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第12話


 七月に入り二度目のテスト期間が明けて、一週間が立った。返ってきた答案用紙を見て、僕は愕然とする。

 テスト科目のうち、四科目の点数が前回より落ちている。

 物理、化学、数学II。得意だったはずの英語まで……。

 なんで? あんなに勉強したのに。

 科目ごとの順位を見るが、一位がひとつもない。すべて二位。数学にいたっては、三位だった。

 血の気が引いていくのが、じぶんでも分かった。

「…………」

 成績が、落ちている。明らかに。

 試験範囲はそんなに広くなかったのに……。

 これじゃ、このままじゃ、三年間学年一位はキープできない。

 特待生は、学年順位十位以内に入っていないと特待生制度を受けられない。成績が落ちてしまえば、その資格は剥奪される。学費免除にもならない。

「うおっ! お前すげぇな! 数学一問しか間違ってねーじゃん! え、なに。もしかして、首席入学の特待生ってお前だったの?」

 となりから、三石が僕の答案用紙を覗きながら話しかけてくる。周囲もなにかと騒がしいが、ぜんぜん耳に入ってこない。反応していられない。

 そんなことよりも、目の前の数字の羅列が信じられなかった。

「最悪だ……」

 何位? 二位? いや、二位も危うい。三位か、若しくは四位? 五位だったらどうしよう。

 中間考査での一位からいきなり五位になるなんて。でも、この成績じゃ有り得ることだ。

 確実に順位が下がったことを悟り、軽くパニックになる。

 どうして?

 原因は?

 ……原因なんてそんなもの、考えなくても分かった。

 成績が落ちた理由は、明白。三石に時間をかけ過ぎているのだ。

「藤峰、順位表渡すの忘れた。ごめん、取りに来て」

「あ、はい」

 雨谷先生の声に慌てて椅子を引く。教卓に立つ雨谷先生のところへ行くと、雨谷先生は僕の順位表を見てうーんと唸った。

「藤峰は、今回ちょっと成績下がったかな? でもまぁ、じゅうぶんだろ。お疲れ。次は頑張れよ」

「はい……」

 順位表を受け取って、絶望する。

 ――三位。

 やっぱり下がっていた。入学時は一位。中間考査も変わらず一位だった。それなのに。

 雨谷先生の言うとおり、特待生順位はなんとか圏内ではあったものの。

 でも、これじゃまずい。

 雨谷先生は『頑張れ』と言った。

 頑張ったのに。

 まだ足りない?

 僕はもっと頑張らなきゃいけないんだ。

 もっとって、どれくらい?

 分からない。分からないけど、とにかくもっと頑張らなくちゃいけないんだ。

「……頑張れ、僕」

 震える声で呟き、じぶんに言い聞かせる。

 頑張るって、つらいな……。

 挫けそうになって、慌てて頬を叩く。ぱちん、と小気味良い音がした。

 こんなことくらいでぐらついちゃダメだ。僕はダントツじゃないとダメなのだ。

 僕は特待生。優等生。委員長。

 先生に心配なんてされていたら、特待生失格。

 みんなに頼ってもらうためにも、もっと不動でいなければならないのに。

「次、三石」

「ほーい」

 三石が雨谷先生から順位表を受け取る。雨谷先生は順位表と三石を見比べながら、苦笑混じりに言った。

「……お前はいったいいつ勉強してるんだ? まぁ、テストの結果は良しとして、お前は生活態度の改善が目標だな。あんまり藤峰に迷惑かけるんじゃないぞ?」

 うーい、となんとも気だるげな返事をしながら、三石は雨谷先生から順位表を受け取る。

「おっ! やった! 順位上がってるじゃん!」

 先生は三石の答案を見て、満足そうにしている。

 どくん、と心臓がいやな音を立てる。

 自席へと戻っていく三石から、視線を外せない。

 なんだよ……。三石の順位はそんなによかったのか?

 もし、三石に順位が抜かされていたらどうしよう。

 雨谷先生は僕の成績を信用して三石を預けてくれたのに。

 ぜんぜん笑えない。

 それに、この結果は親にもメールで届く。もし、親から順位が下がってしまったことを指摘されたら、なんと答えよう?

