目を開けると、白々とした天井が見えた。ちょっと視線を落とすと、同じく白々としたシーツ。独特の薬液の芳香。
……ここは?
ゆっくり視線を動かすと、顔のすぐ横に細い金属のパイプが見える。
点滴スタンドだった。ぶら下がったパックから伸びた細いチューブは、僕の腕に繋がっている。
僕は、病院にいた。
そうだ。学校で倒れたのだった。
起き上がろうと腕に力を入れようとするが、寝起きだからか、まだうまく力を入れられない。僕は諦めて全身の力を抜いた。
今、何時だろう。
寝たまま室内に視線を巡らし、時計を探す。
もう午後十四時を過ぎていた。かなり寝ていたみたいだ。
しばらく瞬きだけ繰り返していると、鉛のようだった身体が少しだけ楽になった。
ゆっくりと起き上がる。身体が揺れたせいか、頭ががんがんとしてひどい目眩がした。
歯を食いしばり、拳を握ったとき、すぐ耳元で乾いた衣擦れの音がした。ハッとして、反対側を見る。ベッド脇のスツールに腰を下ろし、膝に頬杖をついたまま目を瞑る三石がいた。
「……みつ……いし?」
僕の声に反応して、三石が目を開ける。
「あ、起きた?」
「ん、……」
目が合った瞬間、気まずさのせいなのか、どきりとした。
「体調、どう?」
「……うん、平気」
「軽い脱水症と熱中症だってさ」
なんと言葉を返せばいいのか分からなくなって、僕は小さく、うん、ともそう、ともつかない吐息混じりの返事をした。
「お前さぁ、ばかにも程があるだろ」
そのまま黙ってもじもじしていると、三石が聞こえよがしのため息をつく。
「倒れるほど勉強するとか、マジで引くんですけど」
「……うるさいな。お前に関係ないだろ」
図星を突かれると不貞腐れるじぶんの悪い癖が反射的に発動して、僕はどうしようもなくこの場から逃げ出したくなる。
「あるだろ。同室なんだから」
「いや、べつにそれは……」
「お前が言ったんだぞ。こういうときは早めに連絡しろって」
「それは……」
間髪入れずに言い返されて、僕はとうとう言葉につまりそうになる。たしかにそう言った記憶はあった。だが、
「……でも、べつに僕は大丈夫だったし」
「なにがだよ。救急車で運ばれたくせに。言っておくけど、俺よりよっぽどひどいからな?」
言い返す言葉が見つからずに目を逸らすと、三石はなぜだか嬉しそうに声を弾ませた。
「おっ、もしかして、珍しくしょげてる?」
あぁ、もう。本当にうるさいんだが。
「放っておけよ」
三石が手を伸ばしてくるが、僕はその手を容赦なく振り払った。
心臓が暴れ出して、無性に髪を掻き乱したくなる。そうでもして気を紛らわさないと、感情が爆発してしまいそうで。
「なんだよ。心配してやってんのに」
「……うるさい」
本当にうるさい。お前になにが分かるんだ。努力もしないで特待生の権利を得られるお前なんかに。
「……つか、こうなったのはだれのせいだよ」
我慢できず、ぼそりと小さな声で文句を漏らすと、
「だれのせいなの?」
聞こえていたらしく、三石はきょとんとした顔で訊ねてきた。
目眩がする。
こいつはどこまでばかなのだろう。
「お前だよ!」
思わずツッコむと、三石は心底驚いたように、ぽかんと口を開けた。
「はぁ? なんでお前が倒れたのが俺のせいになるの?」
マジで言ってんの、こいつ。
驚きを通り越して、もはや嘆きたくなってくる。いや、嘆く。
三石といると、どうも呼吸が乱れてしまう。たぶん、吐きまくってるからだ。ため息を。
「分からないの!? 僕は、お前のせいで成績が落ちてるんだよ! ちょっとじゃない、ものすごく!!」
叫ぶと、三石はやはり驚いた顔をして僕を見た。
