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第10話


 翌朝。登校時間になっても、相も変わらず三石は起きない。仕方なくフローリングの線を踏み越え、身体を揺すって声をかけるが、起きない。

「三石ー。そろそろ起きないと遅刻するぞ」

「……ぐー……」

 三石はいびきで応える。

「……おい」

 無理やりふとんを剥がそうとするが、三石は無意識なのか、ふとんを強く握って僕を拒む。

「……はぁ」

 大きなため息が漏れる。

「ねぇ三石、学校行かないの?」

「ん〜……」

「早く起きて、用意しないと遅刻しするってば!」

 ぐいっと強く引っ張った瞬間、靴下が滑った。

「うわっ!」

 勢いよく尻もちをつく。

「って……」

 腰を押さえながら三石を見るが、変わらず僕に背中を向けて寝ている。僕が転んだことくらい、音で分かるだろうに。

「……はぁ……」

 ため息をついてから、またついてしまった、と思う。

 ……なにをやってるんだろう、僕。

 三石の背中を見て、急に我に返る。

 ……もういいや。こんな奴、どうでも。

 三石が遅刻して困るのはあくまで三石で、僕は痛くも痒くもないのだから。

 僕はベッドでぐーすかいびきをかく三石を放って、ひとり学校へ向かった。

 三石と同部屋になってから朝の自習は最近寮でやる習慣になっていたが、今日は三石のお守りをしなくて済むから、少し早く学校に着きそうだ。これなら軽い予習くらいはできるだろう。

 教室につき、黒板の上にある時計を見る。思ったとおり、いつもより十分早く着いた。

「よし」

 教科書を開いてシャーペンを持つ。

「…………」

 脳裏にちらりと三石の顔がチラつく。

 ……べつに、気にする必要はない。起きないあいつが悪いのだから。僕は十分やっている……はずだ。

 雑念を振り払って、ペンを持ち直した。


 ほどなくして、石田や圭司、それから女子たちが登校してきた。

 圭司は相変わらず僕にプリントを見せてと頼んでくるし、女子たちは兄貴の話を振ってくる。

 日常だったはずなのに、ずいぶん久しぶりな感じがする朝。僕の日常は、すっかり三石中心に変わってしまっていたらしい。

「そういえば今日、三石は?」

 圭司と話していた石田が僕を見る。

「あぁ、起きなかったから置いてきた」

 ……そろそろ起きただろうか。今頃、寮を出ていなきゃ、ホームルームには間に合わない。

「またかよ。仕方のない奴だな」

「とうとういいんちょーにも見放されたかぁ」

「えっ、いや……」

 そんなつもりはない。……いや、少しはあるけれど。でもべつに、引きずるつもりはなかった。

「まあ気持ちは分かるよ。あいつ空気読めないもんな」

「――え?」

 その言いかたに引っかかって、顔を上げる。

「悪い奴じゃないんだけどな。ちょっと、自由過ぎっつーか」

 石田は苦笑し、圭司もどこか意地の悪い笑みを浮かべていた。

「ずっといっしょにいたら疲れそうだよな」

「だよな。あいつと同部屋とか、俺にはぜったいムリだわ」

 いきなり始まった三石の悪口大会に、僕は軽い衝撃を受ける。

 だって、圭司は特に三石と仲がいい。数日前だって、三石と楽しそうにゲーセンに遊びに行っていたのだ。

「つーかあいつ、寮ではちゃんと勉強してんの?」

「いや……ぜんぜん」

「やば。じゃあなんであんなテストの点数良いわけ? 謎なんだけど」

「カンニングじゃね? あいつならやりそーじゃん」

 たしかに三石はわがままだし、ぜんぜん勉強なんてしない。だけど、あいつが利口だということは、話していれば分かるはずだ。

 ……それに、三石は。

 部屋で圭司や石田の話もよくしているけれど、あいつの口からふたりの悪口なんて、一回も聞いたことがない。三石は、目の前にいる人間に不満や文句を言うことはあっても、その場にいない人間の悪口を言うことはまずないのだ。

