人かな」


 異次元過ぎる。


「えっと、山本さんはその……彼氏さんか何か?」

「よして頂戴。もう小学生よ」

「もう?ああ、小学生なんだ?」

「ええ。でも彼すごいの」

「へぇ、どういう手品をするの?」


 余程にご執心であるのか、自分の事の様に誇らしげに「ふふん」と鼻を鳴らす。


「濡れた紙コースターを、コップにくっつけたのよ」

「んん…」


 どうしよう、ほぼ種が明いてしまっている。パカパカだ。


「えっと…」


 いつの間にか提供されていたハイボールを持ち上げてみせると、


「てってれー。なんつって」


いい感じに塗れていたジョッキが、紙のコースターを張り付けた。


「あら」

「あの…」

「小学生がこんな時間に外に居てはいけないわ」

「思い違ってたら予めごめんだけど、僕は山本さんではないよ?」


 田中です。と、一応念を押す。


「タナカ?」

「はい田中」

「苗字は?」

「山本ではないね」


 ちょっとそんな気はしていた。


「よかったら当ててみて?」


 問われて、人差し指を顎に当てる女性。何とも可愛らしい仕草で暫し、逡巡した後。


「……こんぶ、かしら?」


 慣れてきたと思ったがそうでもなかった。


「うん、もう正解」

「あら素敵。日本に百人くらいしか居ないらしいのだけれど、私ほとんどの昆布さんにお会いしているの」


 どうやら、みんな放っといているようだ。

 まあしかし、なんというか悪くない気分だ。

 ワザとかどうか、小ボケを延々と繰り出すお嬢さんに、何の気負いもなくツッコんだり放っといたり。

 心の底にたまっていたものが、少し洗われるような気がする。


「ふふふ、ねぇグルタミンさん?」

「……あ、僕か。うん、なに?」

「さっき私の彼氏がどうのと言っていたのだけど…」


 洗われてしまって。


「貴方こそ、いいひと、いるのかしら?」

「……へっ…」


 ああ、いけないな。


「それがその、つい先日……あはっ、その……女に騙されちゃって…」


 心の底にたまった泥が、表に出てきてしまう。

 そんなの、この素敵なお嬢さんに愚痴っても、仕様がない事なのに。

 朗らかに酔えたら、楽しいだけで済むのに。


「ははっ、その…」


 何か言おうとするけれど、沈んでしまった気持ちはもう取り繕えない。

 ボロボロの心で、ハイボールをぐびり。音を立てて飲み下し、沈黙。

 すると、少しの間を置いて「はぁ…」と溜め息が聞こえた。


「女、だったのかしら?」


 その声が、余りにも優し過ぎて。


「貴方を騙したのは、女、なのかしら?」


 ハッとなり横を向く。

 悲しいような、切ないような、その笑顔。


「……そう、か…」


 そうだ。

 その通りだ。

 僕は『女』に騙されたんじゃ、ないんだ。

 僕という一人の人間が、彼女だと思っていた一人の人間に、散々貢いで捨てられた。それだけ。

 性別なんか関係ない。

 騙す人間はいる。

 騙さない人間も、必ず、いる。


「すごい。すごいね、君の言う通りだ」


 今度こそ、全て洗い流される。

 女性不信に陥った心に、明かりが差す。

 騙さない人間に、いつか、会える。

 そうしたら、その人を目一杯、大切にすればいい。


「女、じゃなかったんだ」

「ええ…」


 薄く微笑むその顔は、まるで菩薩のようで。


「タヌキさん、だったのでは?」

「………ぁぃ…」


 ようで、といったからには菩薩ではなかった。


「ねぇ。男女といえば、こんな話があるの…」


 どちらかといえばタヌキさんの方が気になるが、こんな気持ちじゃ最早どうする事もできない。


「とある国では、男女が逆さまなのだわ。社会的な役割も、家庭内での役割も、身体的な役割すらも。その話を聞いた時、私、思ったの…」


 ほんの一瞬、その話に引き込まれそうになったが。


「翻訳家が悪いって」

「僕も……そう思うよ…」


 そうして、午後が午前になった頃。

 崩れ落ちたまま、意識を失う。


「………んぅ?」


 目が覚めると、路地裏に寝転んでいた。


「……あれ?店…」


 身体を起こして辺りを確認する。

 路地自体には見覚えがあるものの、昨晩居たバーの看板と、地下への通路が見当たらない。


「……携帯!」


 慌ててポケットを確認する。

 果たして携帯はあった。六時半、いつも起きる時間。


「財布は!?」


 とりあえずそれだけあれば何とかなる。


「…………ふっ」


 どうやら、キツネさんだったようだ。


「あはは…」


 騙された事を恨めしい気持ちも当然あるが、


「まあ、いっか」


 ぎっちぎちにつめられた葉っぱをみて、何か許せた。

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