長い前髪の隙間から見えるその顔は、ほんのり赤面していた。
「みつ……」
眉を寄せ、苦しげな呼吸を繰り返している。額に手を持っていって確信する。
三石は発熱していた。
ど、どうしよう。こういうとき、ふつうならどうする? 救急車を呼ぶ? それよりまず学校に連絡? いや、でも、ただの熱なら寝かせておけばいいのか? とりあえず、身体を冷やすべきだろうか?
僕は生まれてこのかた、看病をされたことはあっても、したことはない。焦りと恐怖で心臓が暴れ出す。
ひとりパニックになっていると、「柚月」と声がした。
「……落ち着けよ。ただの熱だから」
ひとりベッドのかたわらでパニックになっている僕を察したらしい三石が言う。ハッとして三石を見る。
三石は、うっすらと目を開けてこちらを見ていた。意識はあったらしい。
「でも……なぁ、その、大丈夫か?」
慌ててベッドに駆け寄る。
「大袈裟だな。……あのさ、とりあえず俺、今日は学校休むから。柚月はもう行けよ」
「……でも、ひとりじゃ危ないんじゃ……病院とか行ったほうが……」
明らかに声に覇気がないし、呼吸も浅い。
「大丈夫だって。薬ならあるし。……あぁでも、先生にだけ言っといて。今日は休むって」
「……それはいいけど……」
「さんきゅ」
「あの、なんかしてほしいこととか……」
「べつにねーよ。ほら、早く行かないと遅刻するぞ、優等生」
「でも……」
大丈夫だろうか。まぁ、本人がこう言っているのだから、大丈夫なのだろうが……。
「わ、分かった。じゃあ、なんかあったら連絡しろよ」
「ん」
とりあえず濡らしたタオルを額に乗せてやり、ベッド脇に椅子を移動させて、そこに市販の風邪薬と水を置く。
「至れり尽くせりだな。マジ、これ以上好きになるからやめろって」
茶化すように三石が笑う。だけど、その笑顔はやっぱりいつもより元気がない気がする。
「…………」
やっぱり心配だ。このままひとりにして大丈夫だろうか。
黙り込んだままでいると、再び三石の笑い声が聞こえた。
「……なんだよ、その顔。俺のことそんなに心配なの?」
ひとが本気で心配してるっていうのに、こいつ。
「……っ、そんなんじゃないし。とにかく、今日は大人しくしてるんだぞ。食欲があるならちゃんとなにか食べること。ただし、梅干しはポテチ感覚で食べ過ぎんなよ」
「うい〜」
本当に大丈夫だろうか。心配になりながらも、僕は立ち上がる。
「……じゃあ」
僕はそろそろ学校に行くな。そう言おうとしたとき、パッと手を取られた。振り向くと、三石が僕の袖を掴んで引き止めていた。
「……どうした? どっか痛い? つらい?」
なるべく優しい声で訊ねると、三石はどこか困ったような、泣きそうな顔で僕を見たまま、ただ唇を引き結んでいた。
「なんか食べたいもんでもある?」
三石がぶんぶんと首を横に振る。
「……じゃあ、なに?」
どうしたらいいか分かんなくて、僕は三石をじっと見つめる。けれど結局、三石は首を横に振って、僕から手を離した。
「んーん。やっぱなんでもない」
「え……いや、なんでもないってことはないだろ」
「うん。でも、ほんとになんでもないよ」
「……そう? じゃあ僕、学校行くから」
「ん。……いってらっしゃい」
後ろ髪を引かれながらも、僕はベッドで丸くなる三石を残し、学校に戻った。
出席確認の際、三石は発熱のため休みだと伝えると、雨谷先生はあっさり「風邪か。りょーかい」と言って次の生徒の名前を呼んだ。
その反応を見て、僕の心はいくらか落ち着いた。
三石はただの風邪だ。きっと昨日、雨に打たれたから、それで身体が冷えて熱が出たのだ。
考えてみれば、原因もはっきりしているし、そこまで慌てることでもなかった。
まったく、ばかは風邪を引かないというのに。つくづくひと騒がせなやつだ。
僕はようやく息を吐いて、机に出したままになっていた教科書を閉じるのだった。
***
放課後、コンビニに立ち寄ってから寮の部屋に戻ると、三石はなんと、ベッドの上でお菓子を食べながら、漫画を読んでいた。
「おっ! おかえりー」
驚くほどに軽い挨拶が飛んできて、僕は扉を閉める力もない。
「……お前、熱は?」
「下がったよ! だから言ったろ? 大丈夫だって。さすが、俺の風邪菌は撤退が早いのよ。朝は悪かったね」
「……いつから?」
なるべく感情を抑えて、訊ねる。三石は呑気に空を仰いだ。
「んー、昼前くらいにはもう元気になってたかな?」
