年老いた狐耳を持つ祖父カジミール・ヴィーザル侯爵がベッドの上で状態を起こす。
「杖を持て。パヴェウ」
見た目は健康そうな老人に見えるが齢は百二十を越えている。ヴァルヴァは個体差があるが長命で、
自分と同い年である執事に命じるカジミール。
「お祖父様! そんな体では無茶です!」
十三になる狐耳の少女ヤドヴィガが祖父をベッドに戻そうとする。
「バヴェウ。なんとかいってくださいまし!」
「お嬢様。止めてはなりません」
太陽圏政府煌星支部軍の兵がヴィーザル領に侵攻する報告が入ったのだ。
ヴィーザル領は名門であり、土地の所有権はほぼヴィーザル家が保有している。モレイヴィア国のなかでは珍しく主権も保有する立憲君主制だ。国民からの信頼も篤い。
何よりヴィーザル家はモレイヴィア国議会上院議員としての議席が常に用意されている。
ヤドヴィガは両親を早くに無くし、弟のカミルは若干十一歳ながら次期当主としてモレイヴィア国式典に参加していた。ヴィーザル侯爵が持つ戦力の一部は護衛に付き添っている。
「主力がヴァルヴァの闇工場解放に向かっている際に…… この街を落とせば事実上ヴィーザル家の保有領土を掌握することになる」
同時期に非合法のヴァルヴァ生産工場を発見したという通報を受けたヴィーザル家は、同胞を悲惨な運命から救うべく主力部隊を向かわせていた。
非合法のヴァルヴァ工場は、腐敗した煌星支部軍の資金源となっている。根幹から原因を断たねば不幸な同類が生まれ続けるのだ。
「儂にはお前たちの両親を死なせた負い目がある。先に死ぬのは年寄りからなのじゃよ」
「わたくしがフーサリアに搭乗しますわ」
「お前には無理じゃ。ヤドヴィガ。わかっておくれ。これは騎士としての最後の勤めなのだろう」
バヴェウが当主に杖を差し出すと、誇り高き老人は背筋をまっすぐに伸ばして立ち上がった。
「敵の数は?」
「ハザーが五十機以上。無人戦車や重武装ドローンも確認できます」
「ひぃ」
ヤドヴィガが悲鳴をあげそうになり、こらえる。五十機ものハザーが侵攻するなど、近年ない事態だった。
「じきにヴァンダルス川を越えると思われます」
「我が方にはどれだけの戦力がある?」
「フーサリア【ヴァルシュ】。ハザーが四機。小隊分のみです」
「十分だ。敵にフーサリアはなかろうよ」
ヴァルシュは圧倒的な性能を誇る。しかしヤドヴィガには多勢に無勢に思えたものだ。
「バヴェウ。モレイヴィア軍からの援軍は厳しいのですか?」
「間に合いません。さすがに遠すぎます。我が家の騎士団もすぐに引き返すことは敵いますまい」
「そうであろうとも。でなければ臆病者どもが侵攻などするものか。よほど非合法のヴァルヴァ生産工場を潰すことが連中にとってはまずかったのだろうよ」
資金源を断たれることを恐れた煌星支部軍の一部が、独断で向かっているのだろう。
煌星支部政府と軍の上層部は形骸化しているとはいえ、処断しなければならなくなる。
「緊急です。失礼します」
カジミールの寝室に、兵士が慌てて入ってきた。
「構わん。話せ」
「煌星支部軍の旅団がヴァンダルス川を越えて進軍していますが、交戦中です」
「交戦中? 誰だ?」
「それがわからないのです! 煌星支部軍と戦っている者は所属不明機です。おそらく単機で……」
「単機だと!」
カジミールが驚きの声をあげ、パヴェウが笑みをこぼす。
「彼がきてくれましたな」
「彼? ひょっとしてラクシャスのパイロットという男か」
カジミールも報告で聞いたことがある。各地でヴァルヴァを救援している男だった。
非合法のヴァルヴァ生産工場をカジミールの騎士団に通報して救援を要請してくるという。
ヴァルヴァを保護するという役割を自負するカジミールは会ったこともない人間の男に好感を抱いていた。
「左様でございます。救援を打診したところ、行けたら行くが一機で無茶はできないから期待しないでくれ、という回答でしたのでご報告しませんでした」
「ラクシャスという機体もフーサリアだったな」
「スクラップをかきあつめて造り上げたと申しておりましたが、なかなかどうして侮れませんぞ」
「こうしてはおられん。儂も出撃する。我が領地と関係もない一人の男にすべてを任せて眠ることなどできるものかよ」
「心中お察しいたしますぞ。挟撃になりますな」
「そうだ。——ヤドヴィガ。いいか。困っている時に駆けつけてくれる者を信じるんだ。今、儂たちの代わりに戦っている男が証明してくれるだろう。だからここで大人しくしていなさい」
「はい。お祖父様」
「パヴェウ。万が一の時は頼んだぞ」
「お任せ下さい。ご武運を。カジミール様」
「いってくる」
カジミールは老骨に鞭打ってヴァルシュに向かう。
「どうせ死ぬなら戦場がよい。我が領地を護るために戦っている者がいるなら、なおさらだ」
彼が愛する土地を、彼の代わりに守るためたった一人で戦っている男のもとへ駆けつけねばならないのだ。