 それなのに……。

「つーかあいつ、この前さ……」

 ペンを持つ手に力がこもる。

 頭上で繰り広げられ続けるルームメイトの悪口に、苛立ちが募っていく。

 べつに、僕には関係のない話だ。気にすることはない。だけど……だけど。

「……あいつは、カンニングなんてしない」

「え?」

「三石は、そういう卑怯なことをするやつじゃないよ」

 むしゃくしゃして、髪を掻き回したい気分だ。近頃、三石が絡むと、どうもじぶんの心がよく分からなくなる。

 じぶんでもよく分からない感情を持て余しながら顔を上げたとき、石田と圭司の顔が目に入って、僕はようやく我に返った。

 空気が凍りついていた。ふたりのしらけた視線に、僕はあおざめる。

「あ……いや……」

 たまらず俯く。

 ヤバい。この空気をなんとかしないと。

 僕はわざと笑って、ふざけた調子で言う。

「っつーか、あいつにそんな賢い考えあるわけないじゃん! ばかだもん」

 張り詰めた空気のなかでは、僕の声はやけに大きく響いたように思えた。

「……だな」

「ははっ! やっぱ委員長も三石のことばかだと思ってんじゃん!」

「ま、まぁな」

「ひでー」

 一瞬張り詰めたと思った空気が、パッと弾けたように瓦解してホッと胸を撫で下ろす。しかし同時に、ちくちくと、小さな針で心臓を直接つつかれているような、わずかな痛みを感じた。

 続々と登校してくるクラスメイトを眺めながら、小さくため息をつく。

 石田と圭司は既に話題を変えている。どうか話が蒸し返されませんようにと祈り続けながら、それにしても僕はなんでさっき、三石を庇ったんだろうと考えた。

 悪口なんて、毎日どこかで囁かれる。僕だって囁かれる。

 ムキになるだけ無駄なのだから、べつに放っておけばよかったのだ。

 ……でも、なんか。さっきの圭司の発言はちょっと、いやだった。

 僕より仲がいいくせに、いつも楽しそうに笑い合ってるくせに、なんならあいつのいちばんなくせに、お前が悪口を言うのか。

 それに、本人がいない場でそういう話をするのも気に食わない。言いたいことがあるなら、本人に直接言えばいい。三石みたいに。

 ふと我に返る。

 ……これじゃまるで、石田や圭司に嫉妬してるみたいだ。

 そこまで考えたとき、始業二十分前の予鈴が鳴った。

 ハッとして、窓際の座席を見る。

 三石が来ない。

 スマホを開いてメッセージを見てみるけれど、既読すらついていない。

 これは、寝てるな……。

 予鈴が鳴っても変わらず窓際で騒ぐ圭司たちと、教卓の前でアイドルの話をする女子たち。それから、さらにやってくるクラスメイトたち。

 どうせもう、騒がしくて勉強などしたところで集中できないだろう。

「……仕方ない」

 僕は重い腰を上げる。

 僕は机に広げた教科書をそのままに、寮へ向かった。

 始業開始時刻は午前八時半。今は八時十二分。ダッシュで往復したとして、ギリギリだ。

 寮に着き、駆け込むようにして部屋に入る。

 ベッドを見ると、案の定、三石はまだ寝ていた。呆れて脱力しながらも、説教している暇はない。急いで三石を起こしにかかる。

「おい、三石! 起きろ」

 肩を揺すり、乱暴に腕を引いて上体を起こさせた。

 ――が。一度起き上がった三石は、そのままゆっくりと僕のほうに倒れ込んできた。まるで抱きつかれたような気になってしまって、一瞬頭が真っ白になる。しかしすぐに我に返った。

「おい、三石。ふざけてないで……」

 咄嗟に三石の身体を抱き留めるが、すぐに異変に気付いた。

 熱い。三石の身体が。

 ふざけて抱きついてきたとか、そういうわけではない。状況を悟り、僕は三石の顔を覗き込む。

「っ……おい、三石?」


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