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特別編*4*

「……じゃあなに?」

「…………」

「コウ?」

 柚月が優しく訊く。

 あぁ、もう。こういうときばっか優しいとか。

 このまま告白したら、すんなり俺を受け入れてくれるんじゃないか、なんて誤解してしまいそうになる。

 落ち着け、俺。

「……柚月はちょっと我慢し過ぎだと思う」

 呟くように言うと、柚月が怪訝そうな顔をした。

「……いや、そんなことないだろ? べつに」

「あるよ! 柚月はもう少し、わがままになってもいいと思う!」

 強めに言うと、柚月が戸惑った声を漏らす。

「お、おう……なんだよ。すごい言うじゃん」

「ご、ごめん。でもその、柚月見てるとなんかつらくなるんだ。前から思ってたけど、柚月は〝我慢〟って言葉に呪われてると思う」

 柚月は話を遮ることなく、じっと俺の言葉に耳を傾けてくれている。なんだかんだ優しい柚月は、いつも俺の話を最後まで聞いてくれるのだ。

「その……柚月は健康だからぴんと来ないかもだけど、生きてること自体、すごい奇跡みたいなことなんだよ」

 俺は、少し前までいろんなことを我慢してきた。我慢しなきゃ死ぬって言われていたから、我慢すること自体強制だった。

 だからこそ俺は、ずっと憧れていた。ふつうというものに。それが今だ。

「柚月のふつうは、俺にとってはすげぇ特別だってこと、分かってほしい」

 すると、柚月はハッとしたように息を呑み、俯いた。

「……ごめん。僕、不謹慎なこと言ったよな」

 いつになく真面目な口調で言ったせいで、柚月は俺が怒ったと勘違いしたらしい。

 あぁもう、なんて可愛いんだろう。

 今の話は、俺が俺の気持ちを誤魔化すためにそれっぽく言っただけなのに。それなのに柚月は、俺の言葉を素直に受け取って、反省して、向き合ってくれている。

 柚月の素直さといじらしさに、好きだ、と心のなかで叫びながら、俺は、いつもどおりのふざけた笑みを貼り付ける。

「や、べつに責めてねーって! お互いじぶんの意見を言っただけだし。つーか、元気なやつに元気でいられる幸せを自覚しろなんて、無理な話よ」

 俺は健康ではなかった。だから気付くことができただけのこと。逆を言えば、健康であることが当たり前の柚月には、ぴんと来なくて当たり前の話なのだ。

「……その、だからさ、なにを言いたいかと言うと、俺にとっては、柚月は特別だってこと」

 だから、せめて俺の前ではただの柚月でいてほしい。強がらないで、素を見せてほしい。

「う……うん?」

 柚月が戸惑い気味の視線を向けてくる。俺は一度言葉を呑み込んでから、思い切って柚月に告げる。

「俺は、たとえ柚月が優等生じゃなくなっても、わがままになっても、ぜったい見捨てたりしない。兄弟がアイドルとか、そんなのもどうだっていい。俺は柚月がいちばんいい! だれよりも大好きだって、今ここで誓う!」

 静かな夜空に木霊するほど響く、大きな声で宣言した。

「…………」

 柚月は目を見開き、驚いた顔のまま瞬きもせず俺を見ている。

「……ゆ、柚月?」

「…………」

 無反応。

「あの……おーい?」

「…………」

 やっぱり無反応。

 どうしよう。さすがにこれは焦る。

「み……見過ぎだろ!」

 いたたまれなくなってツッコむと、柚月がぴくっと肩を揺らして我に返った。

「あ、ご、ごめん。つい」

 柚月は、ぱちぱちと忙しなく瞬きをしている。つられるように俺も瞬きをしながら、頭のうしろに手を持っていく。痒くもないのに、後頭部を乱暴に掻きむしった。

 再び静寂が落ちる。コンビニの明かりが、わずかに俺たちの姿を闇に浮かび上がらせている。

 俺たちは、無言のまま見つめ合った。時間で言えば、おそらくほんの数分。でも、その数分がやけに長く、何十分にも思えた。

「あのさ、コウ」

 しばらくしてようやく、柚月が口を開いた。

 柚月の気まずそうな顔に、一気に現実が押し寄せる。ヤバい。今のはさすがに告白だって、バレた。どうしよう、ぜったいにきらわれた。

 次の言葉を聞くのが怖くて、俺はギュッと目を瞑った。

 夏休み直前、プールでのできごとが蘇る。あのとき俺は、プールのなかで柚月に告白をした。『好きだ』と言った。

 柚月はなんて言ったのか分からなかったみたいだけど、それでよかった。柚月の目を見て想いを告げられただけで、満足だった。

 これは、自己満足。

 実際俺の気持ちを伝えたところで、柚月を困らせるだけなのは分かっているから。

 この気持ちを伝えたら、今の関係ではいられなくなる。柚月と離れるくらいなら、ただのルームメイトでいる。この気持ちを我慢する。そう決めてたのに。なにやってんだ、俺は。

「やっ……今のはさ」

 冗談だよ! と、笑って誤魔化そうとした瞬間、柚月が一歩踏み出した。踏み出したぶん、俺と柚月の距離が縮まる。驚く間もなく、柚月が俺の頭に手を置いた。そのまま、わしゃわしゃと撫でられる。まるで犬を撫でるみたいな撫でかただったけれど、俺の心を乱すにはじゅうぶん過ぎた。

「わっ……え、な、なんだよ、ゆづ……」

 撫でられながら、ちらりと柚月の顔を見上げる。

「……うん。なんか撫でたくなった。……ありがとな」

 返ってきた言葉が、余計俺の心臓を締め上げてきやがる。

 見上げた柚月は笑っていた。とても優しい笑顔で。うわ、と思って目を逸らす。目に焼き付けたいと思う反面、恥ずかしくて顔があげられない。

 今の顔を見られたら、気持ちがバレる自信がある。

 ……でも。

 ちらりと柚月を見る。

 見ると、柚月の頬もいつもよりほんのり赤くなっている気がした。……なんて、思ってしまうのは、さすがに都合良く考え過ぎだろうか?

