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第2話 目が覚めたら美少女が隣で寝ている


 アンジが目を覚ました。コックピットではない。遠い昔の夢だった。

 まさか十年以上前の夢を見るとは思わなかった。

 虚ろな視線は、見慣れない天井を映していた。


「リヴィウ……」


 聞こえないほどの小声で呟く。少年を忘れたことは一度たりともない。

 図らずも、彼が見捨ててしまった少年の名を――


 しかしこれほど深い眠りに落ちるなど久々だ。きっとふかふかのベッドのせいに違いない。日雇いの整備員である彼は今まで冷たい床で毛布を巻いて寝ることが日常だったのだ。


「彼が気になりますか?」


 耳元で囁かれ、ぎょっとして離れた。

 悪戯っぽく笑っている美少女。


 腰まである輝くような青みがかった銀髪に、吸い込まれるような美しい大きな蒼い瞳。

 大理石のような白い肌にスレンダーなボディの持ち主の美少女。そんな少女が、何故か裸の上に彼のパジャマを着ている。

 この状況は意味がわからない。


(ソファで眠っていたはずだよな)


 この状況を整理しようと努力するが、触れあうほど間近にいる美少女にどぎまぎして声もないアンジだった。


「俺、ソファで寝ていたはずじゃ……」


 昨日、工場をクビになったばかりのアンジを、何故かこの少女が待ち構えていた。

 色々あって同じベッドに寝るはめになり、あまりの気まずさに早々にソファへ退避したのだった。


「ソファで寝落ちしていたので私が運びました」


 耳元で甘く囁き、微笑む少女。

 デザインされた人工種族ヴァルヴァは人間よりも知力も筋力も優れている。


「ありがとう」


 どういってもいいかわからず、言葉に詰まるアンジ。


 彼女は雇用主。逆らってもいいことはない。


「お願いを聞いてください」


上目遣いで、しかし悪戯っぽく笑う少女。


「ん?」

「服のボタン、留めてください」


 はだけている胸の谷間を指し示す彼女に、ただひたすら絶句するアンジだった。

 ぶっきらぼうな口調とは裏腹に囁かれる甘い声に脳が焼かれそうになる。


「ボタンぐらい自分で留められるだろう。そ、その。手を滑らせて胸に触ってしまったらどうするんだ」


 女性には縁がないアンジとしては、からかわれている気がしないでもない。

 魅力的な少女だ。しかしこんな自分が昨日会ったばかりの少女にこれほど好かれている理由もわからない。


「問題ありません。私がお願いしているのです。昨日も話したはず。あなたが私に何をしても同意を得た行為です」

「だからそれが問題あるんだって!」


 この少女はもうすぐ18歳ということで、親の全権委任をもらっているそうだが、彼にしてみれば何故そうなっているかまったくもって理解不能だ。


(目が覚めたら銀髪美少女がいる。これは何かの間違いに違いない)


 夢ではないようだが、現実感がまるでない。昨日まで彼は人目を忍んで生きてきた。


「雇用主命令とか?」

「あくまでお願いです。――ダメですか?」


 哀しそうに俯いて無言になる少女。この空気に耐えきれなくなったアンジは、心の中で半泣きになっている。昨夜のトラブルを思い出すと断ることもできない。

 本来なら喜ぶところなのだろうが、女性とはほとんど縁が無い人生だった。


「わかった。やるよ。――そもそもなんで俺のシャツを着ているんだ」


(これほどの美少女が、よりにもよっておっさんのパジャマを着ているのか)


 考えれば考えるほどに謎だった。


「ああ服? ソファに脱ぎ捨ててあったから。私も寝るときは着込まないけど裸だとアンジが気まずいと思って。昨日いったはず。私もズボラだって」


 絶対に気まずい。今も裸の上から彼のシャツを羽織っているだけ。下肢のインナーのみだ。


「気まずい」

「借りて正解でしたね」

「気まずい」


 おそるおそる彼女のボタンを留めながら、本音を二回繰り返すアンジ。

 彼女は気にした風もなく、ただアンジがボタンを留める作業を眺めている。


「ほら。留めたぞ」

「朝食にしましょう」

「こら。パンツを履きなさい」

「? 履いてます」


 彼女が示すものは下着である。


「インナーではないほうを、だ。ロングのボトムスを」

「仕方ない。そこまで言うなら」


 わざとらしい嘆息をしながらコックピットパンツを履く。


「やはり同じ部屋というのは無理があるのでは」

「問題ありません」


 きっぱりと言い切る彼女に、内心頭を抱えるアンジ。


「リヴィウから聞いています。アンジは屋内で常にインナーのみかパンイチだったと」

「そんなことまで聞いているのか」

「いつも楽しそうに語っていましたよ」


 そういわれると、今度は泣きそうになってしまうアンジだった。

 彼の罪。――それは。


(リヴィウを知るという少女についてきたが、こんな事態になるなんて……)


 アンジは昨日会ったばかりの少女との距離感に迷っていた。

 路頭に迷う直前、少女に拾われたばかりなのだ。



◆ ◆ ◆ ◆ ◆



 太陽圏歴1950年9月。

 かつて金星ヴィーナスと呼ばれた惑星は、煌星ルシファーと名を変えている。


 道をやや背中を丸くして歩く男。身長はやや高く、体格はいいがやつれている。

 アンジは人類発祥の地球、日本という国で生まれた移民だ。

 とある罪により服役中だったが恩赦があり、民間の機兵整備会社に日雇い労働者として勤務している。


 煌星と太陽圏政府には深い溝が存在して、今なお散発的な紛争が発生していて整備業の身元は問われないことが多いからだ。

 二十歳から服役して約五年で出所できた彼も今や三十一歳。中肉中背だが、やや頬がこけてやつれている。


「明日から来なくていいよ。若い奴が正規雇用で入ってくるんだ。悪いな」


 現場責任者の男から突然宣告を受けた。


「そうか。世話になったな」


 日雇いは仕事クビらしい。とくに文句はない。彼はあっさりと引き下がり整備工場を跡にした。

 アンジは刑余者だ。勤務先に犯罪歴がばれた可能性もある。


(三ヶ月いた工場ともおさらばか。まあ、悪くはなかったな)


 金はほぼ無所持。以前も太陽圏戦争時代の残骸を回収して整備し、売り払って生計を立てていた身であった。

 どんな仕事でも肉体労働の需要はある。幸い体だけは丈夫で、仕事さえあればなんとかなるだろうと楽観的に考えていた。



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