一目惚れは突然に、なんて。少女漫画や少女小説では、ありがちな書き出しに違いない。
人間が恋をするなら、相手の性格をよく知り、価値観が合うかどうかを認識してから。秋野ひかりもそう思っていた。思っていたのだけれど。
「……綺麗」
五年生になって最初の日。クラス替え表を見ていたひかりは丁度横を通り過ぎていった少年に――思わず魅了されていたのだった。
少し長めの、さらさらの黒髪。眼鏡をかけているけれど、それがむしろ知的なイメージを加速させてむしろマッチしている。背がものすごく高いわけではないけれど、足は間違いなく長い。そしてスタイルがいい。
眼鏡の奥、音が鳴りそうなほど長い睫毛と、星屑を散らしたような瞳。まるで芸術作品ではないか。
「……おい、どした?どしたんだねひかり?」
すぐ隣で、友人の夏木マチカが声をかけてくる。ひらひらと目の前で手を振られていることはわかっていたが、すぐに反応することはできなかった。
視線が、彼のことを追いかけて止まらない。心臓の奥から一気に血が沸いて、全身をアツアツに沸騰させるようなこの感覚。
もしやこれが、一目惚れというやつなのではあるまいか。
「……マチカちゃん」
ぎぎぎぎ、と油の切れたブリキ人形のような動作で、ひかりは親友を見て言ったのだった。
「私、恋ってやつをしちゃったかもしれない。落ちた、完璧に。一瞬にして」
「……ハイ?」
それが、秋野ひかりの恋の始まり。
そして、とんでもない修羅場と冒険の幕開けでもあったのである。
***
同じクラスになった男子ならば、クラス替え早々ひかりも早々にチェックを入れるというものだ。
あれだけの美少年がチェック漏れしていた理由は単純明快、今まで一度も同じクラスになったことがなかったからである。
というより、聞くところによればそもそもあの眼鏡の美少年――
「春風くんなぁ。けっこー、ミステリアス男子ってことで有名だぜ」
クラス替え発表の後、ひかりはマチカとともに五年二組の教室へと移動していた。ちなみに、マチカとは二年生、三年生の時も同じクラスになっている腐れ縁でもある。クラスが違った四年生の時もなんだかんだとツルんでいることが多かったので、あまり離れ離れになったという印象がない。
男の子みたいな短髪、俺っ娘の親友は、男女ともにモテることでも有名なのだった。当然、友達も多く、人間関係に絡む情報にも精通している。
「あの美少年っぷりだろ?転校初日から、そりゃもうわんさか女子が群がったらしい。一部男子も」
「男にもモテるんかい」
「ついでに先生にもモテると噂になってるぜ。で、俺もおもしれー奴だと思ってチェックしてたんだけどさ。体が弱いから学校に来られないことが多いらしくて休みがち。それがまた、神秘的だーなんて言われる原因になっているようだ。なお、学校を休みまくっていてもテストの成績は素晴らしくいい模様。ひかりと違って」
「うっさいわ!」
思わず突っ込みを入れて、ひかりは頭の中にもやもやもやーと浮かんだ幻想を消し去った。いやほんと、存在しなかったことにしたい――百点満点中十点しか取れなかった漢字の小テストのことなど!
ついでに、とうに提出締め切りが過ぎている作文と算数ドリルについても記憶から抹消したいところである。いかに親にバレないようにやり過ごすか、ここのところ真剣に考えているほどなのだから。
「マチカだって、人に言えるほど成績いいわけじゃないじゃん」
思わずぶーぶーと頬を膨らませると、マチカはそりゃそうだけど、と背もたれによりかかった。
「誰かさんと違って、俺は宿題はすっぽかさねーから、その分先生の印象はいーの。おわかり?……いくら中学受験しないからってな、勉強サボりまくってると後でめんどくせーことになるぞ。特に中学生になってから」
「そんな後のことは、後になってから考えればいいんだよ。今私にとって一番大事なのは春風君のことなんだから。くだんないこと言ってないで、春風君に関する情報をさっさとよこしやがれください」
「それが人にもの頼む態度か?」
ジト目で睨みつけてやると、まったくもう、と彼女は肩をすくめた。どうやら急病人が出たとかなんとかで、先生達がバタついている。本来ならこのまま朝のホームルームが始まるところだったのに、一向に教室に先生が来る気配がない。
ちらり、とひかりは窓の外を見た。今年はまだ桜が校庭に残っている。もちろん殆どが葉になっているが、一部花が残っていてひらひらと花びらを散らせているのだった。春風祈なんともこの景色に相応しい、素晴らしい名前ではないか。
「お前、ちょっと前までは一つ上のテニスクラブの先輩がかっこいいとか言ってなかったっけ?」
呆れたように言うマチカ。
