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第14話


「……あれ? 藤峰、今日早くね?」

 翌朝、ひとり教室で自習していると、石田が登校してきた。石田は僕に気付くと、不思議そうに教室内を見回す。

「三石ももう来てんの?」

「あー……いや。今日はべつ」

 昨日の口喧嘩以来、僕は三石と完全に別行動をしている。今朝も三石のことは放ったらかしのまま、ひとりで学校へ来た。

 三石の面倒を見ないぶん自習の時間が増えて、僕には利益しかない。

 ただ、三石とは仲直りしていないから、寮でふたりのときはちょっと気まずいままだけど……。

「なんだよ。また喧嘩したのか?」

 ぴくっと身体が反応する。またって。ひと聞きの悪い。

「……え、なに。マジで喧嘩したの?」

 石田が意外そうな顔をしながら、僕の前の席に座る。

「今度はなに事件?」

 石田は横向きに座り、椅子の背もたれに腕を置いた。話を聞こうとしてくれているらしい。どことなく嬉しそうに見えるのは気のせいだろうか。

「……そーゆうんじゃない。たぶん、ガチのやつ」

「おぉ。っつーことは、原因は三石だな。あいつ自由だからなぁ……」

 石田が頬杖をつきながら、ため息混じりに言う。

「それにしても、お前大丈夫?」

「なにが?」

「なんか最近顔色悪いし……」

「……大丈夫。三石と合わないっていうのは、初めから分かってたし」

「……そっか」

 石田は頭のうしろを掻きながら、少し言いづらそうな顔をして、

「……あのさ、ずっと思ってたんだけど、三石と部屋変えてもらったら?」

「…………え?」

 一瞬なにを言われたのか分からなくて、戸惑う。

「だってなんか、最近めっちゃ疲れてんじゃん」

「……そんなこと」

 ない、とは言えなかった。たしかに疲れは感じている。だけどまさか、周囲にまで気付かれているとは思わなかった。

「あいつ、集団行動とか向いてないし、空気読めねーし。話もあんま噛み合わないし、テンポが独特っつーか……あ、そうだ。なんなら、俺もひとり部屋だし、藤峰を俺と同室にしてもらえるよう、俺から雨谷先生に頼んでも……」

「待ってよ」

 勝手に話を進めようとする石田に、僕は困惑する。

「……三石はたしかにわがままだし、空気も読めない」

 けど……。

「けど、表面上仲良くしておきながら影でさんざん悪口言ってるような奴より、ずっと素直で良い奴だよ!」

 被せるように強く言い返すと、石田は僕の剣幕に驚いたのか、一瞬言葉を詰まらせた。しかし、すぐにじぶんのことを言われたと理解したのか、彼の眉間に深い皺が刻まれる。

「……はぁ?」

 その顔を見て、ハッとした。まずい。これはさすがに言い過ぎた。

「あっ……いや、違くて……」

 気まずい空気が流れる。

 今のは、僕が悪い。いくら本心だからって、言っていいことと悪いことがある。

「その、石田。ごめ……」

 僕が謝罪の言葉を言い終える前に、目の前の椅子がガタンと大きな音を立てた。石田は立ち上がって、冷ややかな目で僕を見下ろしている。

「そーかよ。じゃあもう勝手にすれば」

 そのまま、苛立った様子で自席に戻っていった。

 手のひらをぎゅっと握る。

 最悪だ。

 最低だ。

 自己嫌悪でどうにかなりそうだった。

 だって僕は、三石を悪く言われて怒ったんじゃない。あれは、フリだ。ルームメイトを庇うフリをしただけ。本当は、気遣われたことに苛立って怒ったのだ。……だって。

 ――無理するな?

 そんなの無理だ。

 勉強ができて、対人関係も得意で、青春のどまんなかで生きているような、三石や石田とは違う。

 僕は、無理しなきゃ『特待生』ですらいられない。

 成績が悪くなっても、親からは心配されず、連絡すら届かない。

 三石にだって僕なりに気を遣ったつもりなのに、余計なお世話だと突っぱねられるし。

 石田に優しくされても笑顔ひとつ返せない僕は、いったい、どうしたらいい?