 三石のことで忙しかったとか、集中して勉強する環境がなかったとか、そんなことは理由にならない。

 なにを言っても、言い訳になってしまう。

 このままじゃダメだ。

 みんなに心配をかける。みんなに迷惑をかける。

 できの悪い息子だと思われる。

 心配されないように、幻滅されないように、もっと頑張らないと。もっと、勉強しないと。

 たとえ、寝る時間を削ってでも。



 ***



 七月中旬。期末考査が終わり、すっかり気が緩んだ教室に雨谷先生の声が響いた。

「はーい、じゃあ学期末の考査も終わったということで、球技大会の種目決め始めるぞー。委員長、前出てきてー」

「よっしゃ来たーっ!」

 立ち上がってはしゃぎ出す三石に呆れた視線を送りつつ、僕は教卓に立つ雨谷先生の話をぼんやり聞き流す。

 女子の委員長である丸木さんが教卓に出て、雨谷先生と会話を始めた。なんとなくその様子を眺めていると、ふと、ふたりと目が合った。

「委員長ー……っと、おーい、藤峰!」

「藤峰くーん、種目決め、私たちが進行だよ」

 雨谷先生だけでなく、丸木さんも困惑気味に僕を呼んだ。

「あっ、ごめん!」

 名指しで呼ばれ、ハッとして席を立つ。

 そういえば、そうだった。

 学級委員長として、丸木さんとふたりで種目決めを進行してほしいと雨谷先生から頼まれていたんだった。慌てて教卓に向かう。

「大丈夫か?」

 雨谷先生が心配そうに僕の顔を覗き込む。

「大丈夫です。すみません」と、僕は慌てて笑みを作った。

「藤峰くんがぼんやりするなんて珍しいね」

 黒板に種目を書き写しながら、丸木さんがちらりと僕を見る。

「はは……ごめん。テストが終わって、気が抜けちゃったみたい」

 笑って誤魔化すと、丸木さんもつられたように笑った。

「分かる。まぁでも、球技大会が夏休み前最後のイベントだし、クラス優勝目指して頑張ろうね!」

 丸木さんに笑顔で頷き、僕は名簿へ視線を落とす。

「じゃあ僕が希望とって名前あげてくから、板書お願い」

「うん!」

 テストが終わって、あとは夏休みを待つのみ……ということはなく、僕たちの学校では、夏休みの前にもうひとつ大きなイベントが行われる。

 それが、球技大会だ。

 クラス対抗戦で、種目は男女ともにバスケ、バレー、テニス、バドミントン、サッカー、野球、卓球の七種目。

「じゃあまず、注意事項を説明するので配られたプリントの一番下の部分を見てください。各種目、重複参加は認められますが、人数制限があるので希望が通らない場合もあります」

 丸木さんが板書を終えたのを確認してから、

「じゃあ、まずバスケ希望のひと、挙手してください。とりあえず、僕に名前を呼ばれるまでは挙げてて……名前を呼ばれたひとは手を下げていってください。えーっと、まずは……」

 ひとりずつ、手を挙げた生徒の苗字を読み上げていく。徐々に枠が埋まっていき――。

「じゃあ、最後。まだ決まってないひとは……僕たち委員長ふたりと――えっ、三石?」

 僕と丸木さんはあらかじめ人数が足りていない種目に入るつもりでいたので想定内だったが、もうひとり、名簿のなかでチェックがついていない名前があった。三石だ。

「あれ。三石、まだ決まってないけど……なにかに手、挙げた?」

「……や、まだだけど」

「なにがいい? つっても、残ってるのはバレーと野球だけだけど」

 三石のことだ。やりたいほうを選べなかったらきっと練習をサボるに決まっている。仕方ないから、僕は選ばせてやることにした。

「俺、柚月と同じやつがいい!」

「それは無理だよ」

 ふたりとも同じ競技になるのなら、選ぶもなにもない。

「えっ! なんで!?」

 驚愕の顔を向ける三石に、僕はため息をつく。

「だから、今言っただろ。もう残ってんのはバレーか野球ひとりずつしかないの」

「えー……マジかよ」

 あからさまにテンションを下げる三石。やっぱり、僕の思ったとおりだ。

「僕はどっちでもいいから、三石が先に決めていいよ」

「えー……」

 三石は珍しく悩んでいる様子で、黙り込んだ。

 意外だ。三石なら、まっさきにやりたいほうに手を挙げるかと思ったのに。

「どっちにする?」

 訊ねると、三石はしばらく悩んでから、

「じゃあ……バレー」

 と言った。

「ん。じゃあ、僕は野球ね。ということで男子は決まったけど、女子は……」

 丸木さんを見ると、彼女は笑顔で頷いた。

「女子もオッケーだよ」

 丸木さんに頷き、僕はクラスメイトたちに向き直る。

「じゃあ、さっそく今日からそれぞれの種目で練習を始めるので、放課後は各種目代表の指示に従って練習してください」

 はーい、と素直な返事が飛び交う教室の隅で、三石は珍しく不満げな顔をして俯いていた。

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