「あのさ、コウ」

 今すぐにでも抱きつきたい衝動をこらえていると、柚月が俺の名前を呼んだ。

 柚月の声で紡がれるじぶんの名前は、信じられないくらい甘美に俺の耳を刺激する。

「な、なに?」

「僕も、コウのことは特別だと思ってる」

「え……」

 どくん、と心臓が跳ねる。俺はもう一度そろそろと顔を上げて、柚月を見る。柚月は、俺をまっすぐに見下ろしていた。ずっと焦がれ続けている瞳が、まっすぐ俺だけを見つめている。

「僕を、見つけてくれてありがとう」

 全身の体温が急上昇する。

 ヤバい。死にそう。

 不意打ちで向けられた柚月の笑顔の破壊力ったらない。

 柚月はいつも、俺の前では怒っているか、青ざめて嘆くかばかりだったから。まぁ、俺のせいなのだけど。

 とにかく、柚月が笑っている。

 俺に向かって。俺だけに向かって。

 笑っている柚月から、目が離せなくなる。

 ……あぁ、もう。泣きそうなんだけど。

 心臓を素手で鷲掴みにされたように、息が苦しくなる。

 苦しくて、目頭が熱くなって、いろいろ穏やかじゃないのに、嬉しい。愛おしい。こんなにも優しい感情が俺にも存在したのかと驚く。

 同時に、柚月と出会わせてくれた神様に感謝を叫びたくなった。

「さて。帰ろ」

 俺の気持ちを知ってか知らずか、柚月があっさり俺の頭から手を離して歩き出す。

 状況を思い出し、俺は慌てて柚月の手首を掴んだ。

「待って、特別ってなに? どんなふうに特別? 俺、柚月のどんな特別なの?」

「いや、どんなって……ふつうにだよ」

 柚月が困惑顔で僕を見る。

「ふつうに特別? え、なにそれどういう意味?」

「うっ、うるせーな。いいじゃん、そこはもう」

「よくないよ! そこはよくない。柚月のなかの特別ってなに!?」

「しつこいなー。じゃあもう、コウと同じ特別でいいよ」

 投げやりなそのひとことは、俺を興奮させるにはこれ以上ない一撃だった。

「はぁ!? ダメだよ、そんなの! そーゆうことは軽々しく言うなよ!」

「はぁ? 軽々しくって、べつにそんなつもりねーよ。……つーかなんでダメなんだよ」

 俺が怒った意味が分からないのか、柚月がとうとうため息をつく。

 呆れられてると分かっていても、こればっかりは流すことはできない。だって。

「だって俺の特別は……」

 続きを言いかけて、ぐっと言葉を呑み込む。危ない。口を滑らせるところだった。

「……コウ? どうした?」

 黙り込むと、柚月が訝しげに俺を見る。

 ダメだ、これ以上はボロが出る。

 後ろ髪を引かれる思いがありつつも、俺はじぶんの心が制御できるうちに話題を逸らす。

「……あ、ううん、なんでもない。うわぁ、それよりなんかいろいろ考えてたら眠くなってきた!」

「はぁ!?」

 いつものようにばかなふりをして話題を変えると、柚月もまたいつもの呆れた顔をした。

「へへっ、ほら、早く寮に帰ろーぜ」

「おまっ……自由にもほどがあるだろ!? さっきの話は?」

「もうおしまーい!」

「いやいやいや!」

「いいじゃん! 俺が自由なのはいつものことだろ?」

 文句を言う柚月の手をぐいぐい引きながら、俺は再び寮への道を歩いていく。

 一方的に掴んだ手は、少し切ない。

 でも、今はこれでいい。

 だって俺は、柚月にうそをついている。

 兄貴がアイドルだって知らなかったのはうそ。

 遅刻癖があるのもうそ。

 お化けが怖いのもうそ。

 いろいろ、ぜんぶうそ。

 だから、仕方ない。

 この気持ちは、ふつうじゃないって分かってる。俺ばっかりが柚月を好きだってことも、分かってる。

 でも、それがどうした。俺のふつうは俺が決める。俺が特別だと思うひとは、俺が決める。それでいい。

 たまにちょっと傷付くし、たまにちょっと我慢できなくなりそうになるし、鈍感な柚月に腹が立つときもあるけれど。

 いつかの俺にとっての水月のように、俺も、柚月の光になりたいから。

 今はまだ、この名前のない関係が愛おしいと思えるから。

 薄闇のなか、肩を並べて歩くこの時間が、泣きたくなるくらい幸せだから。

 だからまだ、もう少しだけ、このままで。


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