「なっ……!?」
「そんなサーレ外務官ッ!?」
彼の自白に驚愕が電流のように駆け巡り、特にレハスやマイダスと言った古参の者達は激しく狼狽えた。
何十年も偉大なる父の代から共に仕えていた誇りと信頼を持つ従者の裏切り。
お国の背景故に良くも悪くも関係性が根深くなっていたからこそ、仲間の謀反はどんな拷問よりも辛い痛烈な痛みを刻み込む。
「一体何のつもりだッ!? 貴様は忘れてしまったのか! この争いの絶えない世界の拠り所となる誰にも干渉されない楽園を作るというお父上の誇り高き理念をッ!」
「理念だ? そんな小国如きの理念なんか忘れるに限るんだよッ! 俺は知ったんだ、三年前のハリエス王国への外交にてより崇高な世界を光に導く教えを」
私から俺へと変わった一人称の変化が彼の本性を鮮明に表していた。
周囲を廃棄物としか思わず独り善がりの言葉を並べる彼は心酔の表情に満たされる。
「アレル様は素晴らしい、人類こそが神の恩恵を得られる唯一の誇り高き生物とし、この混迷の世界から救ってくださる。司教や女王サリア様の言葉は俺の胸に深く染み込んだ。これこそが俺の崇拝する物なのだとッ!」
(サリア……チッ、あの女王の影響か)
追放どころか処刑まで命じた女に好印象など抱いているはずもなく、間接的にだがまたも弊害となったサリアにソウジは苛立つ。
「貴様、まさかアレルの教えにッ!?」
「他民族? 逃れる為の楽園? 違う、楽園はアレル様のお恵みを与えてくださる人類が作りし世界でありこんな害獣混じりの国など理想郷でも何でもないィッ!」
レハスの言葉は届くことはなく、害獣混じりと決裂を意味する言葉を迷いなく発する。
アレル教に染まった彼の姿にかつての面影など微塵も存在しない。
「楽だったぜ? お前らみたいな盲目な仲良しごっこの集団を欺くのはよ、輸送ルートを抜き出すのも獣臭い財務官を騙して財団用の活動資金を集めるのも、金さえあれば幾らでも外の世界から人員を雇える。本当に簡単だった、本当にだッ!」
半ば罵倒、半ば真実。
この国に根付く脆さを嘲笑うサーレは悪怯れる様子なく自らの動向を明かす。
失うものがない彼には一種の無敵と言える雰囲気が纏わりついていた。
「貴様……そこまで堕ちたのかッ!?」
認めたくない、認められるはずがない。
だがどれだけ目を背けようと痛烈に襲いかかる真実にあらゆる感情が混ざり合う。
整理など付くはずがない思考のままレハスはサーレへと歩み寄ろうと迫った。
「来るな、穢らわしい獣が」
刹那、まだこの歪みを払拭出来るのではないかと淡い期待を抱いていたレハスの希望は放たれた炎と共に吹き飛ばされる。
「炎牙弾」
獰猛な獣の牙如く鋭利性を誇る炎の弾丸が亜人の肉体へと強襲を始めた。
不意打ちを極めた迷いのない攻撃にレハスは「グオッ!?」と野太い声を上げ、後方の壁へと巨体は叩きつけられる。
大半は起きた出来事を正しく認識できず硬直するしかなく、視線は弾かれたレハスの後に凶行に走ったサーレへと引き寄せられた。
「サリア様の助言通りだ、わさわざ自らも略奪に参加し、肉体を鍛えていて良かった」
負傷しているとは思えない機敏な動作。
インテリな雰囲気からは想像つかない無駄のない先鋭化された動きは財団としての活動の賜物と言うべきだろう。
未だに傷が残る左肩を守る形でサーレは即座に臨戦態勢を取る。
「最終手段はこうするって決まっていた、ならば更に盛大に貯水庫も何もかもこの国を壊してやるよォォォッ!」
狂乱に満たされる絶叫は開戦を告げる合図を意味していた。
彼の声色に呼応するように数十にも及ぶ漆黒の影が全員を取り囲む。
形相は醜悪を極めており、これから始まるであろう惨劇に何処か光悦を抱いていた。
「ッ! ザイファ財団ッ!?」
伊達に親衛隊の隊長ではないカリムは真っ先に襲来した存在を認知する。
至る所から恐怖からなる悲鳴が上がり、場は混沌の中の混沌に満たされていた。
