「誰が作ったのか、誰が考えたのか、そして誰が広めたのか。現在、何一つわかっていないのですが」
秘宝管理クラブのファイルに、そっと差し込まれた一枚の紙。折りたたまれていたので若干皺になっているそれは、メモ帳くらいのサイズをしている。
白い紙の右隅から、五芒星の魔法陣。そして複雑な文字や模様がもやもやと浮かび上がっているように見えるそれ。この模様こそ、新しい秘宝であると祈は言うのだ。
「この系列の“魔法陣と模様”が世界各地で見つかっています。紙に書かれたこれを見た人はこの魔法陣に憑りつかれて、これを使いたくてたまらなくなってしまうようなんです」
「って、それって私達も見たらやばいんじゃないの?」
「そう思うでしょう?ところが、このタイプの模様にはいくつか効果の発動条件があることがわかってまして」
祈はぴん、と一本指を立てて言うのだった。
「まず一つ。紙に書いてないと、効果が表れません。だから実は、舟木先生のやったことは完璧に無駄に終わってるんです。鏡に描いたって意味なんかないんですよ。舟木先生は先生なりに真剣に考えてあの場所にしたんでしょうが、本当に久本先生にアピールしたいなら紙に書いて渡さないと駄目だったんです」
「あー……」
道理で、とひかりも納得してしまった。直前に久本に聞き取り調査を行っているが、彼女の様子に特におかしな様子はみられなかった。毎日のように鏡の文様を見ているにも関わらず。
あれは単純に、舟木先生側の判断ミスだったということらしい。
「この魔法陣の効果はわかっても、使い方をミスする人は珍しくないんですよね。でも、もしこのまま彼が悪戯を続けて、それでも効果がないとなったら……きっと大変なことになったと思いますよ。具体的には、“紙に描かないと意味がない”と気づくまで、ひたすら久本先生の目につくところに模様を描きまくるようになっていたかも」
さらに、と彼は渋い顔をして言う。
「模様を書いて、その効果が実証されることにひたすらこだわるようになって……それ以外のことをどんどん疎かにするようになっていってしまうんだそうです。これの系列の模様が一番最初に発見された時、とある会社のOLが持ってたらしいのですがまあ……悲惨なことになっていたようですからね。部屋はゴミ屋敷、服は着替えず風呂にも入らず、トイレもいかないものだから漏らしまくって凄まじい悪臭という」
「ひ、ひえ」
「舟木先生も、エスカレートしていけばそうなってしまっていた可能性が高い。その前に止められて良かった。模様に取り憑かれた人間は、常に“その模様を知った紙”を肌身離さず持ち歩くようになる。風呂に入る時も、ジップロックにでも入れて持っていたんでしょう。それを引き離すと一気に効果が薄れたり切れたりするんです。解除条件が簡単、というのがこのタイプのまだ楽なところですね」
「なるほど、道理で」
舟木先生は輪に拘束されたまま、気絶というよりすやすや寝息を立てている。良く見ると目の下に濃いクマもあった。よほど取り憑かれて疲弊していたということなのかもしれない。
「この模様を紙で見た人間は、この模様に異様に執着して使いたくてたまらなくなる。反面、この人物が描いた模様は、“その人物が想いを向けている相手”以外に効果がありません。そして、肌身離さず紙を持ち歩くので、それを引き離すと一気に本人は正気に戻る。そして」
とんとん、とファイルの隅を指で叩く祈。
「何故かこれらの模様は、子供には効かないこともわかっています。具体的には、十五歳以下の子供にはまったく効果がありません。今回のミッション、大人に頼れないと言ったのはこのためです。もしこの場に大人がいたら、彼のポケットから引っ張り出した紙片を見た段階でその人が取り憑かれてしまっていたでしょうね」
「あー、なるほど。ん?」
そこで一つ気づいた。祈はしれっと、ファイルに紙変のまま模様のメモを入れてしまっていたが。それって、結構まずいことなのではなかろうか。
だって、管理室には祈以外の大人も入る可能性があるではないか。
「模様、紙じゃないものに書き写して保管しないとまずくない?誰か見たらヤバイよね?」
でもってその紙片は燃やすなりして処分するのが妥当では、と言うと。祈も“秋野さんもよくわかってきましたね”と頷いてくれた。
「これから本部に連絡して、コレの保管方法を正式に決めてもらいます。恐らくそこで、“何”を使って保存するかの指示、ナンバーの認定、和名の設定指示などが入ります。名前の方は植物と一緒で、発見者であり管理士である僕が決めていいことになると思いますが」
