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第21話

「俺らはひとで、言葉を持ってる。だからさ、思ってることはちゃんと口に出したほうがいいよ」

 口に出す。

 思っていることを。

 ずっと、喉で詰まらせていた言葉たちを。

「……それって、三石みたいに?」

 口からぽろっとこぼれる。ハッとして、口を噤んだ。

「……まあ、そうだな」

「……ごめん、今のは」

「いいよ、べに」

 本音を言うのは怖い。だけど、踏み出すなら、今だ。そして、覚悟を決められるとしたら、今しかない。そんな気がする。

「本当は……当てつけなんかじゃなかった」

「うん」

 声が震える。三石はまっすぐ僕を見て、耳を傾けてくれる。その眼差しに背中を押されるように、僕は想いを吐き出していく。

「本当はただ……頑張ったねって、そう言ってほしかっただけだった。ほんの少しでいいから、お父さんとお母さんに、僕を見てほしかった……心配してほしかったっ……!」

 昨日の涙が、心のなかで乾き切っていた泥を溶かしていったみたいだ。それを今、一気に吐き出してゆくような心地だった。

「……そっか」

 笑われるかと思ったのに、三石は意外にも真剣な顔で僕の話を聞いてくれていた。不意打ちで優しく微笑まれて、じわっと頬が熱くなる。

 ……ち、違う。これは、泣いてるから熱く感じてるだけだ。ぜったい、そうだ。

「……ごめん、帰って早々愚痴って」

 いたたまれなくなって、制服をハンガーから取ると、洗面所に向かう。扉に手をかけたとき、三石が言った。

「……あのさ、柚月は俺のことすごいって言ったけど、べつにそんなことないよ」

「え……」

「俺はさ、生きてれば満足なの。人生に目標なんてないし、夢もない。特待生になったのはたまたまだし、ラッキーぐらいにしか思ってなかった」

 三石がなにを言いたいのか、よく分からずに僕は首を傾げる。

「だから、目標を持って勉強してる柚月はすごいってこと」

「……そんなことないよ」

「それからもうひとつ、ずっと言いたかったことがあるんだけど」

「なに?」

「柚月はひとりぼっちじゃないよ」

「…………」

「柚月には俺がいるじゃん。――俺は、柚月のことが好きだよ」

「え……」

 心が揺らぐ。ただ好きと言われただけなのに、心臓がどうしようもなく騒ぎ出す。

「……なんだよ、好きって」

「そのまんまの意味だよ。まぁ、解釈はおまえに任せるけどさ。とにかく好きなんだよ」

 いつものふざけた表情とぜんぜん違う真剣な眼差しに、僕は狼狽える。

「…………」

 なんだよ、その目は。

「好きだよ」

 なんてことない四文字。だけど、なんてことないこの四文字を、僕は、これまでずっと、求めていた。求めていたけれど、だれも……。

 唇を引き結んだ。涙が出そうになる。

「……なんだ、それ。意味分からないし」

 分からないけれど、嬉しいと思っているじぶんがいる。

「アイドルの兄貴のことは俺は知らねえけど、俺は柚月が好きだよ。柚月が優等生じゃなくても、柚月の兄貴がアイドルじゃなくても。……だって俺のわがままにここまで付き合ってくれるの、柚月ぐらいだし」

 そうかもしれない。だけど、僕が三石のわがままに付き合ったのは、僕自身に価値を見出すためだった。心臓が脈を打つたびに染み出すような罪悪感を感じて、僕は俯いた。

「……僕はただ、先生に頼まれたからやってただけだよ」

 かすかな笑い声が聞こえた。ひっそりとした三石の笑い声は、知ってるよ、と言ったように思えた。

「それでも、だよ。それでも俺は嬉しかったんだ。俺は柚月と同じ学校で、同じ部屋になれて心から良かったと思ってる。おまえにどう思われてたとしてもさ。……まぁ扱いは雑だし、みんなといるときよりかなり口も悪くなってたけどな〜」