「……なら、午後の授業は出れたよな?」
我慢できず、握った拳が震え出した。
「えっ、そういうもんなの? 俺、朝行かなかったら学校って休むもんだと思ってたんだけど」
まぁ、出ないのはかまわない。
けれど、
「熱が下がったなら連絡くらいしろよ!」
思わず声を荒らげた僕に、さすがの三石も面食らったようだった。
「……わ、悪い」
三石は怒られた子犬のように小さくなった。いつもどおりの三石の様子に、僕はどんどん全身の力が抜けていくのを実感する。
「……ったく……はぁ〜……まぁ、元気ならいいんだけどさぁ」
大きなため息をこぼす僕を、三石は申し訳なさそうに見つめた。
「もう、心配して損した……」
……なんだよ。元気なのかよ。
三石を見てみれば、顔の赤みもなくなり、すっかり通常運転のようだ。
よかったけど、なんか、それはそれでムカつく。
「おっ、これなに? もしかしてお見舞い!? 俺に買ってきてくれたの?」
ふと、三石が僕が右手に持っていたビニール袋に目を止める。病み上がりのくせに目ざといな。
「……違うし。僕が食べたくて買ったんだ……って、あっ、お前!」
なんとなくムカついて、僕は袋を背中に隠す。が、三石はベッドからひょいと降りると、僕のうしろに回って袋を奪い取った。こういうときだけ素早い。
「わぁ! プリン、ゼリー、カットフルーツ! えーなに、アイスまであんじゃん……!! めっちゃ美味そう! あとはあとは……冷え……ピタ?」
袋の中身を漁っていた三石が、小さな箱を取り出す。それは、僕が三石用に買った冷却シートだった。
慌てて三石の手から取り上げるが、とき既に遅し。三石は、にまにましながら僕を見ていた。
「うっ……うるせーな!」
「なにも言ってないよ!?」
「かっ、顔がうるさいんだよ!」
「ひでぇ!!」
舌打ちをして、息を吐くついでに小さく呟く。
「……熱があるとつらいと思ったから、おでこ冷やしてやろうと思ったんだよ」
そう言うと、三石は一瞬きょとんとして、それからぷっと吹き出した。
「ははっ! なんだよ! やっぱりこれ、俺に買ってきてくれたんじゃん!」
「……あぁもう、そうだよ! 悪かったな!!」
ふん、とそっぽを向く。こんなことなら買わなきゃ良かった。なんであっさり熱下がってんだよ。よかったけども。
「なぁ! これ、付けていい?」
三石が笑いかけてくる。無邪気な笑顔は、いつもどおりだ。
「は? 熱下がったんだからダメに決まってんだろ」
「えー俺、これ使ったことないからおでこに貼ってみたい!」
「子どもみたいなこと言うな。ほら、代わりにアイスやるから」
それは返せ、と僕は袋ごとひったくる。が、三石は大して気にしていないようだった。
「おっ! やった! どれにしよーかな」
なんて、子どものようにガサゴソと袋を漁っている。そんな三石を見て、すっかり肩の力が抜けていく。
なんてやつだ。……でも、まぁ、元気ならいいか。
「決めたっ! 俺、これにする! 柚月はどれがいー?」
「……え、いや、僕はいいよ」
もともと、三石のために買ってきたものだ。遠慮すると、三石がムッとした顔をした。
「なんでだよ! どうせならいっしょに食べよーぜ」
三石に押され、僕はそろそろと袋の中身を見る。
「……じゃあ、僕はこれかな」
「抹茶だ! それ美味いの?」
「うん。僕これ好き」
「ふうん……」
三石がじっと僕の手元を見つめる。
「……ひとくち食べる?」
と聞くと、三石は待ってましたとばかりにぱっと笑みを浮かべた。
「いいの!?」
「……あ、でもこーゆうのって」
異性として三石のことを考えるなら、一応控えたほうがいいのだろうか。とひとり悩んでいると、三石がアイスを持つ僕に擦り寄ってきた。
「なあ柚月、あーんして!」
「…………」
可能なら、今悩んだ時間を返してほしい。というかこいつ、本当に男が好きなんだろうか? すべてが冗談なんじゃないかと思えてしまう。
「なんでだよ。じぶんで食べろ」
「いいじゃん一回くらい〜!!」
「い、や、だ!」
「柚月のケチ!」
三石の言い草にカチンとくる。
「これ買ってきたの僕なんだけど?」
「あ、そうでした」
「まったく……」
……なんだろう。
これまで、わがままで勝手な三石といっしょになんていたくないと思っていたけれど。
今日、圭司たちと話してはっきりと自覚した。
あいつらと話しているより、三石と話しているときのほうが、ずっと楽しいことに。