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第8話 片隅で

「好意って…… 顔真っ赤にしているじゃないか。無理をするんじゃない。なにより俺達は今日が初対面だろう? 俺は何もしていない。俺も君を理解していない」


 アンジは困惑を隠せない。


「だから徐々に打ち解けていきましょう。もし私が好みでは無いなら、他の手段も覚悟しています」

「どうしてそうなるんだ」

「私が身元を調査した高級コールガールなどを検討します。主にヴァルヴァの女性になりますね。費用はリヴィウへの送金から引きます」

「待て待て待て。どうしてそうなる」

「遊興費ですから。私は寛容です。この格納庫に出入りする女性達との合意があれば自由恋愛として認めます。この場所はヴァルヴァしか出入りしないし、みんなもアンジのことを気に入ると思います」

「そうはならんだろ……」

「我慢するか、手短な私で我慢するか。リヴィウへの送金はもうやめるか。ここで他の女性を口説くか。多少の選択肢は残されています」

「やめてくれ。俺は女を買ったことなどないからな!」

「リヴィウから聞いて知っています。今までの送金額をみてそんな余裕があったとも思えません」


 リヴィアはくすっと笑いを漏らす。


「襲ってくれといわんばかりの環境が理解できないんだ」

「繰り返しますが私達の間で行われる行為は合法。そこは抱いてくれといわんばかり、というべきです。私にはアンジに好意がありますから」

「リヴィウの戦友に手を出すわけにはいけない」

「リヴィウからアンジのことを頼まれています。リヴィウは私とアンジが家族になることを喜ぶはずです。だからといってリヴィウの言葉だけで誰構わず一線を越えるような真似はしないですよ。あくまであの契約書は私自身が決めた、私の意志です」

「本当か?」

「私だってリヴィウの信用を失いたくないです。アンジと共通する話題はリヴィウだけ。彼の言葉を騙って自分自身を売るような嘘をついてどうするんですか」

「それもそうだ。疑って悪かった」


 無一文の犯罪者に、わざわざ友人の言葉を使って彼女自身の肉体を提供するなど、まったくもって理不尽な話だ。

 どう考えてもアンジにはメリットしかない状況ではあるのだが、あまりにも分不相応だ。


「ようやく納得してくれましたね。急に環境が変わると混乱します。私も経験がありますから」


 澄んだ瞳は遠くを見詰めているかのよう。過去を思い出したのだろう。


「混乱して悪かった。俺はリヴィアと普通に暮らせばいい。そうだろう?」

「はい」


 輝くような笑顔。アンジはどうしてか胸が痛む。

 理由は不明だが、彼女の好意は本物かもしれない。しかし若く美しく、おそらく権力もある女性と自分とではあまりにも不釣り合いだろう。


(こんな俺を罠に仕掛けても仕方がない。ヴァルヴァが俺を恨んでいる可能性は多少ある…… しかし守衛の態度からみても権力者の身内か何かだろう。なるようにしかならんな)


 大きくため息をつき、力無く笑う。


「どうかしましたか?」


(誤解でなければ彼女は俺に好意があるようだ。俺はあまり人と接触したくはない。地下で整備士なら何も言うことはないな)


「いや。――ありがとう。これから世話になる。よろしく」

「ふつつかものですが末永くよろしくお願いします」


 三つ指揃えて深々と頭を下げるリヴィアだ。

 アンジはその仕草に若干狼狽える。


「……わかってて言ってるな!」

「違った? 確かこういえばいいと聞きました」

「いや、いい。大丈夫だ。問題無い。多分」

「私達の間には何も問題ありません。問題があったらすべて排除しますから」


 アンジは目を背けて、愛想笑いを浮かべる。排除という言葉は重い。本当に排除しかねない勢いだ。

 語気に押され目を背けていた彼は見ていなかった。


 リヴィアがテーブルの下で、ぐっとこぶしを握りしめてガッツポーズを取ったことを。


◆ ◆ ◆ ◆ ◆


「現場でも見るかな」

「太陽圏時間ではもう夕方です。食事にしましょう。しばらくは私が料理当番をします」

「さすがにそれは申し訳ない気がするが…… リヴィウから聞いているかもしれないが、料理が得意ではなくてな。あいつに美味しいものでも食わしてやりたかったな」


 ふと漏れ出る後悔。一年ほど一緒に過ごした少年には携行食糧を食べさせていたことが多かった。

 二人は追われていたからである。


「そんなことはありません。街に行くたびに変わったものを食べさせてもらったと。何より一人ではない食事は嬉しかった――リヴィウにとっては家族との食事。大切な思い出になっています」

「家族、か。リヴィウがそういってくれたのか。あとで気が変わったのだろうか」


 彼との離別を思い出す。涙を目一杯浮かべながら、彼に向かって叫んだのだ。


 ――大嫌い!


 今なお残る後悔。死んでも手を離すべきではなかった。


「あなたたち二人に最後の別れの際、なにがあったかそこまでは知りません」


 強ばった表情のリヴィアが、アンジをじっと見詰める。


「リヴィウはアンジに叫んでしまった言葉を彼はずっと後悔していました。自分があまりにも子供で未熟すぎて、と」

「子供が未熟で何が悪い。それだけ俺はリヴィウの心を傷付けたんだ」

「あなたもまた同じ苦しみを背負って生きていた。そのためにもまずアンジは私と暮らして、リヴィウからの連絡を待つべきなんです」

「リヴィウも後悔しているのか。俺はそういわれても当然の酷いことをしたんだが……」

「その手を血に染めて、彼を護り抜いて? 死刑覚悟の司法取引で罪まで受け入れて彼の未来を繋げて? 貴方だって報われるべきです。私もリヴィウもそう思っています」

「それでも、だよ。家族と思ってくれていた、少年の心を裏切った。俺だけが決して手を離してはいけなかった。浅はかな考えだったのさ。他のどんな人間に罵倒されても平気だが、あれは俺が悪かったんだ」


 痛ましそうな視線を注ぐリヴィアに、アンジが右眉のみ上げて、首を横に振る。


「リヴィアが気に病むようなことじゃない。つまらない話をしたな」

「大切な話です。貴方がリヴィウをそこまで想っているとは……意外だった」

「俺の気持ちはただの罪悪感だ」

「その罪悪感も癒やされてもいい頃合いでしょう? 気分転換に食事をしましょう。用意するから少し待っていて。料理は内緒です。アンジはダイニングでくつろいでね」

「簡単なものでいいよ。頼んだよ」


 キッチンに消えたリヴィアを見送ったアンジは、大きくため息をついた。リヴィウの友人に情けない姿を見せてしまったことを若干後悔し、考え直す。

 多少幻滅してくれたほうがいい。あの好意は異常だ。距離感がおかしい。自分はリヴィウに惨い別れをしてしまったのだから、蔑視されてもおかしくないのだ。


 アンジは知るよしもない。

 キッチンの片隅にしゃがみこみ両手で顔を覆い、涙を流しているリヴィアの姿がそこにあった。


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