「そっ……それは、お前が言うこときかないからだろ」

 服の袖で涙を拭いながらツッコむと、今度はいつもの三石らしい笑い声が飛んできた。

「ははっ、だな〜。……じゃあさ、今日から先生がもう俺の世話やらなくていいって言ったら、柚月はどうする? ここから出てくの? 俺と話してくれなくなるの?」

 突然真剣味を帯びた声に変わって、僕は三石を見る。

「……なんだよ、いきなり」

「だって、今義務で俺のそばにいるってことは、そういうことだろ? 柚月は、俺のこと、どうだっていいってことになる」

 少し切ないその表情に、喉が詰まった。

「……そんなことない。僕はお前のこと、べつにきらいじゃない」

 本当は、最初からきらいじゃなかった。きらいじゃなくて、

「……ただ、羨ましかっただけ」

 自由気ままに好きなことやって、みんなに好かれている三石は僕にはちょっと眩しすぎた。

「ははっ」

 三石はからっと笑うと、黙り込んだ。

「……三石?」

「あ〜……」

 突然黙り込んだ三石の顔を覗き込むと、三石はなぜか、頬をほんのり赤くしていた。

 ……いや、なんだよその顔。つられるように僕の頬も熱を帯びてくる。

「ははっ! やべー、めっちゃ嬉しいな!」

 なにも言えなくなっていると、三石がパッと笑った。陽だまりのようなその笑顔を真正面からくらって、僕はこれまで感じたことのない感情を抱く。

「…………」

「って、なんだよ。柚月? 無視すんなよ! って、おまえ、顔赤……」

「うっ、うるさい! こっち見んなってば!」

 顔の火照りを指摘されて、僕は思わず三石に背中を向ける――が、三石の手によって阻止された。

「待って!」

「ひゃっ……!?」

 引き止められ、変な声が漏れる。咄嗟に抗えず、僕と三石は至近距離で向かい合うかたちになった。

「な、なんだよ」

「さっきの好きって意味だけどさ」

「う、うん」

 ごくりと息を呑む。

 三石は黙り込んだまま、なにを思ったか僕の頬にすすっと手を滑らせてきた。突然頬を撫でられて、息が止まる。突然のことに、身動ぎすらできない。

「……あのさ、さっきは解釈任せるって言ったけど」

「う、ん……?」

 なにを言われるんだろう?

 この状況、まるで告白、のような……。

 どくん。

 心臓の音がひどくうるさい。落ち着け、僕。落ち着いて、頼むから。

 こころなしか三石の声はなんだか甘い気がする。それに、瞳も熱を帯びているような……ということはまさか。まさかこれって……。

 鼓動が最高潮になったそのとき、三石がパッと見をひるがえした。

「……なーんて、まつ毛がついてるよん」

 三石は僕の目元を親指の腹できゅっと払うと、あっさりと離れた。呆気にとられた僕を見て、三石が屈託なく笑いかけてくる。

「はっ……はぁっ!? なんだよ、まつ毛かよ!」

 あーもう、こいつ……っ!!

 両手で顔を覆い、しゃがみこむ。

「おっ、おい、柚月!? 大丈夫かよ……!?」

 突然しゃがみ込んだ僕を見て、三石が慌て出す。

 けれど僕は、とても答える余裕はない。

 この感覚は、なんだ。

 恥ずかしくて駆け出したくなるのだけど、決していやじゃない曖昧な幸福感。

 その正体が分からないほど僕は鈍くはないし、子どもでもない。

 ……でも、いいのだろうか? だって、この気持ちはたぶん……。

 僕は勢いよく立ち上がる。

「おっ、おい、柚月?」

 同じようにしゃがみ込んでいた三石が、そのまま僕を見上げてくる。

 僕は三石を見下ろした。

 考えるのはあとだ。そもそも今は、こんなことをしている場合ではない。危うく流されるところだった。

「つか、照れてないし。というか今授業中だよね? お前、なんでここにいるんだよ」

 不覚にも気付いてしまった気持ちを誤魔化すように、僕はいつもの説教モードに舵を切る。

「そりゃ決まってんだろ。ルームメイトが心配で待ってたんだよ」

 よく言う。ただサボってただけのくせに。

「……言っておくけど、僕もういい子やめたからな? 明日から起こさないから、自力で起きろよ」

 ばっさり言い捨てると、三石がぎゅんっと勢いよく僕を見た。

「えっ! そんなつれないこと言うなよ! ルームメイトだろ!」

「よくよく考えたら、だれよりお前が僕のこと都合よく扱ってたよな」

「うっ……そんなことないって!」

 機嫌をとるように、三石が僕に絡みついてくる。これまでのような鬱陶しさを感じるより早く、心臓が跳ねた。

 意識が持っていかれる前に、僕は三石をぺっと引き剥がして、素早く制服に着替えた。カバンを持ち、息を整える。

「じゃ、僕用意できたからもう学校行くね」

 わざと冷たく言うと、

「えっ!? ちょ、待て待て、俺も行く! 柚月〜! 俺お前のこと待ってたんだよ〜」

 慌ててベッドから降りた三石が、仔犬のような眼差しで僕を見上げてくる。その眼差しには、さすがにやられてしまった。

 なんだか今日は、三石に『柚月』と呼び捨てにされるたび、むず痒さを感じる気がする。

 三石の行動や表情のすべてに過剰に反応してしまっている気がする。

 ついこの前まで、あんなに鬱陶しかったはずなのに。

「……あぁもう、分かったから! 服、引っ張るなよ。待ってるから早くして」

「お、おっす!」

 三石が支度を始める。その姿にすら愛おしさを感じ始めてくる始末。

 僕は、倒れたときに頭でも打ったのだろうか?

 そうに違いないと思う。うん、ぜったいそう。

 それから僕は、たっぷり十分ほどバタバタしてから、三石といっしょに寮を出た。

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