「やっりい! 新しい得物ゲット! ずっと欲しかったんだよな、刀! でも日本だと本物携帯するわけにもいかないし……やっぱり今日の射手座は絶好調!」
少年は無邪気な笑顔で錆びた日本刀を手に喜んでいた。
対する僕とトンカラトンは疲弊して、何故か地面で正座していた。
――逃げたら、撃たれるのかな?
そう思った時。少年が僕の方に歩み寄ってきた。
「……っ」
赤褐色の瞳と目が合った瞬間、僕は身動きが取れなくなった。
先程までとは別の恐怖。
トンカラトンという都市伝説に遭遇した時の恐怖とは別の恐怖心が、僕の身体を縛った。
「おい、お前」
いつの間にか少年は僕の目の前まで来ていて、無感動な目が品定めするように僕を見下ろす。
「あ、あの!」
僕はその目から逃げるように立ち上がった。そして頭を下げた。
「た、助けて頂き、ありがとうございました! おかげで助かりました。あのままだったら、僕はトンカラトンに斬られて、トンカラトンにされる所でした。本当になんてお礼を言っていいトンか……」
そう言いながら、僕は一歩二歩と少年から距離を取る。
「トンカラトンにされるって……おっさん、そんな事していたのか? 最低だな!」
『いきなり銃ぶっ放したガキに言われたくねえよ! この人でなし!』
確かに。
「えー、丸腰のガキに斬りかかったおっさんに言われたくねえんだけど」
『うるちゃい! 自転車パンクさせて、あまつ刀まで恐喝しておいて! 何だ、その言い草! 親呼べ!』
涙目で叫ぶトンカラトンの方に同情してしまう僕はおかしいのだろうか。
――じゃなかった! また彼のペースに持っていかれる所だった。
「だ、だから、その……僕、誰にも言いませんから!」
「は?」
「だ、大丈夫……怪異相手なら、暴行罪も殺人罪も該当しないと思いますので! だから、君は人殺しでもやばい奴でもない!」
いや、やっぱりやばい奴ではあるかも知れないけど。
だけど彼がいなかったら、僕は助からなかった。それは事実だ。
「だから……ありがとうございました!」
「……おう?」
少年はよく分かっていない様子で頷いた。
「よし! それじゃあ、話はこれで終わり! じゃあ!」
そして――今度こそ間髪入れずに逃げ出した。
「あ、おい!」
少年が呼び止める声が聞こえた気がしたが、気のせいだ!
一度も振り返らず、目をぎゅっと閉じたまま見知った道を走り続けた。
恐怖で固まっていた身体はとっくに解れ、足は吸い寄せられるように前へ前へと進んだ。
――あぁ僕って、こんなに走れたんだ。
――酸素うめえ! 僕は今、風になっている! あぁ生きているって素晴らしい!!
そんな事を考えながら走り続け、そして――
転んだ。
*
「なんだ、アイツ? 変な奴。それに……くくっ……ありがとう、か」
少年は背中を揺らしながら笑った。
「そうか、そうか。怪異相手なら、殺人罪にはならない。確かにな」
少年は笑いながら、後方でパンクした自転車の車輪を転がしているトンカラトンを振り返る。
「なあ、おっさん……」
『……っ!』
いつの間にか立場は逆転していて、トンカラトンは恐怖に染まった瞳で少年を見上げた。
「おっさんも聞いていたよな? 怪異相手なら、おっさん相手なら、何をしても無罪なんだってさ」
『……おい、待て。お前、まさか……』
少年は着ていた上着を脱ぐ。その時、トンカラトンの瞳には少年が上着の中に仕込んでいた全ての道具が見えた。
拳銃、メス、スタンガン、ナイフ、ペンチ――。
中には工具もあったが、少年がどういう目的がそれを持ち歩いているか理解した時、トンカラトンは実に人間らしい反応をした。
『ふ、ふざけるなよ。自転車もダメにされて、刀も奪われて……もう十分だろ!』
「怪異にも色々ある」
トンカラトンの叫びを無視し、少年は言った。
「幽霊に銃は効かなかったけど、刀剣類での四肢切断は可能だった。それから、大入道の旦那にはスタンガンは効いたな。河童小僧は皮膚が脆くて、ナイフで剥いだら骨がすぐに見えた。それからそれから……くくっ……」
少年は笑いながらトンカラトンに近付く。その度、少年の足元では工具や凶器がぽとり、ぽとり、と落ちていく。
『なん、なんだ……』
「あ?」
『お前は、一体、何なんだ? 怪異(おれたち)に恨みでもあるのか?』
「恨み? 何で?」
少年は笑うのを止め、無表情になった。
「……おいおい、怪異がそんな人間じみた事、言っちゃダメだろ。そんな反応されたら……あれ? おかしいな。怪異相手なら何か違うかもって思ったけど、人間相手にしている時と大差ないや」
少年は自問自答するように言うと、「ま、いっか」と呟き、再度トンカラトンに視線を戻した。
「俺は生き物が好きだ。生きているって感じが好きだ。流れる生き血が好きだ。思考する脳が好きだ。軋む骨が好きだ。だから……」
そこまで言うと、少年はキョトンとした顔になった。そして困ったように笑った。
「あー特に何もなかったわ……でも人間も、怪異も、何かと理由を付けたがるからなぁ。何か理由を付けないと……あぁそうだ! あれにしよう! さっき、お前が言っていた奴!」
『……っ』
トンカラトンは地面に這いながら、自分に近付いてくる人間の少年から逃げるが――
『ひっ』
ザシュッと何かが切れる音と共に、自分の腕が目の前に放り投げられた。宙を舞って、地面に突き刺さる様まではっきりと映り――数秒遅れてから、確かめるように自分の左腕に手を伸ばすが、当然そこは空洞になっており、何もない。
「あーやっぱりこういう時でも血は出ないんだな。そうだよな。血は全身を巡り、心臓を動かす……生きている奴しか持ってないもんな」
すぐ傍に聞こえる声に反応してトンカラトンが振り返ると、中華包丁を振り上げて自分に笑いかける少年の姿があった。
少年はそれを振り落とす寸前、何かを思い出すように「あ」と声を漏らした。
「忘れる所だった。理由だっけか? あれ、やっぱり仇って事にしようと思うんだけど、いいよな? 誰それの仇って理由なら、きっとみんな納得してくれると思うし……誰がいいかな? 両親……はとっくに殺されてるし。友達? はいねえし……恋人? はちょっとドラマが足りないな。まあ、いいや……とりあえずお前、今から俺の大事な人の仇って事で……」
『……化け物がっ』
吐き出すようにトンカラトンが言うと、少年は愉しそうに声を出して笑った。
「光栄だよ……」
と、少年は笑みを深めると、中華包丁を横一文字に振るった。
ザシュッと鈍い音と共に白い物体が地面に転がった。
「へっへへっ」
少年は両手を見つめながら、さらに笑みを深めた。
「これが、首を落とす感触……なんだよ、これ……」
そこまで言うと、電気が消えるように笑うのをやめて無表情になる。
「つまんね」
「そういえば、アイツ……ここの制服着ていたけど、ここの生徒って事か?」
サッカーボールを操るように、包帯が巻かれた白い物体を膝の上で何度も弾ませながら、少年は空を見上げる。
「それなら……明日、会えるかな」
そして――月に向かって白い物体を蹴り飛ばした。