「アレル様に見放されたクソガキ、貴様の考えは大正解だ。だがそんな功績など全く意味のないことだ、ここで仲良く全員地獄に堕ちるんだからなァァァァッ!」
「……ここで全てを終わらせる気か」
「お前のせいだぜ? お前が余計な事をしなければこうも痛みは伴わなかった。全員用無しだ、こいつさえ奪えればなァァァッ!」
サーレの凶行は止まらない。
リミッターが外れた彼は振り向きと同時に自らの君主であったはずのセインへと真っ直ぐに炎牙弾を放つ。
同時に疾駆すると彼女の胸元へと仕舞われているレベロスの鍵へと一気に接近を行う。
「イグニス・ドライヴ」
あと僅か、もうすぐ届くこの国の全てを左右する鍵へと手が届くが即座に相殺へと動いたフレイの焔がサーレを阻む。
勇ましい姿は正に戦乙女であり、ただならぬ状況に楽天家である彼女も今回ばかりは笑顔ながらも真剣に包まれていた。
「炎の女……また貴様か」
「いたいけなお姫様はやらせないよん? やるなら私とパーティしようかッ!」
「チッ、まぁいいさ……どんな道を進もうとお前らはもう詰んでんだよッ! そこの姫様と地獄に墜ちる運命でなッ!」
分が悪いと即座に判断したサーレはメンバーを盾にする形で闇へと消えゆく。
今にも追いかけて潰さねばならぬ相手だが半ば人質と化している浮足立つ王宮の者達がフレイをこの場へと留まらせた。
「実に……実〜に簡単な仕事だッ! この阿呆面な奴らを殺せば遊べる大金が貰える、ホントにボーナスな仕事だな」
「アッハハハハハッ! 見ろよこいつら、酷く怯てやがるぜ。こんなの殺しても殺しがいがまるでないな〜!」
「前回の奴らは失敗したって話だが……俺達はそんなヘマはしねぇッ!」
「最高の案件なんだ、アンタら個人に恨みはないが死んでもらう、恨むなら運命ってやつを恨むんだな」
ただでさえ錯乱気味の状況を更に煽るように高い報酬に釣られた者達は蹂躙を簡単な仕事だと称し、ジワジワと周囲から迫る。
傭兵の性か、大金だけでなく血や快楽に飢えている様子を見せる彼らは怯える表情を一つ一つシワまで凝視しながら堪能を行う。
「ど、どうすればいいんだよ……!?」
「そんな……サーレ外務官が」
今直ぐにでも臨戦態勢を取るべきだが王宮の者は未だに身内の裏切りというショックに苛まれていた。
本来ならば場を纏めなくてはならないマイダスやレハスと言ったベテランも予期せぬ衝撃に思考が停止している。
機能不全も過言ではなく、この国が持つ弱点と言える強すぎる協調性が全面に最悪の場面で最悪の形で押し出されてしまう。
青い晴天に包まれる空とは裏腹に豪雨という表現でも生易しい環境の中で命の灯火が今にも失われようとしていた。
「まだ終わっていないッ!」
瞬間、混迷を極める空間に轟く叫び。
可憐に咲く若年だと罵られ、父親と常に比較された一厘の花は力なくとも威圧的な雰囲気を身に纏わせた。
彼女の相手を跪かせるような声は思わず財団をも足を竦ませる。
「セイン……女王陛下……?」
天をも震わすほどに突如声を張り上げたセインは護衛を行うフレイの肩に手を置くと自ら身を前に出す。
細い肩が露わとなる装いは戦場にはあまりにも不釣り合いだが、それでも彼女の覚悟を体現したかのようであり、その堂々たる姿は正に女王と呼ぶに相応しいものだった。
「この結果は決して曲がることはなく真実として皆の心に刻まれるでしょう。しかし私達はまだ生きているッ! 生きていれば運命なぞ幾らでも覆せる……前を見なさい、私達が成すべきことは絶望ではない、希望の為に、この国の為に、民の為に、未来へと全てを繋ぎ、脅威を振り払うことですッ!」
姫君は良くも悪くも染まっていない。
この国の協調的な風潮にも、偉大なる父が率いた者達にも。
だからこそ土壇場の場面で最も動けるのは必要以上の絆の深さを危険視していた合理的な薄情さを持つ彼女だった。
「カリム及び親衛隊は財団の討伐と使用人や役人の退路を作りなさい! 他の者は万が一に備え住民の避難通路の確保を、責任は全て私が取ります」
