「とにかくポテチは没収!!」
「あっ! 俺のポテチ!! 限定梅味があぁー! もう! 柚月! 返してよー」
三石が僕の腰に絡みつく。あろうことか、油まみれの手で。僕は青ざめた。
ワイシャツが!
「ぎゃっ! おまっ、お前、油ついた手で僕の制服触るな!!」
「俺のポテチ〜!」
「分かった、返す! 返すから! とにかく僕に触るな近づくな!」
「近付くなって、ヒドイ! 俺、なにかした!?」
「ろくなことしかしてないよ!」
「えー」
三石との同室一日目、ポテチ事件が発生。
ぎゃいぎゃい騒いでしまったせいで、寮監から初のお説教を食らう羽目となった。
こってり説教を受け、部屋に戻る道すがら、三石が口を尖らせて僕を見る。
「ほらもー、お前のせいで怒られたじゃん」
「なんで僕のせいなんだよ」
お前のせいだろ。すべてが。
「は? だって元はといえば、お前がポテチとったからこうなったんじゃん」
「お前がベッドでポテチ食わなきゃこうはならなかったの」
「うわー責任転嫁だ!」
「お前がな!?」
「むっ?」
三石は眉間に皺を寄せて、難しい顔のまま静止した。
「むっ、じゃねえよ! その顔は僕がしたいよ!」
思わず言い返すと、三石は同じ顔のまま、僕をじっと見つめた。そして、言い放ったのだ。
「……お前って、案外頑固なんだな」
「なっ……」
あまりに頭にきたとき、血管が切れる、と表現したのはいったいだれなのだろう。賞賛を送りたい。なぜなら、まさしく今の僕がそれだから。
「なんで僕がお前に呆れられなきゃいけないんだよ……!」
「ははっ! また怒った〜! 柚月のおこりんぼー」
無邪気に笑う三石を見て、僕は深いため息をつく。
こんななにもかも合わないやつとこれから三年間も同部屋だなんて、考えただけでも目眩がする。
やっぱり、断るべきだったのだ。今からでもどうにかならないだろうか。
『柚月っ!』
跳ねる声が、僕を呼ぶ。思い出しただけで、どくんと胸が鳴る。
一度引き受けたことを放り投げたら、責任感のない人間だと思われかねない。そうだ。そういうことだ。僕は、三石のせいでそんな評価をされるのはいやだ。だから決して、三石と離れたくないわけじゃないのだ。
「ここは我慢だ、我慢……頑張れ、僕」
念仏を唱えるように小さく呟いて、心が折れそうになるじぶんに言い聞かせた。
そんな僕の気も知らないで、三石は相変わらず悪びれる様子もなく、ベッドでポテチを食い散らかしている。こいつ、なにも反省してない。
「はぁ……」
もう視界に入れるのはやめよう。自由な三石を見ていると、水月のことを思い出して余計苛立ちが増幅する。
僕は三石を机に向かわせることは諦め、ひとりで勉強を始めた。
そうだ。同室になったからといって、べつに僕が必要以上にこいつの面倒を見なきゃいけないということはないのだ。遅刻と課題さえちゃんとやらせれば、先生だって文句は言わないだろう。
今日の課題は、数学と英語。とりあえずじぶんのことを済ませてから、こいつのことは考えるとしよう。そうじぶんに言い聞かせて、僕は机に向き合う。
「ねぇ、お前ってなんでわざわざ県外からここに来たの?」
自習を始めて数分。三石が声をかけてきた。
「なに、いきなり」
手を止めないまま、僕は彼が始めた会話に渋々応じる。本当は無視したいところだけど、おそらく三石とはこれから卒業まで同部屋になる。気まずくなるのは避けたい。
「だってさ、噂で聞いたから。お前、地元ここらへんじゃないんだろ? 地元にも同じ偏差値の高校くらいあっただろうに、なんでわざわざここにしたのかなーって、気になってさ」
ポテチの咀嚼音が室内に響く。
ふっと、手が止まった。
なんで?