なるほど、手順が必要らしい。確かに、紙で保管するのが危険なのはわかっていても、他のどんな材質に記すのが一番危なくなく、かつ劣化が少ないかは判断が難しい。彼も組織の一員ならば、上司に指示を仰ぐのが当然と言えば当然なのだろう。
まるで会社である。この年で社会人っぽくお仕事しているなんて、祈は凄いんだなあとまじまじ思ってしまう。――秘宝管理士、と正式に資格として認定されているわけだし。多分どこからか給料も出ているのだろう。小学生の小遣いなんてメじゃない額なのかな、などとやや下世話なことを思ってしまう。
「あの、それでさ」
ちらり、とひかりは倒れている先生の方を見る。
「舟木先生は、どうなるの?悪戯しちゃったし、やってたことはストーカーに近い、よね?」
「その通りですが、秘宝に憑りつかれて行った犯罪は基本的に法律で裁かれないことになってるんです。本人の意思で制御できることではないですからね」
「あ、そうなんだ」
「はい。特に今回は、解除されると取り憑かれていた時の記憶が消えることもわかっているので、きっと本人は目覚めた時何も覚えてないでしょう」
それは良かった、とひかりは胸を撫でおろした。最終的に悪戯で済んで本当に良かったと思う。久本先生も、自分がそういう気持ちを向けられていたことなど気づいていないのだから万々歳だろう。
無論、この先好きな人にどう向き合っていくか、それを決めるのは舟木先生なのだが。
――先生も、頑張ってよね。
再び祈に視線を向けて、ひかりは思うのだ。
――私も頑張るからさ。自分の、恋愛ってヤツを。
***
まあ、そんなかんじで。
やや偉そうなことを思っていた、その矢先である。
「はあ!?」
ひかりは教室で、ひっくり返った声をあげていた。目の前にいるマチカは、「声でけーよ」と顔を顰めている。
「いや、俺もびっくりしたんだぜ?あの大人しい系イケメンの舟木先生がさ、まさかずーっと年上の司書の久本先生にコクるとは。でもって射止めるとは。そういえば久本先生って未婚だったなーって後で気づいたけどもさ」
「ままままままま、マジで?カップル成立?」
「おう、成立だと。舟木先生が図書室に足げく通い詰めてたの、久本先生に気があったかららしく。で、久本先生も結構舟木先生のこと気になってたからってんで……いやあ、人の好みはわかんねーよなあ」
「お、おうふ……!」
なんと、祈と一緒に事件を解決した金曜日から、たった五日後のことである。行動力じゃぶじゃぶ溢れすぎでは、と思わずにはいられない。ひょっとして魔法陣の力から解放された反動で、舟木先生に勇気が湧いてしまったのかもしれなかった。
まあ、久本先生もまんざらではないようだし、これもこれでハッピーエンドということなのだろう。
「そんなことより、俺が気になってるのはお前だって」
ずい、とマチカが身を乗り出してくる。
「秘宝管理クラブに出入りするようになって何日も過ぎてんだろうが。どうなんだよ、お前と誰かさんの関係の進展は!」
「ぶっひゅうう!」
思わず変な声が出てしまった。ああ、しまった。恋愛の話題になったら、きっとこちらにも水が向いてくるだろうと覚悟すべきところだったというのに。
「く、クラブ活動で忙しすぎて全然そんな場合じゃないしムードでもないってば!本当だよお!」
ひかりは慌てて弁明する。とはいえ、舟木先生を救ったあの日。先生たちを呼んで舟木先生を保健室に運んで貰ったあと――祈が言ってくれた言葉が、ひかりはどうしても忘れられないのだ。
『ありがとうございます、さっき……舟木先生が襲ってきた時、助けてくれて。本当に秋野さんは勇気のある人なんですね。尊敬します。これは、本腰入れてお礼をしなければなりませんね』
彼に他意はない。確実にない。
わかっていてもだ。
『してほしいこと、欲しいもの、あったら言ってください。僕にできることなら何でもしますよ』
――なななななな、何でもって!駄目だよ春風くん、その言葉はイケナイ!そんなこと言われたらね、お、お、乙女はいろんな妄想をしちゃうというかイケナイことまで考えちゃうというかそれこそ何でもして欲しくなるというかああああ!
思い出して悶えるひかり。当然、それを隠せるはずもない。
「おおお、これは何かあったね?何があったんだね?ほら、このマチカさんに白状しな?ほれほれほれほれ!」
「な、ななななななんでもない、なんでもないから!ほんとだってばあ!」
「嘘つけ!ほら、何があった?うっかりスケベでもした?チューした?手でも繋いだあ?」
「ち、ちちちちっがうからあああああ!」
晴れた空と教室の喧騒に、ひかりの叫び声が溶けていく。
自分達のにぎやかな日々は、まだ始まったばかりである。