代わりに口をついたのは、負け惜しみのような言葉だった。
「……なんの努力もしないで特待生でいられるお前なんかに、僕のなにが分かるんだよ……!」
「えへっ、それはどーも」
三石がいきなり照れ出した。
「褒めてねーよ!!」
思い切りツッコんでから、もう一度ため息をつく。目が覚めてから、果たして何回ため息をついただろう。たぶん、この部屋の二酸化炭素濃度は、今院内でいちばん高いと思う。主にこいつのせいで。
「じゃあさぁ、柚月」
三石は笑顔をしまって、話し出す。
「仮にだけど、柚月は特待生じゃなくなったらどーなんの?」
「――は?」
質問の意味が分からなくて、僕は思わず顔を上げて三石を見た。相変わらず澄んだ泉のような瞳は、吸い込まれそうにどこまでも深い。
「特待生じゃなくなったら親に捨てられんの? 先生に無視されんの? そのほかなんかいやなことあるの?」
言われて考える。考えて口を着いたのは、曖昧な言葉だった。
「……そうじゃ……ないけど……」
けど、の先が続かない。
「……てか、なんだよいきなり」
立場が逆転しかけていることに気付き、ハッとして三石を睨む。
「だって、そんなに頑張るってことは、柚月には特待生でいなきゃなんない理由があるんだろ?」
――理由。
「だって、特待生でいなきゃ……親が」
「親に言われたの? 特待生になれって」
「……違うけど」
親に言われたわけじゃない。僕がじぶんで決めたのだ。
「じゃあ、なんで?」
――理由……。
「ないの?」
「…………」
……違う。
「ないわけ、ないだろ……」
でも、返す言葉がない。
違う、言い負かされたんじゃない。意味が分からないから答えられないだけだ。
「前から思ってたけどさ、柚月は理想が高すぎるんだよ」
「そんなことない!」
すぐさま否定するが、三石も折れない。
「あるよ。お前はもうじゅうぶんすごいじゃん。だれより努力して、特待生っていうちゃんとした結果を出してる。真面目で努力家で、理想が高くて、おまけに俺みたいな問題児にも優しいしさ。それ以上なにがほしいの? もうじゅうぶんじゃね?」
両手を強く握り締める。
「……そんなことない。僕はもっと頑張らないと……」
もっと頑張らないと、だれの特別にもなれない。
「…………」
本当にそう?
このまま頑張れば、僕はだれかの特別になれる?
「…………」
……本当は、分かっていた。いくら頑張ったって、根本的に僕自身が変わらなければ、だれの特別にもなれない。分かっていたから、目を逸らし続けていたのだ。
三石は頬杖をついて、僕をじっと見ている。
「……お前が優等生だと、たしかにまわりは助かるよ。でもそれってまわりの理想を演じてるだけであって、本当のお前の気持ちじゃないよな?」
「本当の……僕の気持ち……?」
「親のためとか先生の期待に応えるためとか、そういうことぜんぶ抜きにして考えてみなよ。お前自身がなんのために特待生でいたいのか」
「なんのためって、そんなの……」
きゅっと唇を引き結ぶ。
お金のため?
違う。
両親は共働きで、なんなら兄貴だってもう働いているし、他所より裕福な家庭だと思う。
なら、なんで?
それは……。
本音から目を逸らすように、ぎゅっと目を瞑る。すると、頭上からため息が聞こえた。
「……そうやって、いつもいつも本音を呑み込むのやめなよ。なんか、見てていらいらすんだよ」
「なっ……なんでお前にそんなこと言われなきゃ……」
言い返そうとするが、三石に邪魔される。
「お前がお前を認めなかったら、なんにも残んないじゃん。じぶんでじぶんを追い詰めてんじゃねぇっつってんだよ!」
三石はそう言い捨てると、乱暴に扉を開けて病室から出ていった。
僕は、ただ呆然とその背中を見つめる。
「……お前みたいに素直になれたら、こんな苦労してねぇよ……」
その背中にぽつりと呟いたけれど、たぶん三石には聴こえていないだろう。
病室にひとりきりになると、あらためて三石の騒々しさに気付かされる。
そういえば、ひとり部屋だったときは、四六時中こんなふうに時計の音が響いていた。
三石と同部屋になってから、毎日が祭りのように騒がしくてすっかり忘れていたけれど。
「なんのために特待生をやってんの、か……」
親に特待生になれって言われたわけじゃない。
じぶんで決めたのだ。
特待生なら学費がかからないし、寮なら家を出たいと言っても反対されないだろうと思った。
とどのつまり、僕は家を出たかった。
それだけ?
