そして雨谷先生が帰ってすぐ、入れ替わるように新たな客がやってきた。
「藤峰っ!」
「いいんちょ〜!!」
病室に騒がしく飛び込んできたのは、石田と圭司。それから、佐藤さんに丸木さんだ。みんなそれぞれ我先にとなだれ込むように入ってきて、僕はその勢いに思わず肩を揺らした。
「み、みんな、どうしたの……」
いち早く反応したのは、石田だった。
「どうしたのじゃねーよ! 目の前で倒れられたらみんな心配するって!」
「う、ごめん」
石田は謝る僕から、流れるように視線を動かす。そして声を上げた。
「うわ、点滴! 針刺さってるじゃん、痛そー!」
石田の声に、佐藤さんが反応する。
「マジだ……っていうか倒れるとか聞いてないよ〜」
続けて圭司がカバンを漁って僕になにかを差し出した。反射的に受け取って、なかを見る。ビニール袋のなかには、美味しそうなパンが入っていた。
「これな、俺のイチオシの激うまパン! やるから元気出せ! あ、それから経口補水液も買ってきた! これ飲めばすぐ元気になるぞ! クソまずいけどな!」
「え? あ、ありがとう……」
相槌を打つ暇もないほどの勢いで話しかけられて、僕はなにから反応したらいいのか分からなくなりながらも、なんとか礼を言った。
というか、忘れかけていたが、ここは病院だ。こんなに騒がしくして怒られないだろうか。廊下のほうを気にしながら、僕は緩みそうになる顔を引き締める。
「ねえねえ藤峰くん、熱中症だったんでしょ? 熱中症ってつらいよね、頭ガンガンするし。私も部活中になったことあるから分かるよー」
今度は佐藤さんが話しかけてくる。彼女の口から水月以外の話題が出るのは珍しい。
「えっと……」
「藤峰くんの場合は勉強し過ぎでしょ? 特待生ってそんなに大変なの?」
「いや……」
こういうとき、なんと返せばいいんだろう。僕の返答次第では、水月にマイナスのイメージを持たれてしまうかもしれない。慎重にならないと、と思っているうちに、佐藤さんが口を開いた。
「藤峰くん頭いいんだから、少しくらいサボったって大丈夫だよ〜」
「あ……うん。え? いや、ぜんぜんそんなことはないよ」
次から次に話しかけられて、目が回りそうだった。ふと、視線を感じて顔を上げた。佐藤さんの背後に、丸木さんが立っていた。佐藤さんはべつとして、丸木さんまで来てくれるとは思わなかった。彼女とは、視聴覚室で気まずくなったままだったから。
「丸木さんも……ありがとう」
最奥にいた丸木さんに向かって言うと、それまで俯いていた彼女が顔を上げた。そろそろと控えめに前へやってくる。
「……あの、この前はごめんね。変なこと言っちゃって」
気まずそうな彼女の表情に、罪悪感が積もっていく。
「ぜんぜん。僕こそ、いやな態度とってごめん」
ずっと気がかりになっていた彼女へ謝罪ができて、少しすっきりした。
「ほら、あれ渡しなよ」
佐藤さんが、なにやら意味深な笑みを浮かべて丸木さんの肩を小突く。すると丸木さんは顔を真っ赤にして、「え、今!?」と慌て始めた。
どうしたのだろう、と思いながら丸木さんを見ていると、ふと丸木さんが僕を見た。
「あ、あのね、藤峰くん」
「うん?」
「あの……これ、あ、あげる!」
丸木さんの手にあるのは、可愛らしくラッピングさらた手作りクッキーだった。袋にはクマのキャラクターが印字されている。
「えっ! これ……ぼ、僕に?」
訊ねると、丸木さんはこくこくと頷いた。緊張気味の彼女に、僕の顔にも熱が集まっていく。
「あっ、あの、これね! これはその……前、藤峰くんを傷付けること言っちゃったから、そのお詫びにたまたま昨日の夜に作ってて。だから……その、よかったらもらって」
差し出された包みを、僕はありがたく受けとった。
「うわぁ、ありがとう。僕、クッキーとかこういう焼き菓子、けっこう好きなんだ」
もじもじと恥ずかしそうに下を向いていた丸木さんが、顔を上げる。
「ほっ、ほんと?」
「うん。これ、もらっていいの?」
「う、うんっ! もらってもらって!」
可愛らしいラッピング袋のなかに入っているのは、くまのかたちをしたクッキーだった。
嬉しい。
こんなにも手の込んだものをもらうのは、人生で初めてだ。それに、こんなふうに女子からの視線を浴びたのも、兄の話以外では初めてだった。
女子にとって、僕の価値はアイドルの弟であることだけだとばかり思っていた。
けれど、そんなものは僕の勝手な想像だったのかもしれない。ずっと他人を拒絶してきたけれど、ちゃんと向き合っていれば、丸木さんのように歩み寄ろうとしてくれているひともいたのかもしれない。
