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第12話 襲来

 結局、呼び方は尚史さん。タメ口、というところで納得してもらった。それだけでも大変だったのに……園子夫人が余計なことを言うから、お風呂を筆頭に大騒ぎになった。


「濡れたタオルで体を拭く? それだけで仕事に行く気なのか?」

「松葉杖をついているのだから、多少は目を瞑ってくれるわ!」

「目じゃなくて鼻の間違いだろう?」


 今は揚げ足を取るところじゃない!


 それに大規模災害に備えて、今はありとあらゆる防災グッズがある。水なしで髪を洗うことだって可能なのだ。

 しかも通販で購入すれば、尚史さんに買ってきてもらう必要もない。現代の社会文明バンザイである。


 というのは冗談で。足にビニール袋をかけて、一人でお風呂に入った。


 けれど必要な物は日に日に増していく。一応、一時退院の時に必要な物は尚史さんのマンションに運んでいたものの、姉と共用していた物も多かったのだ。

 それらを通販で頼み、尚史さんが帰りに宅配ボックスで回収。お陰で、本当に家から出なくても大丈夫になっていた。


 仕事復帰のためには、外出した方がいいのは分かっている。だけど、尚史さんからの許可が得られない。今も、尚史さんは私の担当医だったからだ。


「それ以外の理由もあるって分かっていても、これはちょっとやり過ぎのような気もするのよね」


 そう愚痴りながらも飽きもせず、今日も尚史さんの帰りを楽しみに待った。


 けれど楽しい日々が、長くはないことくらい、私も尚史も分かっていた。そう、危惧していたことがやって来たのだ。

 幸い、尚史さんがいた時だったからいいけれど、いなかったらどうなっていたことだろう。


 ピンポーン、とインターホンが鳴り、尚史さんがソファーから立ち上がる。


「栞はここにいろ。絶対にリビングから出るな」


 そう念入りに言う尚史さんは、まるで誰かが来ることを事前に知っている様子だった。

 苛立った声音に、私はすぐさま返事をすることができなかった。何か、良くないことが起こる前兆のような気がして。


 すると、私が反抗していると思ったのか、傍に置いていた松葉杖を取り上げるようにして、持っていってしまった。


「な、尚史さん!?」


 私が驚いている間に、バタンッと強く扉が閉められる。それだけで、物凄く拒絶していることが伝わってきた。しかしこれは、完全に逆効果である。


 なぜなら尚史さんがそこまでする相手は、あの二人しかいないからだ。私はとうとう、その時がやって来たのだと悟った。



 ***



「用が済んだら、さっさと帰ってくれ」


 玄関が開いて間もなく、尚史さんの苛立った声が聞こえてきた。やっぱり、と思った私は壁伝いに玄関へと向かう。

 尚史さんが家にいない間も、松葉杖を使わずに歩けるように、リハビリをした成果だった。


 ゆっくりと、私は気づかれないようにリビングの扉を開ける。


「それが届けに来た私にいう言葉?」

「はいはい。ご苦労さま。でもな、わざわざ持って来なくても、そのまま湊に頼んで病院のロッカーに置いてくれるだけで済む話だって分からないのか? 相変わらず回りくどいことをする女だな」

「なんですって! 妹の物を、姉である私が持って来ることのどこが回りくどいのよ!」


 物? 共同で使っていた物かな。

 でもここへ引っ越す時、もう戻ってこないつもりでいたから、今更持って来られても困る。


 だから二人の前に姿を見せた。


「栞!」


 すると、二人が同時に私の名前を呼ぶ。

 姉は特に、壁伝いに動く私の姿を見て、両手で口を塞いでいた。ここには尚史さんと私しかいないから、演技をする必要がないのに……もしかして、そんなに驚くような姿だったのかな。


 尚史さんは案の定というべきか、すぐに駆け寄って来てくれた。


「何で出てきた。この女から離れたかったと言っていたじゃないか。嫌な思いをしてまで出てくる必要はない」

「尚史さん、それは違うよ。何を持ってきたのか知らないけれど、こうしてお姉ちゃんがやって来た以上、言わなきゃダメなの。何で私が家を出たのか、察せられないのだから」


 こればかりは他人の言葉などは効かない。直接言って分かるのなら、そもそもここにも来るわけがないのだ。


 言わなければ、それは肯定と同じ。相手の行動を黙認することは、容認することと等しい。

 でもね、お姉ちゃん。私は散々言ってきたつもりだよ。


「いい加減、分かってよ。お姉ちゃんが大嫌いだってこと。これ以上、私の人生を目茶苦茶にしないで!」

「目茶苦茶ですって? それを言うならそこにいる岡先生よ。目を覚ましなさい、栞。アンタの事故は仕組まれていたの。そこにいる岡先生……いえ、岡尚史によって」

「えっ」


 思わず私の体を支えてくれている尚史さんを見上げた。しかし、こちらを向いてくれない。


「嘘、だよね」

「……悪かったと思っている」

「っ!」


 逃げなきゃ、と思っても右足が動かない以上、無理だった。さらに尚史さんの体を押したくても、手が震えて力が出ない。いや、体全体が震えていた。


 けれどこれは恐怖じゃない。ショックで堪らなかったのだ。


「尚史さんが犯人だったの?」


 私を轢き逃げした……。


「違う。俺は――……」

「栞が私の妹だったから。私が湊さんの婚約者だったから、やったんでしょう!」

「……お姉ちゃん」


 怒鳴る姉とは正反対に、私の口から出た声音は、自分でも驚くほど冷淡だった。


「うるさいよ。私は尚史さんに聞いているの。いつも私を利用するお姉ちゃんの言葉なんか、信用できない」

「それじゃ、栞は騙していた人を信用するの?」

「うん。少なくとも、お姉ちゃんよりは」


 最低じゃないよね、と尚史さんを見つめた。


「だから正直に答えて。尚史さんが犯人なの?」


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