闇から湧き出たような漆黒の髪に、落ちる寸前の夕陽のような赤褐色の瞳。左目だけ極端に長い前髪が特徴的な、ミステリアスな雰囲気の少年。
肌は陶器のようにきめ細かくて美しく、睫毛も長い。
男の僕から見ても思わず見惚れてしまう浮世離れした美貌が、クラス全員の注目を集めた。読者モデルをやっている女子生徒がいたが、彼女も彼の肌を見た途端に目を見開いて驚愕していた。
そして男女ともに羨望と嫉妬の目で見られる中、僕は一人震えていた。
彼の本性を知っているからこそ、その美しさすら甘い罠のような気がして――
「出身は京都ですけど、東京での暮らしの方が長いので、京都弁は使えません。堪忍な……なんてね」
そう彼が甘く囁くように言うと、教室内は黄色い悲鳴で溢れた。
「やだ、超美声」「イケメン転校生」「ちょっと大人っぽいよね」「あれ地肌だよね? 綺麗、羨ましい」
そう彼を褒める言葉が囁かれる中、誰かが机を蹴った音が響いた。
途端に雑音は消え、教室の真ん中にいる男子生徒に注目が集まる。
「おい、転校生だが何だか知らねえけど。誰の許可得て、自己紹介してんだ? 担任はどこだよ」
不良を絵に描いたような風貌の少年――
背が高く、図体も大きい。そのため、周りにいるクラスメイトが小さく見えるが、彼が規格外なのだ。
鋭い目で睨まれると、誰もが怯えて逃げ出す。陽キャを飛び越えた、不良グループのリーダー格であり、恐喝や暴行をしている場面を何度も見てきた。クラスでも彼の機嫌を損ねて、嫌がらせを受けている子が何人もいる。陰キャ代表のような僕だが、今の所、影の薄さが役に立ち、目を付けられる事はないが、いつ彼のターゲットになるか毎日怯えて過ごしている。
――やばい人に目を付けられてしまった。
誰もがそう思い、俯いた。
太田君の席の近くでは、彼の
――大丈夫かな?
そう思っておそるおそる彼を見上げると――菊知アヤメ君は臆するどころか、嬉しそうに微笑んだ。その笑みに、一部の女子は頬を紅く染めた。
だけど僕は知っている。あの笑みは全てを赦す慈愛の微笑みではない。あれは昨夜トンカラトンを切り刻み、銃で撃った時に見せたものと同じ――加虐の微笑みだ。
「なに、笑ってやが……!」
太田君は立ち上がるが、対する菊知君は彼を通り過ぎた。そして僕の目の前まで来ていた。
「……っ」
赤褐色の瞳を細くして微笑むと、僕に手を差し出した。
「やあ。また会ったね」
覚えてらっしゃる!
「えっと、なんの事でしょうか。僕は……」
逃れるように目を逸らした時、クラスメイトの視線が一斉に僕に注がれた。その目は驚きや戸惑いがあった。
気だるそうだった紅鳥居さんも驚いたように目を見開いて僕を見ていた。
当たり前か。僕みたいなモブキャラが、主役級のイケメン転校生に話しかけられているのだから。
「えー、昨日、助けてあげたじゃん」
「それは、その……」
「とりあえず、名前、教えてよ」
菊知君は僕の頬に手を添えて、耳元で囁き――
「がはっ」
低くも甘い声が鼓膜を揺らし、脳を痺れさせた。
「どうしたの? そんな疲れた顔して」
「うるちゃい! 甘い声で囁くな! ジャンル変わるだろ!」
囁くだけで相手に良くも悪くもダメージを与えるとは。
やはり油断してはならない男。
「何言っているのか、よく分からないけど……」
と、そこで菊知君は言葉を切ると、僕にしか聞こえない声で言った。
「……早くしろよ。名前聞いてんだろうが」
「はい!