「先生がイケメンで素敵とか言ってた時もあったよな。それから、後輩の男の子が食べちゃいたいとか言ってた時も……」
「あー、うるさいうるさいうるさい!それはちょっと素敵だなーって思っただけ!本当に恋をしたわけじゃないんだから!そもそも、私はこれでも一目惚れって信じてない派だったの。それなのに今回はびびーんて来ちゃったの!間違いなく本物の恋なの、お分かり!?」
「はいはい。……段々つっこむのもアホらしくなってきたぜ」
そう、過去にもカッコイイと思った男子や年上の先生、アイドルなんかがいなかったわけじゃない。でも、いつもは精々“遠くで見つめていればそれで幸せ”くらいの感情だったのだ。
いわば、アイドルを応援したいファンくらいの心情だったと言えばいいか。
今回は違う。何故か、自分でもそう強く確信できる。今回全身にびびびびび、と来た感覚は、紛れもない恋であるはず。でなければ、こうも四六時中、祈少年のことばかり考えているなんてことはないはずなのだから。
「仕方ないなあ。……つっても、俺も春風くんについて、そんなに詳しく知ってるわけじゃねーぞ?」
ひかりの熱意に押されてか、マチカは呆れたようにため息をついた。
「ただ、そうだなあ。……一つ変だなーって言われてることがあってさ。うちの学校、クラブ活動ってのがあるだろ?週に一日、クラブ活動する日があるというか。やれ美術クラブとか漫画クラブとか、サッカークラブとかいろいろあるわけだけど」
「うん、あるね。それが?」
「春風くん、去年転校してきて早々、自分で新しいクラブを作っちゃったみたいなんだよ。なんだっけ、確か……秘宝管理クラブつーの?」
「ひほうかんり、くらぶ?」
思わずオウム返しに尋ねるひかり。あまりにも斜め上で、理解の範疇外だったと言えばいいだろうか。ひほう――秘宝。秘密のお宝。それを、管理するクラブとは、一体どういう活動内容なのだろうか?というより、秘宝とは一体?
「な?変なクラブだろ?しかも、部員を全然募集してないんだと。春風くん一人しかいないクラブなんだって」
変だよなー、とマチカは手をひらひら振って笑った。
「既定のクラブ活動をする日、以外でもなんか活動してるっぽいぜ。放課後とか、部室に入っていくのを見たって人がいるらしい。……なんなら覗いてみたらどうだ?その部屋」
***
秘宝管理クラブ、なるクラブの場所は旧校舎一階、東の端の端にあるらしい。
今、うちの小学校では新校舎以外ほとんど使われていない。昔はもっと子供の数が多かったため新校舎と旧校舎の両方が使われていたのだが、何年か前に学区に新しい小学校が作られることになった関係で一気に子供の数が減り、新校舎だけで事足りるようになってしまったというのが真相らしい。
旧校舎と言っても、昔の学校の怪談とかに出てきそうな木造校舎ではない。ちゃんとコンクリ造りの建物だ。
ただし、老朽化が進んでいるのは間違いないようで、外から見ても柱のあちこちがカビていたり、嫌な感じのひび割れが見つかったりはする。そのうち取り壊されるのではという話だが、それがいつ、どのようにという具体的な話は何も聞かされていないのだった。
で、今はほとんど使われることもない旧校舎の一階に、わざわざ秘宝管理クラブとやらの部室を作ったというのである。
そんなの、生徒の一存でどうにかできることではない。先生が許可を出したからそういうことになったはずだ。ならば、そのクラブは部員数一人でも成り立つような、そんな特例が認められるような価値あるクラブだったということなのだろうか。
「うー……やっぱこの校舎、なんか暗い。妙に湿っぽいし」
ぶつぶつ呟きながら歩くひかり。大きな声では言えないが、元よりオバケの類はあまり得意ではない。声に出すのも、自分を鼓舞するためにわざとしていることだった。
「こんなところに部室作るとかさあ。いい趣味してるっていうかさあ。いや、春風くんのことだからきっと何か思惑あってのことなんだろうけど、でも……」
ぼやきながらも薄暗い廊下を進むのは、春風のことを知りたいという気持ちが勝っているからに他ならない。きゅ、きゅ、と上履きがこすれる音を聞きながら一歩ずつ前へと歩を進める。
一階の東端。階段のすぐ横の部屋。マチカからはそう聞いていたが、果たして。
「……?」
やがて、ひかりが辿り着いたのは一つの部屋だった。プレートには“管理室”と書かれている。管理クラブの部室は、ここだろうか。廊下側の窓が全部黒いカーテンで覆われているのがなんだか不気味なのだが。
「し、失礼しまぁす……」
ここで立ちすくんでいてもラチがあかない。恋を実らせたいのであれば、とにかく一直線に突き進むしかないのだ。ひかりは意を決して、スライドドアに手をかけたのだった。