「あぁ……成績が落ちたってのはまぁ、この前先生が言ってたから知ってるけど。でも、だからってなんでそれが俺のせいになるんだよ?」
三石はそれでも曇りなき眼をしている。
呆れた。ここまで言ってもまだ分からないのか。
「お前が真面目にやらないからだろっ……! 僕はお前の面倒を見てるせいで、勉強する時間が明らかに減ってるの! 先生に任された手前ちゃんと面倒見なきゃいけないから心労も増えたし、お前が言うことぜんっぜん聞いてくんないしで、こっちはめちゃくちゃ迷惑してるんだよ!」
強い口調でひと息に言うが、三石はきょとんとしたままぜんぜん動じていない。それどころか、困惑気味に僕を見つめ、ぽりぽりと頬を掻いている。その顔がまたムカつく。
「いや……さっきから言ってる意味が分からないんだけど。俺がいつどこでなにしてようが、お前の成績には関係ないだろ?」
それに俺、べつに成績下がってねぇし。と、三石は平然と言った。
ぎりっと奥歯を噛む。手のひらを握り込んだ指先は、怒りのあまり震えていた。
なんだよそれ……。
ぜんぶ僕の落ち度だって言うのか?
成績が下がったのは、ただ僕の努力不足?
そんなわけない……そんなこと、あるわけがない。あっちゃいけない。
僕のなかでずっと張り詰めていた細い線が、ぷつんと切れる音がした。
「いい加減にしろよ! お前の面倒見てるせいで、僕の勉強時間が削られてるの分からないのか!?」
「分からないっつーか……いや、ふつうに疑問なんだけど、そこまで分かってるなら、なんで柚月は俺の面倒見てくれんの?」
そんなの、決まっている。
「先生たちから、お前の面倒見るよう頼まれてるからだよ!」
するとそこでようやく三石が、なるほど、と頷いた。
「じゃあ、先生が悪いんじゃん」
あまりにもさらっとした声で言われて、それまで頭が沸騰していた僕も、思わず、「はっ?」と間の抜けた声を漏らしてしまった。
意味が分からない。なんでここで先生が出てくるんだ?
「はぁ!? なんで……」
「だって、俺はべつにお前に面倒見てくれ、なんて頼んでないよ。頼んできたのは先生なんだろ? それなら柚月の成績が落ちたのは先生のせいじゃん。なのになんで俺が責められてんの?」
真顔で返され、続けて吐き出そうとしていた言葉が喉の下にぐっと押し戻された。
額を押さえて、目を瞑る。
理屈がばか過ぎてついていけない。いや、そうだ。ばかなんだった、こいつは。
三石が大袈裟なため息をつく。なんでお前が、って叫びたいけれど、できない。もやもやするのに、どうしても三石を責める言葉が出てこなかった。理由は分かるようで分からない。
「前から思ってたけどさ、お前っていつもそうだよな。大人の顔色うかがって、いい子ぶって。ばかじゃないの」
ばかだと?
顔を上げ、三石を睨む。
「うるさいっ! お前になにが分かるんだよ!」
勉強もできて、友だちもいて、家族にも愛されてて。そんな人間に、僕のなにが……!
「……分かんねぇよ。俺は優等生じゃねーし、優等生になりたいとも思わないしな。……だって、大人が言う優等生っていうのは、ただ自分たちに都合のいい子どもの言い換えだろ? 柚月はさ、先生に都合のいい子って言われてるだけだよ。それで柚月は本当に嬉しいわけ? 俺だったら、ぜんぜん嬉しくないんだけど」
黙って聞いていれば、言いたい放題言ってくれる。
「うるさいうるさいうるさいっ……!」
そんなこと、言われなくたって分かってるよ。僕は大人の良いように利用されてるだけ。
知ってる。だからなんだ。それこそお前には関係のない話だ。
そう言いたいのに、やっぱりこれも言葉にならない。