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〈ホラー系Vチューバー・カタリーナの部屋〉
『はーい、カタリーナの怪談語りの部屋にようこそ! カタリー
カタリー民:生きてるよ!
カタリー民:生きてなきゃ、ここにいないよ。
カタリー民:速報! 今一番やばい街『
カタリー民:見たみた! 三丁目の方で包帯男いたの!
カタリー民:はいはい、どうせ迷惑系のヤラセだろ。
カタリー民:いやマジだって。お前、あの街いったことないだろ。
『そうなんです! カタリーナも同じ事、言おうと思っていて。なんと、またあの街『
カタリー民:学校の先生かよ。
カタリー民:カタリーナ先生とか、ちょっとエロい。
カタリー民:カタリーナたんを変な目で見ないでください!
カタリー民:集団下校しなきゃね。
カタリー民:でもあの街ってネット界隈でも有名な都市伝説系都市だし。そんなやばい街なのに、何でみんな引っ越さないの?
カタリー民:都市伝説系都市ってなんだよ。
カタリー民:しょうがないんじゃない? だってあの街ってさ、一度入ると出られなくなるらしいし。
カタリー民:何それ? 現実的にありえなくない?
カタリー民:流石に嘘松。
カタリー民:いやマジらしいよ。だって、語り部さんがそう言っていたらしいし……
*
そこまで視聴した所で、僕はスマートフォンをポケットに戻す。そして音声のみを聴きながら歩き出した。
令和五年、六月六日。
今年は猛暑らしく、まだ梅雨入り前だというのに蒸し暑さが続く。
真夏なみの暑さが大気を侵食し、アスファルトが焼ける匂いが充満した。
昨日までの僕なら「暑い、暑い」と文句を言っていただろうが、今の僕には温度を気にする余裕はない。
昨夜、僕は怪異に襲われた。
それも都市伝説の中でもマイナーな「トンカラトン」という怪異に。
特徴としては「自転車を乗ったミイラ男。装備品は日本刀」くらいだ。その漫画のキャラクターのような風貌のせいでネット界隈ではネタにされる事も多いが、その怪異の性質は笑い話ではすまない。
トンカラトンに「トンカラトンと言え」と言われて、言わなかった場合、日本刀で斬られる。そして自身もトンカラトンになる。
誰かが作ったオリジナルの怪異とされる場合もあれば、とある地域に伝わる民話上の怪異とされる場合もあり、噂の種が分からない怪異。
そして逃れる方法は正確に「トンカラトン」と言うのみ――の筈だ。
――だけど、あの時……僕はトンカラトンと言わなかった。
歩きながらスマートフォンを取り出すと(歩きスマホは危険だから良い子は勿論、悪い子も真似しないでね)、巫女衣装の銀髪の女の子――Vチューバーのカタリーナが相槌を打ちながらユーザーのコメントに反応していた。コメントもだんだんと激化していき、時折驚いた顔になったり、照れ顔になったりしているが、ユーザー同士の議論を止める気はない。
「カタリーナでも新情報はなし、か」
カタリーナはホラー系Vチューバーとして人気の番組であり、都市伝説や学校の怪談などを紹介している。視聴者から投稿されてくる場合もあるが、カタリーナはしっかり調べてから配信しており、ホラー系配信者の中では信憑性が高い。あと単純に可愛い。
本当に最近の技術は凄い。本当に生きているのではと感じる程にリアルな動きをする。特に、身体を動かす時に一緒に弾む――
「違う! 僕はそういう奴らとは違うんだ、カタリーナ!」
つい大声で訂正するが、それに反応する声は当然ない。
周囲は僕に気にする素振りもなく、ここまで影が薄いと逆に泣けてくる。
――まあ影の薄さは今に始まった事じゃないし。今更、気にしても……
――全然、気にしていない。泣いていない。泣いてなんて……!
先程、横断歩道を渡っていた時に車に気付かれずに轢かれそうになったが、全然気にしていない。それなのにカラスには威嚇されたが、全然気にしていない。
今はそれより――
――いっそ実際にあった経験として、僕が送るか……
――そうしたら、カタリーナにお近づき……じゃない。調べてくれるかも知れないし。
しかし、そうするとあの夜にあった出来事を説明しないといけない。
あの――怪異により恐ろしいと感じた、少年の事を。
――あの子、結局何者だったんだろう?
――ゴーストをバスターする感じの人? それとも地球で悪さするエイリアンを送り返す黒服の組織の人?