いや、違う。本当は、家を出れば……。
「――藤峰っ!」
横になったまま考え込んでいると、扉が大きな音を立てて開いた。
雨谷先生だった。慌てた様子で僕のもとへ駆け寄ってくる。
「……せん、せい……?」
「三石から、藤峰が目を覚ましたって聞いて、慌てて来たんだ」
雨谷先生は肩で息をしていた。額には汗が滲み、髪が張り付いている。相当急いで来てくれたらしい。
「雨谷先生……わざわざすみません」
僕はまだ重い頭を支えるように腕に力を入れて、よろよろとベッドから起き上がる。頭だけ軽く下げると、きぃんと耳鳴りがした。一瞬、顔を歪める。
「いい、いい。起きるな」
雨谷先生は僕を気遣ってくれながらも、そわそわとして落ち着かない。先生のこんな狼狽えたところは初めて見た。
「あの、すみません……僕、迷惑ばっかり」
「藤峰、あのな? 俺は心配はしてるが、迷惑だなんて思ってないよ。……まぁ、でもよかったよ、無事目が覚めて」
雨谷先生は僕の肩を二、三度トントンと叩くと、申し訳なさそうな顔をして頭を垂れた。
「それから、すまなかった。お前にはいろいろ頼り過ぎてしまったよな。まさか倒れるほど無理させてたなんて気付かなくて……俺は、本当に教師失格だ」
心底申し訳なさそうな顔をする雨谷先生を少し意外に思いながら、僕は首を横に振った。
「え、いや……大丈夫ですよ。倒れたのは、僕の自己管理不足ですし」
「……体調はどうだ?」
「はい。もう大丈夫です」
「そうか……」
雨谷先生は僕の笑顔にようやくホッとしたのか、スツールに座った。と、思えば、なにやらハッとしたように顔を上げて僕を見た。
「……いや、ダメだ。大丈夫って言うのは、お前の口癖だろう」
え、と顔を上げる。目が合って、気まずさからすぐに逸らした。
「いえ、そんなことは……」
「実はな、三石に言われたんだ。お前の大丈夫を真に受けるなって。……たしかにそのとおりだったよ。お前はかなり強がりだからな。これからは気をつける。とにかく、今はゆっくり休め。もちろん、勉強もダメだぞ。勉強は、体調が戻ってからな」
黙り込んでいると、先生がわざとらしく僕の顔を覗き込んでくる。心臓が大きく跳ねた。
「返事は?」
「は、はい……」
頷くと、先生がにこりと微笑んだ。
「よし、よろしい」
知らなかった。雨谷先生って、こんなふうに笑うんだ。
「いや〜にしても暑いなぁ……こんなんじゃ校庭で運動なんて危なくてさせられんよなぁ。まったく最近の天候はどうなってんだか」
「……ですね」
意外だった。
雨谷先生には、特待生のくせに自己管理がなっていないと説教を食らうかと思っていたのに。
本当に僕を心配しているみたいな顔に、胸がざわつく。
「あ、そうだ。さっきな、飲み物買いに行ってたんだよ。水とレモン炭酸とりんごジュース。置いておくから、好きなものを飲みなさい」
「えっ、えっ、こんなに!?」
驚いてペットボトルと雨谷先生を見比べると、雨谷先生は少しだけ照れくさそうに笑いながら、
「あぁ。どういうのを飲むのか分からなくて、とりあえず若い奴が好きそうなの選んできたんだよ」と言った。
「……ありがとうございます」
……案外、良い先生だったのだな。
汗だくの雨谷先生を見てふと思った。
雨谷先生はそのあと、しばらく談笑してから帰っていった。