それは、夏休みも終盤に近づいた日のことだった。
深夜二時。
「……柚月、なぁ、柚月!」
「ん〜なに……?」
寝ていると、コウに起こされた。眠い目をこすりながら、起き上がる。
「どうしたんだよ……?」
「なぁ、肝試し行こーぜ!!」
「…………は?」
耳をほじる。
聞き間違いか?
「ほら、寝惚けてないで早く着替えて!」
コウに腕を引っ張られて、バランスを崩しかける。目が覚めた。……じゃない。
「待て待て。今、なんて?」
――肝試し行こーぜ?
真夜中に似つかわしくないハツラツな笑顔とセットで、そう言われた気がするのだが。いや、さすがに気のせいだろう。というかこれは夢だ。うん。
もう一度ふとんのなかに戻ろうとすると、コウにふとんを引っペがされた。
「なにすんだ!」
「寝るなよ!」
「寝るわ! おまえ、今何時だと思ってんだよ!」
「二時!」
「……お、おう。……そ、そうだよ!」
素直に正確な時間を言われて狼狽える僕にも、コウは動じない。
「知ってるよ!」
「いや、だからな……?」
そんな澄んだ目で言われても。
「二時は寝る時間なんですよ。だからはい、おやすみ」
なるべく優しく諭し、コウの手のなかのふとんを引っ張る。しかし、コウは僕のふとんをぎゅっと抱き締めたまま。僕が引っ張っても、びくともしない。
「……ずるい」
コウが突然、真顔で、且つ静かな声で言った。
「は? なにが?」
「柚月はずるい! 俺は結構我慢してるのに!」
すぐとなりに雷が落ちたぐらいの衝撃を受けた。
「が、我慢……!?」
我慢!? コウが!? あの、コウが!?
いや、さすがにこれは聞き捨てならない。
「待て待て待て。だれがなんの我慢をしてるって!?」
「俺が、いろいろ、我慢してるんだよ」
「それはこっちの……」
セリフだ! と、叫びかけて、ハッと口を噤む。
今は深夜。こんな時間に喧嘩なんかしたら、まわりの部屋に迷惑になる。また寮監から説教を食らうのは、ごめんだ。
深呼吸をして、落ち着く。
脳に酸素がまわったのか、少し冷静になる。そうそう、少し落ち着こう。話を聞かないうちから頭ごなしにキレるのはよくない。
「……それじゃあたとえば、コウはなにを我慢してるの?」
「学校から帰ってきたらすぐ寝たいけど、とりあえず着替える!」
「それは当たり前だろ……」
思わず額を押さえた。
やっぱり、こんなことだろうと思った。
僕の表情で察したのか、コウが慌て出す。
「ほ、ほかにもあるし! ほら、ベッドでポテチを食べないとか!」
「それも当たり前だろ」
「で、でもでも、どっちも俺にとっては当たり前じゃなかったもん! 今は柚月に怒られるから我慢してるけどさ……」
コウの声はどんどんしりすぼみになっていく。まるでいたずらがバレて怒られた仔犬のように、コウはしょぼくれている。
その姿に、我に返る。コウの言うことは、間違っていない。
……なんで気付かなかったんだろう。
僕が我慢しているように、コウだって我慢していたのだ。
お互い、出会って一ヶ月程度の相手と同じ部屋で生活する。
我慢がないわけがない。
それなのに僕は、じぶんばっかりが我慢して、合わせてやっていると思っていた。勘違いも甚だしい。
「……言われてみれば、それもそうだな」
コウがハッとしたように顔を上げる。
「だろ!?」
「でも深夜に無断外出はダメでしょ」
「えぇ〜!!」
それはそれ、これはこれだ。
規則違反は内申書にも響く可能性がある。成績に響くことはしたくない。が、コウはまだ諦め切れないようで、僕にしがみついてくる。
「なぁなぁ、もうすぐ夏休み終わっちゃうじゃん! 俺らまだふたりで遊び行ってないじゃん!? やっぱり夏は肝試ししたいじゃん〜!! 柚月〜、ふたりの思い出作ろうよ〜!!」
コウは僕の肩を掴み、ガツガツと揺らす。
「……うるさいなぁ……僕もう眠いんだけど」
「お願いお願い」
「あーもう……」
これは、面倒なやつだ。コウはこうなったら、僕が折れるまで折れない。
「……分かったよ。じゃあ、ちょっとだけな」
ため息混じりに了承すると、コウの顔にパッと無邪気な花が咲く。
「やった!! じゃあ着替える!」
コウはそう言って、僕にふとんを押し返してくる。
「は……?」
受け取りながら、今の発言は聞き間違いかと耳を疑う。
「待て待ておまえ、着替えてなかったの!?」
胸に抱いていたふとんで隠れてよく見ていなかったけれど、コウはパジャマだった。
「だって柚月がやだって言うかもしれなかったし。先に着替えたって無駄じゃん?」
「おまえ……」
これは最近気付いたこと。コウは、案外ちゃっかりしているところがある。
「ったくもう……」
もうなにも言うまい、と思いながら、僕も私服に着替えた。