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<7・ヒトゴロシの哲学。>

 全ての先生が、秘宝の存在と秘宝管理クラブについて知っているわけではない、と祈は言っていた。ならばこの司書の先生はどうなのだろう?とひかりは思う。それによって、話せることと話せないことが変わってきそうなものである。


「そういえば、不思議なお宝って人を狂わせる魔力を持ってることがある……だったっけ?前にそんなこと言ってたわね」


 ぽけぽけと首を傾げて、久本先生は言う。


「だから不思議な話、オカルトな話を学校の周辺で集めてるのよね?そういう話の近くに、お宝が潜んでいる可能性があるからって。……でも残念。あの鏡は普通の鏡よ?それも結構安物の」

「話が早くて助かります、先生。そう、毎朝変な文様が浮かび上がるっていう、あの鏡についてお伺いしたいんです」


――なるほど。久本先生は“知らない”組か。


 ひかりは納得する。どうやら祈はこの図書室の常連で、久本先生ともそれなりに顔見知りということらしい。その際に、秘宝管理クラブの研究の一環として、不思議な話を集めているということも語っていたようだった。――多分彼女からすると古美術を研究するクラブというより、オカルト研究会に近い存在として認識されていそうではあるが。

 もう一つ、ここではっきりしたことがある。久本先生が“知らない組”であるならば、先生からすぐ鏡の話が降りてこないのも頷ける話だということ。久本先生もただの悪戯のようなものだと思っていたのであれば、そう深刻に受け取っていなくても仕方ない。次に顔を合わせた時に話そう、とでも思っていたのかもしれなかった。


「毎朝じゃないみたいよ?私、この図書室の司書しかしてないから、土日祝日は基本的に出勤しないんだけど。土日祝日は、鏡が汚れるってことないみたいだから。それから、先週の水曜日も鏡は汚れなかったらしいわ。その日私も休んでたから聞いた話だけど」


 久本先生は手元でスマホを操作すると、一枚の写真を見せてくれた。


「ほら、これ。きっと春風くんが興味持つと思って、写真撮っておいてあげたわ。みてみて!なんなら印刷もする?」

「ありがとうございます。よろしくお願いします」


 この図書室にはプリンターもある。スマホで撮影した写真も転送すれば印刷可能ということだろう。

 久本先生のスマホは大きめなので、写真も見やすかった。なるほど、鏡の右下を中心に、魔法陣だか文様だかわけのわからないものが書き連ねられている。


「w4f2m9,gwjふぇあr-4g5k。おp:g4w?……あ、無理。読めない」

「むしろ何故読もうと思ったんです?」

「あ、いやなんとなく?」


 辛うじて読み取れるのは、五芒星のような星。その周辺を、よくわからない文字が円形にぐるっと囲っていて、さらにそこからいくつも文字が放出されているような形状になっているのだ。

 成績がまったく良くないし、英語どころか日本語もだいぶ怪しいひかりである。それでもその文字列が日本語や英語ではなさそう、ということは辛うじてわかる。漢字や平仮名カタカナ、アルファベットらしきものが一切見当たらないあからだ。ということは北京語とかフランス語、ドイツ語などの類でもないということか。


「ロシア語、韓国語でもないし……多分アラビア語でもないですね」

「わかるの!?」

「そのへんは読むことはできませんが、何語かくらいの判別はつきます。英語や北京語なら普通に読むこともできるんですが」

「す、すご……」


 眼鏡をかけているキャラというのはそれだけで頭が良さそうに見えるものだが、春風祈という少年の場合そのイメージをけして裏切らないというパターンらしい。すごい、頭いい、とついつい拍手してしまうひかりである。

 それらの魔法陣やら文字やらは、鏡の右下に赤いインクで書かれているようだった。正確には少し色がくすんでいるので、赤黒いインクであるように見える。血文字のようで、正直気持ち悪い。知らない人間が見たらぎょっとする図だろう。


「これらが出現するのは、何時くらいかわかりますか?」


 祈が尋ねると、さあ、と久本先生は肩をすくめた。


「私が退勤する時……この図書室から出て行く時にはなくて、朝出勤する時にはあるってかんじだから。私は朝作業したいから少し早めに来るんだけど、職員室に寄って鍵を貰ってから図書室に来るから……大体、朝の七時半頃くらいかしら」

「早いといっても、それくらいですか」

「他の先生はもっと早く来てるみたいよ。私は家がものすごーく近いからいいけど、遠くから通っている先生は本当に大変でしょうねえ。で、七時半くらいに来ると、まず鏡にアレが描いてあるわね。ここ最近はほぼ毎回、私が一番に見つけて職員室に報告に行ってるわ。インクを消すのは私がやる時もあれば、職員室の他の先生や用務員さんにお願いすることもあるんだけど」

「ふむ……ちなみに退勤するのは?」

「夕方の五時が定時だけど、もう少し遅くまで残っていることが多いから……六時くらい?遅くても七時ね。その時はまだ鏡に模様は描かれてないわ」


 ということは、とひかりは頭の中にもやもやもやーとタイムテーブルを表示する。鏡に赤いインクの模様が現れるのは、彼女が退勤してから出勤してくるまでの間。やや広く取って、夕方の七時から朝の七時半の間ということになるということだろう。

 つまり、インクでの模様が出現するのが、本当に朝とは限らないということである。実は夜のうちに現れているということもあるだろう。そして、彼女よりもっと遅くまで居残って仕事をしているであろう先生達は、わざわざ夜図書室の前まで来るようなことはないはずだ。なんせ、職員室は二階で、図書室は三階の端っこにある。用事でもなければ、足を運ぶようなこともあるまい。