いや、どちらとも違う。あの少年はそんな人間みたいな存在ではない。
今思い出しても、恐怖で身体が硬直する。それ程、あの少年の持つ空気は恐ろしく、そして不気味だった。
――でも、あの子がいなかったら今頃僕はトンカラトンになって、トンカラトンしていた。
あの少年にその気はなかったかも知れないが、助けられた事は事実だ。
――なのに僕はあの場から逃げ出す事ばかり考えて、ちゃんとお礼も言っていない。
ただ逃げるための「ありがとう」じゃなくて、ちゃんと「助けてくれて、ありがとう」と言うべきだったのに。
「……薄情だな、僕は」
もし次会う機会があったら、ちゃんとお礼を言おう。ちょっと怖いけど。
そんな事を考えている間に、教室についてしまった。
「
制服は黄色を基調としており、男子は薄黄色のネクタイ、女子は橙のリボン。
校則ではネクタイやリボンは必須であるが、それを守っている生徒はごく少数だ。そして僕はその少数派であり、ワイシャツも靴下も全て学校指定のものだ。ネクタイもしっかりと締めて――
「あわわわっ」
ちょうど教室へ入ろうとした時、後ろから誰かの肩がぶつかり、僕はその場で転倒した。どうにかスマホは死守出来たが。
おそるおそる顔を上げると、僕とぶつかったらしい男子生徒達は気にせず、自分の席へ向かった。「どうした?」「いや、誰かとぶつかった気がしたんだけど、気のせいだったみたいだ」「なんだ、そりゃあ」と言う追い打ち付きで。
――おのれ陽キャめ。僕の存在は眼中にすら入ってないってか!?
――いつか、呪ってやるからな!
そうは思いながらも、歩きスマホしていた僕も悪いから強くは言えない。
いや僕が全く悪くなくても、きっと何も言えないが。
「はぁ」
小さく溜め息を吐いた後、僕は立ち上がり、自分の席へ向かうが――
「いや、マジだって。昨日、なんか野太い悲鳴が聞こえて」
「野太い悲鳴ってなんだよ。風が強かったから、その音じゃないのか?」
僕の席を挟んで、陽キャもといクラスでも大人気のキラキラ男子達が談笑していた。
僕の席は一番後ろの窓側という最高の立地条件の場所だが、その前の席は何故かこのキラキラ男子――
そしてその彼の大親友という勝ち組ポジションにいる大柄な男子――
そのクラスでも大人気のキラキラ男子が二人、僕の席を挟んで会話している。
小金井君に至っては僕の机を椅子替わりにしている始末だ。
――視線とかで気付かないものなのか。
唯一の希望である星野君を見るが、彼も僕の存在には気付いていないようで、談笑を続けている。
怪異に襲われるなんて貴重な体験のせいで忘れがちだが、これが本来の僕の立ち位置だ。
主人公はおろか、事件の最初の被害者のモブにすらなれない――例えるなら絵をより生き生きと見せるために置かれた、背景に溶け込んだ小道具。或いは付け足された影のようなもの。
入学当初は影が薄いが、ここまであからさまな無視はされなかった。しかし二年生に進級して、しばらくしてから僕はみんなに無視されるようになった。しかし彼らの行動からは悪意を感じられない。本当に僕の存在に気づいていないみたいで、ただ素通りするだけだ。もし嫌がらせ目的の無視なら嘲笑や蔑んだ視線があるものだが。
――こういう行為で傷つく人もいるかも知れないけど……悪意がないって分かっているし。
――まあ、それに……僕の場合はしょうがないかな。
クラスメイトに認知されないレベルまで影の薄い僕が悪い――いや、ここまでくればもう個性の一つだと思って開き直ろう。
それに、全員に無視されているわけではない。
――あ、まただ。
刺すような視線を感じて振り返ると、透き通るような桃色の瞳の少女と目が合った。
――やっぱり、今日も僕を見てくれた。
蜂蜜色の髪をゆるく二つに結った、少し目つきが鋭い女の子。
制服は着崩しており、スカートは膝より上である。学校指定のリボンはなく、第三ボタンまで開いたブラウスの隙間からは金色のアクセサリーが見える。そして何故かいつも靴下ではなく足袋を履いている、ちょっと変わったファッションのクラスメイト。
足袋を除けば今時の女子高生なのだが――何故かいつも彼女は僕を睨むように見てくる。
何かしてくるわけでも、言ってくるわけでもない。時折目を細めながら、僕を見つめてくる。その目には僕が映っているようで、映っていない――何故かいつもそんな気がした。
――でも、紅鳥居さんだけなんだよな。僕の事、見てくれるのは。
他のクラスメイトは僕の存在などまるで無視で、ぶつかっても謝りもしない。
会話はないが、僕にとっては自分の存在を認知してくれる唯一の存在だ。それに――目つきは鋭いけど、顔は可愛い、と思う。
柔らかそうな髪に、すれ違う時にたまに漂う花の香りも。つい目を奪われ、無意識に目で追ってしまう時がある。
それに、少しだけ雰囲気が僕の心のアイドル、カタリーナに似ている気がする。
――こ、今度、話しかけてみようかな……なんて。
そんな事を考えて、紅鳥居さんを見つめ返した時。神がやめておけ、とでも言うようにチャイムが鳴った。
教室内にいた生徒は遅い動きで自分の席へ戻っていき、当然、僕の席を椅子として使っていた小金井君も去っていった。
いつの間にか紅鳥居さんも友達と談笑していて、その視界から僕は追い出されていた。
――うん、そんなものだ。泣いてない。泣いてなんていないぞ。これが僕の日常……
と、その時――大きな音を立てて教室の扉が開かれた。先生ではない事はすぐに分かった。
そして顔を上げた途端――女子生徒は顔を紅くし、男子生徒は驚愕し、僕は心の中で絶叫した。
「どうも。転校生の