若いと蔑まれた少女の瞳は父上にも似た長としての矜持を持ち合わせていた。
場の支配者となったセインは次々と明確な指示を促し、女王としての言葉は遂にソウジ達へも向けられる。
「ソウジ様、サーレを宜しくお願いします」
「言われずとも、フレイッ! 全力で皆と貯水庫を死守しろ、奴は俺が追う」
「オーケー、さぁて皆準備出来た? 終わったなら行こうか……レッツ、パーティーピーポォォォォォォォォォォォォッ!」
掛け声と共に全員が躍動を始め、瞬く間に場は混沌から戦場へと変化を果たす。
純白に染められた思考と化していた者達は姫君の言葉によって再び理性を取り戻し、行動へと移り始める。
「ハッ、何だよあの五月蝿いミルク臭い赤いガキはよ! 丁度いい、俺にやらせ」
「イグニス・ドライヴッ!」
「ぐぶぉッ!?」
ザイファ財団。
大半の者が浮浪する傭兵、実力は折り紙付きだが金で雇われた荒くれ者の集まり故に情報の共有などは十分に成されていない。
金を得てと戦いさえ出来ればいい、チームとしての協調性はマレンとは正反対に位置すると言っても良いだろう。
よってフレイの情報もまともに知らず、男は荒れ狂う炎の奔流に呑み込まれ、天井へと激突すると埃は激しく舞った。
「仲良し過ぎるのもアレだけどさ、知らな過ぎるのも罪ってやつだよね、何事も適度が一番ってことかなッ!」
「こ、この女……! 雷鋭槍ッ!」
「風乱刃ッ!」
青白い稲妻を纏う槍は広範囲に放たれた鉄をも切り裂く乱気流の刃と共に目の前の障壁を打ち崩そうと強襲をけしかける。
が、手慣れた傭兵だろうと彼女には生半可な攻撃としかならず力量差の歴然となった状況下では焼け石に水。
超火力と驚異的なフィジカル、小手先のない純粋な強みを持つフレイは身体を捻らながら巧みに躱すとゼロ距離から構えを取る。
「ヘリオスフィア・チェイサー」
瞬時に空間へと生成された焔の拳弾は合図と共に一斉に解き放たれ、肉体の全身を凹ませる程の乱打を浴びせる。
鈍い打撃音が盛大に鳴り響き、巨体はまるで風船のように軽々と宙を舞う。
「おい何だよ……こんな奴がいるなんて聞いてねぇんだよォォッ! 重加速ッ!」
堪らず腰部に備えられた漆喰色の剣を即座に抜くと自強化を意味する魔法と共に人間離れの高速移動からなる剣撃を切り込む。
肉眼で捉えるのもやっとな速度、男も仕留めたと口角を緩めるが無慈悲に刃先は素手で防がれると真っ二つにへし折られた。
「なっ……!?」
「遅いッ!」
ノールックでの受け止めは相手の心を切り裂くには十分であり、絶望する暇もなくフレイの華麗なる回し蹴りが顔面を凹ます。
次々と、だが確実に一人一人を葬り去る彼女の無双劇は圧巻の言葉を添えるに値し、感化される者も現れる。
「重加速ッ! 焔乱弾ッ!」
フレイの後方から息を潜め迫っていた財団の一人は次の瞬間、放たれた魔法に肉体は激しく灼き尽くされた。
奇襲には奇襲を、肉体を加速した上で認識される前にゼロ距離から業火の乱撃を親衛隊隊長のカリムは負けじと繰り出す。
「ワォ、やるじゃん隊長ちゃん?」
「伊達にこの役職やってませんから! 第二部隊までは俺と共にこいつらを食い止めろ、第三部隊は退路の確保ッ! フレイ様、サポート致します」
セインと同じく若年故に風潮に染まり切ってなかったカリムもこの混迷の中、冷静に動ける存在の一人であった。
女王の言葉をキッカケに大声を張らし、周囲を先導する彼の指示もあって乱戦ながら退路の確保が完成されていく。
「マスター! 黒幕は頼んだよ」
「あぁ、終わらせてやるさ」
信頼関係がある故の端的な言葉による交わし合い、二人独特の距離感からなるやり取りは背中越しでも確かに通じ、お互いの鼓舞にも成り得ていた。
乱戦を彼女達に託すと退路へと走る役人達と共にソウジは一途に疾走を始める。
裏切りと狂信から始まるこの国の存亡を賭けた戦いは灼熱の中、開幕を告げた。