「違う。俺じゃないし、犯人はすでに捕まっている。だから一ノ瀬は、俺と犯人の繋がりから栞の事件を結びつけたに過ぎない」
「それじゃ……」
「いや、あながち間違っていない。俺がヤツをそうなるように仕向けたから」
私は黙って尚史さんの言葉を待った。姉が「仕組まれていた」と言い、尚史さんは「仕向けた」理由を。
「ソイツは俺の一つ下の後輩で、湊の従兄弟だ。しかも院長の甥っ子で、湊からすれば、唯一自分の地位を脅かす存在だった」
だから、湊さんもこの件には一役買っているのだと言う。
さすがのお姉ちゃんも、これには驚かざるを得なかったのだろう。尚史さんを言及せずにただ黙っていた。
「年齢も近いし、人当たりや医者としての技術も五分五分。甥っ子といっても、院長が可愛がっている妹さんの息子だ。無理言って芳口病院に入って来たくらい、ヤツは次期院長の席を狙っていた」
「でもアンタは、湊さんのためにアイツを破滅させたわけじゃないでしょう。そうでなかったら、栞を巻き込むわけがないもの」
「……否定はしない。湊も大概だからな。いい人ぶっていても、やっていることはアイツと同じだ。だからアイツから一ノ瀬を奪って優越感に浸っていたんだろうさ。お前が栞の悪い噂を流しても、院長夫人のように嫌悪しなかったのがいい証拠だ」
尚史さんと姉の間で繰り広げられる、二人の男と一人の女の話。
詰まる所、芳口病院の次期院長の座を巡って、まず姉が巻き込まれたらしい。
院長の甥っ子さんより、湊さんの方が条件はいいから、すぐに乗り換えることくらい、妹の私でも理解できるけど……。
「元々、素行が悪かったが、湊との婚約話を聞いてさらに酷くなった。だから焚き付けてやった……一ノ瀬の妹を襲えってな」
「え?」
驚きと困惑が私の中で渦巻く。まだ知り合いでもなかった時期とはいえ、尚史さんが誰かに私を襲えって言ったことがショックだった。
咄嗟に尚史さんの腕から逃れようと押すが、ビクともしない。それどころか、さらに強く抱きしめられた。
私の体の震えを抑えたかったのだろう。けれど逆に姉の怒りに触れた。
「それで? 私だけじゃない、栞にも分かるように説明して。何で栞を巻き込んだのよ」
尚史さんは答えない。多分、私に聞かせたくないのだろう。だけど……。
「……私も知りたい」
「栞……」
「私にはそれを知る権利がある。犯人が捕まったことも含めて。そうだよね、尚史さん」
どうして警察から連絡がないのか。それはきっと、このことが私の耳に入ることを恐れた尚史さんの手によって阻まれたのだ。
姉の怒りに私も我に返ることができた。そして静かに、ゆっくりと問いかけた。勿論、怒りを滲ませながら。
「……そう、だな」
尚史さんは観念したように、体を少しだけ離してくれた。
「俺の焚き付けに乗ったくらいだ。アイツが一ノ瀬を恨んでいるのは分かるだろ。自滅させるためには、お前を狙うのが有効的だった」
そう言いながら尚史さんは姉を見る。
「だが、お前に何かあれば、湊が先手を打ってしまう。そしたら湊を追い込むことができない。だから栞を……一ノ瀬妹に何かあれば、姉のお前もダメージを受けて慰められるだろう? 恩も売れて、さらに離れられなくなる。湊にはそう言って納得させた」
「……それでどうやって湊さんを追い込むの?」
尚史さんの最終目的は湊さんから離れることだ。
向こうの良いように進めたら、ますます目的から遠ざかってしまうような気がした。使える、と判断した相手を手放すとは思えない。
「アイツは湊の従兄弟だ。院長は妹さんからアイツの面倒を任されているが、現場の担当は湊だ。立場も年齢も近いから、必然的にそうなる。だから問題があれば、すぐに湊へ非難がいく。さらに公の処理を院長が担当すると、自然と湊がこれまでしてきた所業が明るみに出て……」
「だから今、湊さんが大変なことになっているんじゃない!」
しかし尚史さんは冷静だった。
「それを俺に言う資格がお前にあるのか、一ノ瀬。お前はそんな湊を放って、ここに来ている以上、ないだろう? それも栞に会わせろと。いや、返せの間違いだったか? どちらにせよ、婚約者とは思えない行動だな」
「何を言っているの? まだ婚約者であって、家族ではないのよ。結婚していない、親族でもない人間がいたところでなんになるのよ。邪魔なだけでしょう?」
「尤もらしい理由だが、本音は違うだろう? 栞に戻って来てもらいたい理由はなんだ? 湊よりも条件のいいヤツを見つけるためか?」
つまり、尚史さんから見ても、湊さんはもう姉にとって魅力的な男性ではなくなったのだろう。
地位と名誉、お金。さらに自分をより良く見せてくれる相手を姉は求めているから。
「……そのためには、確かに私が必要だよね。お姉ちゃんは常に私をダシにいい子に見せたり、苦労人を装っていたりしていたから」
「苦労人は事実でしょう!」
「お姉ちゃんの学費を払ったのは私だよ! 私より苦労していないくせに、よくそんなことが言えるわね。その学費だって、返すって言っていたのにまだだし。今すぐ返してよ。そしたら戻ってあげるから」
「……無理よ」
ほらね。今すぐは無理でも、「あとでちゃんと返すから」も言えないのだ。つまり返済する意思など、元からないというわけである。
分かっていたけれど、態度で示されると、改めて悔しかった。これまでの人生、本当に姉に搾取されてきたのだと思い知らされたからだ。
私は口をギュッと堅く結んだ。
「それでもよく考えて、栞。足の怪我はその男がやったことも同然なのよ。間接的でも、主犯であることには変わりないのだから。そんな男と、これからもやっていくつもりなの?」
「っ! 栞、俺は……」
傍で苦痛な声を出す尚史さん。私は安心させるように微笑んだ。そして、真逆の顔を姉に向ける。
「論点をすり替えないで、お姉ちゃん。そもそも湊さんが尚史さんを利用しなければ、起こらなかったことでしょう? あとお姉ちゃんが湊さんに乗り換えなければ、とも言いきれるけど」
だからね、すべてを尚史さんに押しつけるのは、筋違いだよ。