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第60話 ヤドヴィガ6

「……これは我がヴィーザル家の領内で起きたことだ。広大すぎて山岳地帯まで目が行き届かない。領外でも同様の事案が昔から続いている。このアフロディーテ大陸テラにしかヴァルヴァの工場はないからな」


 アフロディーテ・テラ。

 地球時代の観測結果から続く呼称だ。赤道に近いこの高地は女神アフロディーテを由来としており、現在は広大な大陸となっている。太陽圏歴の現在も当時の観測同様にアフロディーテ大陸と呼ばれている。

 金星の三大大陸最大であり、残り二つの大陸は地球時代同様の呼称で呼ばれている。北極付近にあるイシュタル大陸と南極付近にあるラダ大陸だ。


「父と母はこのような工場を潰すために紛争に巻き込まれたのですね」


 カジミールは無言で首肯し、ヤドヴィガの問いに答えた。

 そして映像が終了した。

 工場や食肉用トラックは爆破されていた。


「この映像も古いものだ。今なお我らの目をかいくぐって稼働していた非合法の工場をアンジが発見してヴァルヴァを救出していたのだ」

「アンジ様はどうしてそこまで……」

「儂の予想じゃが、ヴァルヴァの少年を救出したあと、非合法の生産工場を見つけてしまった。彼もまたヴァルヴァの現状を知ったのだろう。単身、各地を放浪しては工場を解放していったとみえる」

「単身……」

「補給もままならないのによくもまあここまで戦ったものだ。アンジには強い義侠心と信念がある。儂はそう思っているが笑うか?」

「笑いなどしません。わたくしもそう思います」

「僕もです! 世の中が間違っていますよ。レスリック様だってわかっているはずなのに……」


 優しく賢いレスリックがどうにもならないこともある。それが政治なのだろう。


「アンジは助かるよ。今は政争の最中だが、おそらく何らかの理由で恩赦を出すだろう。そうでなければ国内のヴァルヴァも抑え切れまい。レスリック殿を信じよ」

「わかりました」


 祖父の言葉にカミルはほんの少しだけ安堵した。


「カミルよ。怒りを覚えた今の気持ちを忘れるな。アンジが行った行為はヴィーザル家の矜持を体現したものである。そして儂はアンジを助けてやることもできなかった。ゆえにお前たちに託すのだ」

「お祖父様! 託すなどと」

「ヤドヴィガ。儂が長くないことはしっておろう。ヴィーザル家をより強くしろ。そして無残な宿命の下に生まれた同胞を救い出せ。終わりはないぞ。覚悟はいいな?」

「はい!」

「ヤドヴィガ。お前はアンジを捕まえろ。アンジは二重の意味で狙われている」

「二重の意味とはどういうことでしょうか?」

「伴侶として。そして盟主としてだ。あの男は生粋のヴァルヴァたらし・・・だ。競争相手は多いだろうな。しかし問題はそこではない。ヴァルヴァ解放戦線もまた、人間の指導者層として彼を狙っている」

「聞いた話では、ヴァルヴァ解放戦線とアンジ様は対立していたはずでは?」

「ヴァルヴァの扱いについてだな。しかしヴァルヴァたらしといっただろう。解放されて人間への認知が歪んだヴァルヴァも多い。そしてそんな彼等が信奉する者こそ解放者ラクシャス、その乗り手なのだ。旗頭として担ぎ出そうとする輩もいるはずじゃ」

「……いいたいことはわかります。希望、いえ信仰に近いものになっているのですね」

「そういうことだ。アンジはそんなものを望むはずがない。お前はアンジに好意をもっておろう。追い掛けろ」

「姉さん。次期党首である僕からも御願いします。アンジさんを捕まえてください」

「カミル……」

「本当はな。じじぃとしては自由に生きろといいたかった。儂の代で全部片付けたかった。お前たちに託すことになってすまないと思っている」


 カジミールの本心だった。家や領土に縛られて孫たちの人生にレールを敷いてしまったことを悔いている。


「お祖父様! 僕はヴィーザル家に誇りをもっています!」

「わたくしもですわ。いえ。あのような地獄をみたあとだからこそ、より誇らしいのです」


 子供たちの言葉を聞いて、ふとカジミール老の肩の荷が軽くなった気がした。


「お前たちは自慢の孫だ」


 カジミールは二人を抱き寄せ、涙を滲ませた。


◆ ◆ ◆ ◆ ◆


 カジミールが亡くなり、数年が過ぎた。

 ヤドヴィガは今年、モレイヴィアの大学を卒業する。あの映像をみて以来、何かに駆り立てられるかのように勉学に勤しんでいた。

 何をするにも知識はいる。もう無知ではいられない。悪夢にうなされる日も多かったが、死んでいった者たちは悪夢を見ることすら許されない。

 まずは知識だ。アンジを追うにしても大学だけは卒業すると心に決めて勉学に勤しんでいた。

 数年前、恩赦で釈放されて以来姿をくらましているアンジを探す。それが卒業後した彼女が己に課した使命だった。


 ヤドヴィガはとある屋敷を訪れていた。レスリック大統領の私邸だ。


「お久しぶりです。レスリック大統領閣下」

「息災で何よりだヤドヴィガ。美しくなられたな」

「ありがとうございます」


 ヤドヴィガは姫と呼ぶに相応しい気品と美しさを持つ女性に成長していた。

 小麦色を思わせる髪色は腰まで長く、淑女に相応しい気品と美貌を兼ね備えている。


「用件なら察しているぞ。ラクシャスの乗りについて聞きたいのだろう。——すまんな。俺も知らん」

「なっ」


 用件と回答を同時にいわれて絶句するヤドヴィガ。これだから龍似ドラコライクは恐ろしい。


「ヤドヴィガ嬢よ。君はラクシャスの乗り手をどうしたい? それによって俺の返答も変わるぞ」


 私人としてのレスリックはフランクだ。

 しかしその問いは重い。この国の中枢に関わるに等しい案件だからだ。


「アンジ様を追い、今度こそ護りたいのです」

「本人が少女に護られることを厭おう」

「今年大学を卒業いたします。少女という年齢でもございませんわ」

「ふむ。化石のような古い表現だが男にもメンツというものがある」

「もちろんアンジ様のメンツは立てますわ。他の男は知りませんが」

「やれやれ。君のような者たちを知っているぞ」


 レスリックは苦笑した。


「俺の妹が二人の少女を養女としている。その者たちはラクシャスの乗り手を匿い、養い、保護するための組織作りに邁進中だ。君がよければ紹介しよう」

「会社ですか?」

「そのかわりその入会の条件は厳しい。今でも四名しかいないし、おすすめはしない」

「よろしければ、どのような意味でおすすめしないのかご教示いただけないでしょうか」


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