……僕はべつに、ここに来たかったわけじゃない。
この学校を選んだのは、寮があったから。特待制度を受ければ、家を出ても家族に大きな負担をかけずに済むと思ったから。
べつにここが良かったわけじゃない。
僕は、あの家を出られればどこだってよかった。
……なんて、こいつに話したところで、僕の気持ちなんて分からないんだろうな。
静かな部屋には、相変わらず三石がポテチを食べる咀嚼音が響いている。
あぁ、もう。思考の隙間に入ってくる呑気な咀嚼音が鬱陶しい。
僕は止めていた手を再び動かしながら、ぶっきらぼうに返した。
「……単に特待で入れるのがここだけだったからよ」
わざと不機嫌を声に乗せるが、三石は「へぇ」と、まるで僕の態度に気にする素振りを見せない。
「特待っていいよな。いろいろ免除されるし。……あ、っつーことはお前んちって、貧乏なの?」
ストレートにもほどがある返しが飛んできて、僕は鼻先で戸を閉めるようにぴしゃりと言う。
「違う」
こいつはデリカシーという言葉を知らないのだろうか。聞くにしても、もう少し聞きかたがあるだろう。
僕の家は貧乏ではない。特別裕福とはいえないが、ふつうに不自由しない暮らしを送ってきた。
だからいいが、もし僕の家が貧乏で、それが理由でここに来ていたとしたら、三石の今の発言はとても不快に思うだろう。
「ねえねえ、柚月は大学とか、もう決めてんの?」
三石はやはり機嫌が悪い僕に気付く気配はない。ケロッとした顔で、新たな質問を投げてくる。
「……それは、まだだけど。三石は?」
「あー……」
一瞬、三石は僕から視線を外したものの、すぐに人懐こい笑顔を向けてきた。
「や、俺はまだぜんぜん! 今はとにかく高校生活を楽しもうと思ってるからさ!」
「違いないな……」
お前以上に今を楽しんでいるやつは、そういないよ。そう、心のなかでぼやく。
「つうか俺さぁ、ぶっちゃけ特待生とかどーでもいいんだよね。ここもさ、運で入っちゃったみたいなもんだし。勉強も、ただの暇つぶしとしか思ってないし」
「…………ふぅん」
かちゃん、と、なにかが割れるかすかな音がした。手元を見ると、力加減を間違えたのか、シャーペンの芯が折れてしまっていた。
手が止まる。
『――俺、課題とかやんなくても勉強できちゃうし』
ふと蘇る何気ない言葉。
三石にとってはただの本音で、深い意図はないのだろう。けれど、僕にしてみれば、ばかにされている気がしてならない。
……だって。
なんでわざわざ、僕に言うのだろう。
僕は必死にこの居場所にしがみついているのに、三石は好きなことをやって僕と同じこの場所にいる。
俺とお前は違う。だから上から目線でものを言うな。
そう言われているようで。
「なあなあ、俺、柚月にずっと聞きたいことがあってさ」
「…………」
さっきから質問攻めだな、おい。
「あの……その、柚月ってさ、こい……」
三石はなぜか頬を赤くして、口ごもった。
「なに?」
シャーペンを置き、折れた芯と消しカスをまとめながら、急かすように僕は言う。すると、三石はなにかを振り切ったような顔をして、訊ねた。
「柚月ってさ、弟とかいるの!?」
はい、なにかと思ったらくだらない。
「……さっきからなんだよ。僕今勉強してるんだけど」
「あのさ……」
今度こそ無視しようかと思ったが、『三年間同部屋』という文字が脳裏に浮かんで僕を引き留めた。この狭い空間で喧嘩などしても、逆に面倒なことになるだけだ。そう思って、僕は苛立ちを消しカスたちとともにゴミ箱に捨てる。
「だって気になるんだもん。柚月って面倒見いいし、なんとなく兄貴っぽいなぁって」
ふぅん、と小さく相槌を打ってから、僕は答える。
でも、残念。
「……兄貴がひとり」
「えー! 柚月って弟なんだ!? なんか意外!」
三石はなぜか嬉しそうにこちらへ身を乗り出してくる。そんなに食いつくか? と思いながら「そう?」と返す。
「お前は?」
「俺? 俺はねぇ、姉ちゃんがいる!」
「あー……」
なんていうか、納得。
「……たしかに、お前は弟っぽいよな」
特に、わがままで勝手なところが。
どろどろに甘やかされて育ったんだろうな、と容易に想像がつく。
嫌味のつもりで言ったのだが、三石は、
「ははっ! よく言われる!」
と、やっぱり人懐こい犬のような笑みを浮かべる。
あまりに眩しい笑顔を向けられ、僕は動揺する。
どうやったら、こんなふうに笑えるんだろう。三石のそれは、僕とは正反対のものだった。
なんだか虚しくなって、僕は三石から目を逸らした。