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第19話

 医師の問診をあらためて受けた結果、問題はなかった。ただ、念の為今日一日は病院に泊まっていくことになった。

 問診を終えて病室に帰ると、両親がいた。

 僕が入ってくるや否や、スツールに座っていた両親は弾かれたように立ち上がる。

「柚月!」

「わっ!?」

 突然抱きしめられ、驚いた僕は言葉を失って立ち尽くした。

「あぁ、もう! 柚月、よかった……っ!」

「お、お母さん? お父さんまで……なんでいるの」

「なんでって、先生から柚月が倒れたって聞いたから慌てて来たのよ!」

 お母さんが怒ったように言う。久々だ、このかんじ。

「そんな、仕事抜けてわざわざ?」

 今日はいろいろと想定外なことばかり起こる。

 熱中症ごときで倒れた僕を見舞うために、わざわざ神奈川から来るなんて。

 ふたりとも共働きで、それに加えて水月のサポートもしているから目が回るほど忙しいはずなのに。

 お父さんもお母さんも真っ青な顔をしながら、僕を見て涙ぐんでいた。

 ふたりとも、いつものほほんとしているくせに、珍しく取り乱しているようだった。

「でも、思ったより元気そうで安心したわ。今日突然倒れたなんて学校から電話が来たから、本当に心配したのよ!」

「体調はどうだ? まだ気分悪いか?」

 お母さんに続いてお父さんも、僕の傍らで心配そうに言った。

「いや、大丈夫……だけど」

「そう、良かった」と、お母さんが大きく息を吐く。

「それよりふたりとも、仕事は大丈夫なの? ごめん、迷惑かけて……」

「ばかじゃないの! 仕事なんてしてる場合じゃないでしょ!」

 強い口調で返され、ぎょっとする。

「それに、迷惑ってなによ! 私たちはあなたの親なのよ! 息子の心配するのは当たり前でしょう!」

 半ば怒鳴りつけるように言われ、言葉に詰まる。いつもおっとりしたお母さんが、こんなに感情を露わにするのは珍しい。

「……ご、ごめん」

 思わず俯くと、そっと頭を撫でられた。

「柚月、先生から学校での様子を聞いてたけど、最近ちょっと勉強し過ぎなんだって? 少し痩せたみたいだし、どうせご飯だってろくに食べてないんでしょう! あぁもう……これだから私は寮に入るの反対したのよ!」

 お母さんの言葉に、僕はえっ、と顔を上げる。

「反対? お母さんが?」

 そんな記憶はぜんぜんない。僕の記憶のなかでは、僕が相談したらふたりはすぐ了承してくれた。だからこそ、僕はふたりにとってはどうでもいい存在なのだと悩んだのに。

「そうよ! 私は反対したのに、お父さんがやりたいことをさせてやれってうるさいから仕方なく……」

「当たり前だ。水月は好きなことをしてるのに、柚月だけさせてやらないのは可哀想だろう」

 お父さんが静かに言った。そういえば、お父さんはこういうひとだった。いつもどんなときでも、天秤の均衡を保とうとする。

 知らなかった。ふたりが僕の知らないところで、そんなふうに話していたなんて。

「あなたってば、しっかりしているようで結構抜けてるところがあるし、すぐに我慢しちゃうから」

「え……そ、そんなことないよ……」

 言い返しながらも、語尾がしりすぼみになる。自覚がちょっとだけあった。すると、お父さんが容赦なく言う。

「あるから倒れたんだろう。いいか、柚月。成績なんて、そのときの状況によって上下するのは当たり前なんだから、いちいち気にすんな。お父さんたちは、べつに成績なんて気にしてないよ。それより、柚月にはもっと学校生活を楽しんでほしいと思ってる」