今まで僕がしていたのは、遠慮などではなく、相手の気持ちを考えない拒絶だったのだ。
今さら気付いた本心に愕然としながら顔を上げたとき、石田と目が合った。
「……石田、あの……」
なにか言わなきゃと口を開くものの、上手く言葉を続けられずにいると、石田が動いた。
「大丈夫か? 身体は」
石田は静かに僕の横へ来ると、スツールに座った。
「あ……うん。わざわざ見舞いに来てくれたんだ。ありがとう」
礼を言うが、石田は真剣な顔のまま僕を見ている。なにか言いたげな顔だ。
「……石田?」
「……あのさぁ、わざわざってなんだよ」
石田は頭のうしろを苛立たしげに掻きながら、言った。
病室にぴりっとした緊張が走った。心臓の鼓動が急速に早まっていく。
「あ……いや、その……みんな部活とかいろいろ忙しいだろうし。球技大会の練習とかもあるのにって……」
慌ててその場を繕おうとするが、
「だから、そんなことより友だちだろって言ってんの!」
石田の言葉に、息が止まりかけた。
「友だち……?」
友だち。友だち? 言葉を知らない子どものように、何度も小さく繰り返す。
「え、なんだよその反応! 俺たち友だちだろ!? 違うの!?」
今度は圭司が身を乗り出した。丸木さんたちも、僕のことをじっとうかがうように見ている。その視線に、あぁ、と息が漏れる。
そう……だったのか。
僕はみんなに、そう認識されてたのか。肩から力が抜けていく。
「……あと、この前は藤峰の気持ちも考えずに悪かった」
石田はバツが悪そうに呟く。
「あ……」
きっと、喧嘩してしまったときのことを言っているんだろう。
石田とは、いつかの朝に喧嘩をしたままだった。というか、僕が一方的に石田を傷付けたまま、謝りそびれていた。
あの日から石田とは、挨拶程度の言葉しか交わしていない。
みんなの前でこの話を続けていいのか、少し悩む。でも、今流してしまったら、もうチャンスがないように思えた。意を決して、石田に向き合う。
「違うよ。ひどいこと言ったのは、僕のほう。石田は僕のことを心配してくれてたのに、僕は石田の気持ちをぜんぜん考えてなくて……本当、ごめん」
謝ると、石田は困ったように眉を下げて、首を振った。
「いいよ、そんなの。お互いさまだろ。俺も、藤峰のこと本当に考えられてたら、三石のこと悪く言ったりしなかったかなって反省した」
石田の表情を見てあらためて、涙が出そうになる。
石田はだれかの悪口を言うこともあるけれど、僕を心配してくれたあのときの気持ちは本物だった。
僕だってさんざん三石のことを悪く思っていた。でも、素直なところは信頼できると思う。
きっと、好きってこういうことなんだろう。
どんなに好きでも、仲が良くても、少なからず不満に思う部分はある。それでも、それぞれに好きな部分があるから付き合っていくのだ。折り合いをつけるという言いかたは悪いかもしれないけれど。でも、きっとそうなのだ。
「なぁ、石田。あのときは本当にありがとう。すごく嬉しかった。心配してくれて」
石田は少しだけ照れくさそうに笑って、「うん」と頷いた。石田の表情が伝染したように、僕まで恥ずかしくなってくる。でも、いやなかんじはしない。
……初めて知った。
石田って、こんなふうに笑うんだ。
そして、そのことに驚いているじぶんにハッとする。
これまでずっと、みんなは僕に興味なんてないんだと嘆いていたけれど、そんなことはなかったのかもしれない。勝手に一線を引いて遠ざけていたのは、僕のほうだったのかもしれない……。
「まぁとにかくさ、早く元気になれよ。藤峰がいないと三石手に負えないし」
圭司が言う。
「えぇ……それはちょっと」
苦笑を返すと、女子たちがどっと笑う。
「そうじゃなくても、早く元気になんないと」
佐藤さんの言葉に、僕は頷く。
「そうだよ。もうすぐ球技大会なんだし、来週からは夏休みなんだから! 寝込んで終わるなんて最悪だもんね!」と、丸木さん。
「だな」
圭司が大袈裟なくらいに頷く。
「とにかく早く良くなれよ〜」
「学校で待ってるねー!」
こうして、石田たちはサイドテーブルに大量のお菓子やスポドリなどのお見舞いを置いていくと、ぞろぞろと列を生して帰っていった。
一瞬で静けさを取り戻した病室で、ふっと息を吐く。なんというか、台風一過のような心地だ。
みんなも案外自由なのだなと苦笑する。
山のように積み上がったお見舞いを見ていたら、ほんの少し、喉に詰まっていたものが流れていった気がした。