思わず立ち上がって叫んでしまった。
「かすか、れい……どう書くの?」
「春日部の春日に、零はゼロであります!」
「なるほど。カスカ、レイね……ふーん、そういうこと」
「え?」
ほんの一瞬だが菊知君は意味深な笑みを浮かべたが気がしたのだが――
「ううん、なんでも。それじゃあ、レイちゃんって呼んでいいかな? いいよね? いいですって言えよ」
「はい! 光栄であります!」
「じゃあさ、レイちゃん」
雑談するように菊知君が言った時、人影が僕ら二人分を覆った。
「テメエ、シカトしてんじゃねえよ!」
太田君が菊知君の肩を掴もうと手を伸ばした。
誰もがその後の行動を予想し、不安そうに太田君と菊知君を見守るが――
「……っ!」
「えっと、君はなに君だっけか?」
太田君が伸ばした手を、菊知君は片手で軽々と掴んでいた。太田君の顔が苦痛に歪んでいる所から察するに、かなり強い力で握られているのが分かる。
「ねえ、レイちゃん。こいつ、誰?」
「へ!?」
突然話しかけられ、僕はつい間の抜けた声を上げてしまった。
「えっと、太田良佑君だけど……」
「ふーん……」
菊知君は興味なさそうに呟いた。
――いや、聞いたのは君だよね?
昨夜もそうだが、菊知君は自分に興味ないものには不愛想だ。
「ねえ、太田ちゃん」
太田君は掴まれた手を引き剥がそうとするが、びくともせず、段々と顔に焦りが浮かび始めていた。
「君、案外……可愛い所あるんだね」
菊知君は嫌味を含んだ笑顔で言った。
「は?」
「だって、さっき、俺が一人で教室に来て自己紹介したら、『せんせー何処だよ』って言っていたから。先生がいなくて不安がるなんて、母が恋しい幼子みたくて、可愛いなーって」
「……っ!」
太田君が顔を真っ赤にした直後、教室内で誰かが吹き出すように笑った。それが引き金となり、教室中の至る所からクスクスと忍び笑う声が響き渡った。微かな笑い声はどれも嘲笑うようで、自分に向けられたものでなくても居心地が悪く、僕にはとても耳障りなものだった。
傍にいる僕ですら不快に感じるくらいだ。当事者である太田君は今頃怒り狂っているに違いない。そう思って、おそるおそる太田君を盗み見ると――
「……っ」
恥ずかしそうに、けれども何かに耐えるように唇を噛み締めていた。弱い者いじめが趣味のような生き方をしている彼からは想像も出来ない程に弱々しく、僕の目には可哀そうに映った。
――正直、こいつは嫌いだ。嫌いだけど……この空気の方がもっと嫌いだ。
「あ、あの!」
無意識に、僕は叫んだ。
途端に太田君に向けられた嘲笑は止み、教室中の注目が僕に集まった。
影が薄く、誰にも気付かれずに生きてきた僕にとって、注目される事は嬉しい事だが――同時に怖くも感じた。
「菊知君。そろそろ放してあげた方が……それに、自己紹介の途中だったんじゃ……」
「……」
菊知君は無感動な目で僕を見た後、とても穏やかな顔で笑った。
――こ、怖い!
笑顔を向けられているのに、額に銃口を突き付けられている恐怖を感じる。
「そうだね」
と、菊知君は太田君から手を放した。よほど強い力で掴んでいたのか、太田君の指の隙間には菊知君の細い指の跡が赤く刻まれていた。
「あ、そうだ。太田ちゃん……心配しなくても、先生なら後からちゃんと来るよ。急な転校だったから、色々準備があるみたいで。席は空きがあるって言うから、先に来ちゃった。みんなとも早く会いたかったからね」
「チッ」
太田君は舌打ちして、自分の席に戻った。
――あれ? でも、
僕がおそるおそる振り返ろうとした時、突然菊知君が僕の顔を掴んだ。
「ひっ……き、菊知君、な、何か?」
「レイちゃんは、やっぱり面白いね」
「へ!?」
「
菊知君の赤褐色の瞳が僕を捉えた。
――何だろう。この目に見つめられると、身動きが取れなくなる。
「ふっ……それじゃあ、これからの事、よろしくね。レイちゃん」
薄く笑った後、菊知君は僕の席に座った。
「あの、菊知君。その席……」
「この席、いいね。寝ていても、先生にバレそうにないし……」
「あの、だから、その席……」
「ここ、今から俺の席って事でいいよね?」
「………………はい」