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眠れぬ男
渋谷獏
ホラー都市伝説
2024年11月24日
公開日
3,437文字
完結
不眠症に悩む真田勇一は眠れない日々が続く中、テレビ局のディレクターから番組出演を打診される。不眠解消のため、ドクター山根の発明道具の実験台になるのだが……。

眠れぬ男

 羊が千百五十一匹、羊が千百五十二匹、羊が千百五十三匹……。

 柵を飛びこえる羊の群れを数えていたら、ドアをノックする音が聴こえた。

 こんな遅い時間に誰だろう?

 ドアを開けると、おれの彼女が心配そうな顔をして立っていた。

「真田くん、大丈夫?」

「いや、今日もぜんぜん眠れなくてさ……」

 おれは一週間ほど前から、不眠症に悩まされていたのだ。

「ちょっと、イイもの持ってきたのよ」

 彼女は部屋に上がり込むと、鞄からお茶っ葉のようなものを取り出した。

「何だよ、それ?」

「これ、通販で買ったの。ルーハテネ・ハツジっていう薬草を煎じたものらしくて、これをお湯に浸して飲めば、一瞬で眠れるらしいのよ」

 う、胡散臭い……。

 だが今のおれは、藁にもすがりたい気持ちだった。どうせダメで元々だし、おれはその薬草茶を飲んでみることにした。

「どう、眠くなった?」

 淹れたてのお茶を、ぐっ﹅﹅と一息に飲んではみたが。

「ごめん、ぜんぜん眠くならないよ……」

 彼女の持ってきた薬草に効き目はなく、その夜は一睡もできずに朝を迎えた。


 それから数週間が過ぎた。

 医者に行っていろいろな睡眠薬を処方してもらったが、いずれも効果はなく、今では一睡もできなくなってしまった。

 そんなある日、仕事が終わり帰り道を歩いていると、よく日に焼けた小太りの男が話しかけてきた。

「失礼ですが、あなた、真田勇一さんですよね?」

「はい、そうですが?」

「わたくし、こういった者でして」

 と言って渡された名刺には、男の名前の横に、テレビ局のディレクターという肩書きが刷られてあった。

「あなた、すでに一カ月は眠っていないと聞いたのですが、本当に?」

「ええ、本当ですけど……」

 テレビ屋が、おれに何の用があるのだ?

「真田さん、テレビに出演してくれませんか? そうすれば、あなたが眠るための方法を無償で試してあげますよ」

「えっ?」

 男の話によると、一カ月以上も眠れない不眠症は世界でも例がないらしく、ぜひテレビで取り上げたいというのだ。ドクター山根という発明家の博士が、自作の発明品を使って出演者の悩みを解決する番組らしい。

 どう考えても胡散臭い……。

 だがおれは、藁にもすがる気持ちで承諾した。


 収録当日。

 照明が輝くスタジオの中、司会者の男が声を張り上げておれを紹介した。

「今回の依頼者は、世界一眠れぬ男、真田勇一さんです!」

 ディレクターの合図で、スタジオじゅうに拍手と歓声が湧き起こる。

 おれは眠い目をこすりながら登場したが、不眠のせいで体はすでにふらふらだ。

「この真田さん、なんと二カ月の間、一睡もしておりません!」

 観客席から驚きの声が漏れた。

 スタジオの中央には、白衣を着た山根博士が立っている。

 博士はオーバーにうなずきながら話を捕捉した。

「そうじゃ。わしが脳波測定を開始した一カ月前からでも、真田さんの脳波が睡眠状態に入ったことは一度もなかった」

 司会者はおれにマイクを向けた。

「真田さん、眠れない理由に何か心当たりは?」

「はぁ、理由なんて分かりませんよ。眠気はひどいのに、目を閉じると頭が冴えてくるんです……」

 蚊の鳴くようなおれの声に、司会者は同情を寄せた。

「大変、おつらい状況ですね。博士、彼を眠らせる方法はないのでしょうか?」

「医者も匙を投げたんじゃろ? 今回ばかりは難しいかも知れんな」

 山根博士の言葉に、会場の空気が一瞬静まりかえったが、司会者はすぐに元気な声を出して切り替えた。

「そこで用意しましたのが、休眠音波兜、スリープ・ヘッドギアです!」

 ドゥルルルルルルル、ジャーン!

 ドラムロールの音が鳴り響き、スタッフが銀色のヘッドギアを運んできた。山根博士はそれを無造作に取り上げ、カメラに向かって説明を始めた。

「このヘッドギアはですな、装着者の聴覚にストレスをかけ続けることで、脳を強制的にスリープモードへ導くという装置なんじゃ」

「なるほど、音で脳を疲れさせるわけですね?」

「そういうことじゃ。では早速、真田さんに装着していただこう」

 おれは促されるまま、スタジオの奥に用意されたベッドに横たわった。

 ヘッドギアを装着するとスタジオの照明が落ち、静寂が訪れる。次の瞬間、不快としか言いようのない音が耳元から流れてきた。

 ギイイイッ、くっちゃくっちゃ、カシャンカシャン!