 無論、事件では第一発見者が一番怪しいなんて考え方もある。久本先生が嘘をついている可能性や、久本先生自身が鏡に悪戯している可能性もないわけではないだろうが―ー。


「この現象が起きるようになったのって、新学期になってからなんですよね?何か他に変わったことはありませんでしたか?」


 祈は淡々と聞き込みを続ける。久本は、特に思い当たることはないわね、と首を横に振った。


「現象というか、私はあんまりホラーなものを信じてるわけじゃないから。きっと誰かの悪戯だろうとは思ってるんだけどね。でも興味はあるわ。誰かの悪戯だとしたら、“何か”が彼ないし彼女に、そのような行為を強いているということになる。その根源が何なのか、気にならないと言えば嘘になるかしら」

「何か?」

「ええ、そう。“何か”よ」


 久本はニヤリと笑って、カウンターに肘を乗せた。


「例えば、人が人を殺す理由、なんてのが一番わかりやすいかしらね。何の理由もなく人を殺す人間なんていないものよ。“人が死ぬのを見たかった”とか“人の肉を抉る感触を知りたかった”っていうのも一応理由として成立するものだから。あるいは“自暴自棄になって、逮捕されるために人を殺してみた”とかいうのものね。……人が何かを行動するならば、当然それに見合った理由があり、意味がある。それを達成するために人は自分がすべきことを考え、実行するものだから」


 何やら、急に哲学的な話になってきた。

 やや混乱気味に祈を見れば、祈の方はある程度理解できたようで、わかります、なんて頷いている。


「想像はつきます。人を殺す、という行為がより顕著なものであるというのも。何故なら人を殺した人間は法律に則って逮捕され、裁きを受けることになりますからね。そして、社会的に存在を知られることになる……悪名として。一生人殺しとして指をさされて生きていかなければならないかもしれない。刑務所に入って出所しても、前科のせいで次の仕事が見つからないかもしれない。……令和の日本において、人を殺すというにはそれだけのリスクがあります」

「その通り。だから“それでも”人を殺すとしたら。そのリスクを上回るリターンがなければ成立しないの。それが“お金”であったり“人を殺す快感”であったり“平穏な人生”だったりと様々であるけど」

「復讐、なんてのもわかりやすいですよね。相手を殺すことで逮捕されることにはなるけれど、それでも憎い相手を抹殺でき、人生における邪魔な石を取り除けるという意味で心の安寧を得ることができる。それは、逮捕されるというデメリットを遥かに上回るメリット……だと本人がそう思った時。そして実行可能な環境が整った時、初めて刃は振り下ろされることになるというわけです」

「お、おーい?ちょっと待ってちょっと待ってそこのお二人?難しい話してないでよ、私置いてけぼりなんだけど!?」


 なんで人を殺す動機だの、メリットだのデメリットだのなんて話になるのだろう。ついていくことができずに混乱するひかりに、“失礼しました”と祈が振り返る。


「もし、鏡が呪物などではなく……誰かが毎日鏡に悪戯しているとした場合。その人物の行動動機はどうなんだろうって話です」

「どゆこと?」

「学校の備品ですよ?汚損したら、最悪器物破損の罪に問われるじゃないですか」

「あ」


 言われてみればそうだ。毎回簡単に落とされているというから、あまり意識はしていなかったが。それでも洗い流すための手間と時間を要求されていると考えるなら、十分器物破損の罪は成立しうるだろう。

 ひょっとしたら犯人はその罪を少しでも軽くしたくて、洗い流しやすいインクにしている、なんてこともあるのだろうか。いや、もしそうなら最初から悪戯なんかするなという話だが。


「……つまり、鏡に悪戯するのも……人を殺すほどではないにせよデメリットがあるってこと?」


 ひかりが尋ねると、その通りです、と祈は頷いた。


「あれだけの複雑な模様。描くにはそこそこ時間と手間が必要になります。その間、誰かに目撃される危険だって考えられるわけです。……そのリスクを犯してでも実行したということは、リスク以上のリターンが実行者にはあったということになります」

「リターンって?」

「残念ながらそれはまだ。大体、鏡にあの模様を描くことに何の意味があるのかもわかりませんし……まだ犯人が人間だと確定したわけでもありませんしねえ」


 人間ではない。それをひかりは“秘宝の力かもしれないってことか”と解釈したが。隣で聞いていた久本はもっとホラー的なものとして受け取ったらしい。


「ふふふふふ、実はオバケの仕業かもしれないって?なかなか君もロマンチストねえ!まあ、オバケが毎日、せっせとインクで鏡に悪戯書きしてるんだとしたら、ちょっとかわいいような気もするけどね!」


 言外に“それはないだろう”というのが滲んでいる。これが一般的な大人の反応なんだろうなあ、とひかりは思った。オカルトがあったら面白いと思う反面、現実にはきっとオバケもファンタジーも存在しないんだろうなと思っている。――実際、ひかりだって少し前までは似たようなことを思っていたはずだった。秘宝管理クラブの、あの部屋に入るまでは。そして、実際に不思議な出来事やアイテムは存在するのだと、この目で見ていなければ。


「とりあえず、鏡の写真は印刷してあげるわ。ちょっとそこで待っていて頂戴」

「あ、ありがとうございます」


 奥に引っ込んでいく久本に頭を下げつつ、ちらり、とひかりは廊下の方へと視線をやったのだった。

 スライドドアを開けて真正面の位置に手洗い場があり、例の鏡が鎮座していたはずだ。話を聞いたら、実際に鏡を観察してみるべきだろう。

 果たしてそれは本当に呪われた鏡なのだろうか。それとも、人がなんらかの悪戯をしているということなのだろうか。


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