 いつも寡黙なお父さんの言葉に、僕は口を噤んだ。学校生活を楽しむ。今の僕は、とてもその願いを叶えられてはいないだろう。

「友だちはいるのか? クラスメイトとはちゃんとやってるか? 部活には入ったのか? お前、こっちから連絡しなきゃ電話もぜんぜんかけてこないだろ。俺たちも気を遣って連絡を控えてしまっていたのも悪かったけど、もう少し、連絡しなさい」

「……うん、ごめん」

 責めるような口調ではないにしろ、やっぱりお父さんに言われるとショックが大きい。お母さんと違って、普段は小言すら言わないタイプだからだろうか。

「……お兄ちゃんも心配してたわよ。柚月が起きてるようなら、連絡させろって。あとで声くらい聞かせてあげなさいね」

 え、と思う。

「……でも水月は今、ドラマの撮影中で大変なんじゃないの?」

「報せを聞いて、現場からこっちに来るってきかなかったのを、なんとか止めて私たちがここに来たのよ。それだけ柚月のことが心配だったのよ。……あのね、柚月。水月が言ってたわ。柚月は『大丈夫』って言うのが口癖だからって。大丈夫って言ったら、ぜったい大丈夫じゃないからって」

「……え……」

 なんでそのことを。

 目の奥がぎゅうっと絞られるように熱くなった。

 だって、水月は僕のことなんか、眼中にないと思っていた。いつも自由で、なんでもセンスでこなしてしまう水月と、器用貧乏な僕。

 水月と僕は、いつだって比べられてきた。そのせいで僕は昔から水月にはよくない態度をとっていたから、てっきりきらわれていると思っていた。

「べつに、大丈夫だよ。僕は……」

 強がりを口にしたとき、ぽろっと涙が落ちた。

「あれ……」

 ぽろ、ぽろ。涙はなぜか、次々と溢れ出してくる。

「なんで……」

 どうしよう、泣きたくなんてないのに、涙が止まらない。

 ごしごしと涙を拭う。けれど、拭っても拭っても視界は明瞭にならない。

 みんなにそんなふうに思われてただなんて、知らなかった。みんな、僕のことなんて興味ないのだとばかり……。

『お前の本音はどこにあるの』

 三石から言われた言葉が蘇る。

 僕の、本音は……。

「ねぇ……お母さん、お父さん」

「なに、柚月」

 ふたりは優しい顔をして僕を見ている。

「こんなことを言ったら怒られるかもしれないけど……僕、ずっとふたりのこと苦手だった。ふたりとも、昔からよく言ってたでしょ。僕は手がかからないから助かるって。でも、本当はわがままだって言いたかったし、不満だってあった。でも言えなかった。手がかかったら、僕に価値なんてないから……僕は、水月と違って自慢の息子じゃないから……」

 ずっと喉の奥に詰まっていたものが、なにかの拍子にぐっと押し流されて吐き出されていくような、そんな心地だった。

「寮がある高校に入ったのも、水月の話ばっかりするふたりを見たくなかったから。特待生で行くって言えば、お金はかからないし、反対されないだろうと思って。でも、本当は引き止めてほしかった。ここにいていいって言ってほしかった……!」

 僕はごちゃ混ぜの感情を、泣きながら吐き出す。両親は僕の言葉を否定せず、黙って聞いてくれていた。……いや、お母さんは、声を抑えて泣いていた。その涙に、一気に血の気が引く。

「ご、ごめん……その、泣かせるつもりじゃ」

「ううん。私こそごめんなさい。私……母親なのに、柚月がそんなふうに思ってたなんてぜんぜん気づかなくて……親失格だわ」

 お母さんが僕を抱き締める。

「お母さん……」

 懐かしい。お母さんが好きな柔軟剤の香りがした。

「ごめんね、ずっと寂しい思いをさせて、我慢させてたんだね……ごめんね」

「…………っ」

 お母さんの後悔の滲んだ声に、とうとう僕の心が決壊する。お母さんの腕のなかで、僕は年甲斐もなく泣きじゃくった。


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