 何かを引っ掻く音、気味の悪い咀嚼音、突然の金属音、確かにストレスはたまるが、十分、二十分、三十分……、一時間が過ぎても、あくび一つ出やしない。

「………博士、脳波の方はどうでしょう?」

「ふむ、ストレスは感じておるが、逆に眠気が飛んどるな!」

 観客の笑い声が漏れる中、司会者は元気よく次の装置を紹介した。

「では、二つ目に用意しましたのが、安眠抱擁腕、スリープ・アームズです!」

 ドゥルルルルルルル、ジャーン!

 ドラムロールの音が鳴り響き、巨大なロボットアームが運ばれてきた。 

「この巨大な腕で抱きしめてもらうことによってですな、赤ちゃんの頃の安心感を得て、眠りに落ちるという装置なんじゃ」

 おれは促されるまま、巨大な二本の腕に挟まれた。

 ロボットの腕は暖かく、ぎゅっ﹅﹅﹅と圧迫される感触は悪くなかったが、やはりいくら経っても眠りの兆候は表れなかった。

「どうですか、真田さん、眠気は感じますか?」

「うーん、ぜんぜん眠くなりませんよ」

 と言った途端、アームの圧迫がじわじわと強くなった。

 いや、ちょっと強すぎないか?

「痛い、痛い、痛い、痛い、ぎゃあっ!」

 おれの叫び声に、観客席から大爆笑が起こった。

 ようやく装置は停止し、ロボットアームから這い出るおれを見て、観客席から再び大笑いする声が聞こえた。


「冗談じゃない!」

 怒りに任せてスタジオから出て行こうとすると、例のディレクターが慌てておれの前に飛び出してきた。

「真田さん、落ち着いてください!」

「おれは眠るために来たんだ。見せ物にされるだけなら、もう帰らせてもらう!」

「真田さん、そんなこと言わないで、次こそ絶対に眠れますから!」

「ふざけるな!」

「いやいや、演出上、最初の二つはあえて効果のない装置を使ったんです! そうすることで、三度目の成功がより感動的になるという……ええっと、つまり、テレビ業界の王道パターンなんですよ!」

 おれは言葉を失った。

 この男、平然とやらせ﹅﹅﹅を認めやがった。

 だが、テレビに出た以上、ある程度の演出は仕方がないのだろう。

 怒ったところで、どうなる?

 このまま帰っても、眠れぬことに変わりはないのだ。

「そこまでおっしゃるなら……まぁ」

「ありがとうございます真田さん、今度こそお任せください!」

 おれは、藁にもすがる気持ちで承諾した。


 スタジオに戻ると、巨大なロボットが設置されていた。

 マトリョーシカ人形を思わせる丸みを帯びたボディー。その手から四本の紐が垂れ下がり、ゆりかごのような座席がぶら下がっていた。

「ここに乗るんですか?」

 と尋ねると、山根博士が自信満々に説明を始めた。

「これは揺籠巨大ロボ、スリープ・ジャイアントママじゃ。こいつは遠心力を利用して、脳をリラックス状態に持ってゆき、睡眠を誘発する装置なんじゃよ」

 遠心力なんかで……眠れるのか?

 ますます胡散臭いと感じたが、もう怒る気力もない。

「では、座ってくだされ!」

 おれは言われるままに腰を下ろし、座席のベルトを締めた。

「スイッチオンじゃ!」

 博士の合図とともにロボットの体が回り始め、不思議な浮遊感に包み込まれた。

「どうですか、真田さん、眠気は感じてきましたか?」

 司会者の声が、ヘッドホンから聞こえた。

「まぁ、悪くないですけど……眠くはなりませんね」

 返事をした途端、ロボットの回転速度が急激にはね上がった。

「ちょ、ちょっと、速すぎません!?」

 回転はさらに加速した。

 視界がぐるぐると回り始め、遠心力で肉体が座席に押し付けられる。

「大丈夫、もっと、もっと、スピードを上げるんじゃ!」

 今度は、興奮した山根博士の声が聞こえた。

 ゆりかごはさらに加速し、座席が不安定に揺れ始め、ぱきぱき﹅﹅﹅﹅という何かがきしむような音が聴こえてきた。

「と、止めろーっ!」

 次の瞬間、おれは空中に放り出されていた。

 ロボットの腕が遠心力に耐えきれず、おれごとゆりかごを投げ出したのだ。

「うわあああああああっ!」


 と、叫んだところで目が覚めた。

「どう、ルーハテネ・ハツジの効き目、すごいでしょ?」

 おれが横たわるソファーの側に彼女がいて、窓からは朝の光が差し込んでいた。

「えっ、あれ?」 

 眠気はすっかりなくなっている。

 どうやらおれは、昨夜から長い夢を見ていたらしい──。


(了)

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