 どうしたら、だれかの特別になれる?

 机で小さくなるじぶんがあまりに惨めで、唇を噛んでいないと、涙があふれてしまいそうだった。



 ***



「――なぁ、三石知らない?」

「え?」

 その日の放課後のことだった。球技大会の放課後練習に向かう準備をしていると、圭司から声をかけられた。

「三石?」

 窓際の席を見るが、三石の姿はない。カバンもないから、トイレでもないだろう。

「さぁ……もう体育館行ってるんじゃないの?」

 何気なく答えると、圭司は頭のうしろをかきながら、苛立ったように呟く。

「それがさぁ、さっき体育館に見に行ったら、いねーんだよ」

「え……そうなの?」

「休むとも言われてねーし、こーいうのマジで困るんだよね」

 たしかに困るだろうが、しかし、知らないものは知らない。僕にはどうしようもない。

「ごめん。僕は知らない」

 素直に告げると、圭司はため息をつきながら頭を掻いた。

「そっかー。いいんちょーなら知ってるかと思ったんだけど」

 ごめん、と謝っていると、僕たちの話が聞こえていたのか、ちょうど教室に忘れものを取りに来た佐藤さんが会話に混ざってきた。

「あれ。三石くんならさっき、昇降口ですれ違ったけど。帰ったんじゃない?」

「はぁ!? 帰った!? マジかよ……!? ったく、あいつ……バレー下手くそなくせにサボりかよー!」

 嘆く圭司に、僕は苦笑を返す。

「三石、バレー下手なんだ?」

「あー……なんつーかな。あいつ体育案外苦手じゃん? 予想はしてたけど、ここまでかって感じだったわ。ま、べつにいいんだけどさ。でも下手なら下手なりに練習しろよとは思うわけ」

「まぁ、そうだよね」

 やっぱり、三石は相変わらずのようだ。苦笑していると、佐藤さんがぽつりと言った。

「というか三石くんって、木曜はいつも病院じゃなかった?」

 え?

 佐藤さんが言うと、圭司があ、という顔をした。

「そーいやそうだったー!」

「え、なに。病院ってどういうこと?」

 困惑する僕に、圭司が驚いた顔をする。

「え、いいんちょーもしかして知らないの? あいつ、なんかの病気ですぐそこの大学病院に通院してるんだよ」

「そうそう。私の部活の友だちも、整形に行ったとき、見たって」

「そうだったんだ……」

 知らなかった。病院に通っているなんて、あいつの口からは一度も聞いたことがない。

 でも、この様子だと知らなかったのは僕だけなのだろう。みんな、あっさり納得している。

 ……そっか。知らなかったのは、僕だけ。

 三石は、なんで僕には言わなかったんだろう。わざと黙っていたのだろうか。

 それとも、僕には言う必要なんてないと思った?

「…………」

 もやっとした気持ちが胸のなかでふくらんでいく。

 いや、まぁべつにいいんだけど。そもそも、僕と三石は友だちでもなんでもない。ただのルームメイトで、それ以外なんの接点もない間柄なのだ。友だちでもない相手に、わざわざ持病の話なんてしないのがふつうだ。

 だけど……。

「…………」

 ほんの少し、疎外感のような、それともまた少し違った憤りのような、よく分からない気持ちが胸のなかで渦を巻く。

「つーか、それならひとことくらい言っていけよなー」

「ま、忘れちゃったんだよ。三石くんのことだし」

「しゃーねぇなー」

 ぼんやりしながら圭司と佐藤さんの会話を眺める。

 ……知らなかった。

 三石はいつも、放課後になると僕から逃げる。てっきり課題をさせられるのがいやで、毎日遊びに行っているものだとばかり思っていた。まさか、病院に通ってるだなんて思いもしなかった。

「あ、引き止めて悪かったな。じゃ、いいんちょーも頑張れよ、練習」

 三石のことは諦めたらしい圭司が、カバンを持って教室を出ていく。

「あ、うん。またね」

 圭司を見送り、三石のことが気になりながらも僕も練習へ向かった。


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