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第11話 退院

 それから二週間後。私は無事に退院することとなった。


 けれど完治したわけではない。未だに足は包帯で固定された状態。これからは完治するまでの間、定期的に芳口病院に通う治療に変えただけだった。


 もう通院段階の患者が、いつまでもベッドを占領しているもの気が引けたのもある。岡先生との恋人関係が知れ渡ってからは、気が気ではなかったのだ。


 けれど園子夫人からは有り難いことに「栞さんを贔屓にしているのは私あって、尚史くんではないのよ。琴美さんへの義理でもないのだから、遠慮しないでちょうだい」と言われ、全ての責任は自分にあるのだと主張されてしまった。


 なんでも、岡先生がいうには、芳口病院に通う名目がなくなってしまうのがお寂しいのだとか。


 けれど私は岡先生の気持ちと計画を優先したかったため、退院することを選んだ。しかも通院は自宅からではなく、岡先生の家から。車椅子ではなく、松葉杖で、という怒涛の展開である。


 その驚きは当事者の私だけではなく、周囲も同じだった。


「まさか退院と同時に同棲なんてね。ビックリしたわ。でも琴美さんと二人だと、確かに色々と不便かもしれないわね。まぁその点、尚史くんとなら安心だわ」


 病院の出入り口で、私を見送りに来ていた園子夫人が、隣にいる岡先生に向かってニコリと微笑んだ。


「松葉杖で仕事へ行くのは大変だし、危ないものね」

「はい。だからそこは心配には及びません。車で送迎しますから」

「あとは日常生活も、しっかりサポートしてあげてね。お風呂とか一人で入るのも大変でしょうから」


 そ、園子夫人!?


 思わず松葉杖を落としそうになった。そのぐらつく体を岡先生が、逞しい腕で咄嗟に支えてくれる。


 岡先生は医者なのだから当然の行為ではあるのだけれど、恋人だと思うからだろうか。恥ずかしさの方が募った。


「院長夫人。人が悪いですよ」

「ふふふっ。尚史くんほどではなくてよ」


 姉が盛大に私と岡先生の噂を流してくれたものだから、今や芳口病院で私たちの関係を知らない者はいなかった。だから、こうして年配の方から揶揄われ……。


「母さん、少しは大人しく見送ってあげられないのか?」


 湊さんのような中堅どころには呆れられ……傍にいる若い看護師さんたちからは羨望の眼差しで見られるようになってしまった。

 ただ一人。姉を除いては……。


 そんなに睨んだって無駄だよ、お姉ちゃん。今や園子夫人のお気に入りと化している私に向かって悪い噂を立てたお姉ちゃんが悪いんだから。


 常に夫である芳口院長の影で、病院に携われなかった園子夫人。

 元々世話好きだったこともあり、私を助けてハイ終わり、と切り替えられる性格ではなかったのだ。

 ちょくちょく見舞いに来る、と初めてお会いした時に言われたが、その宣言通り、園子夫人は週三日のペースでやって来た。


 だから私たちの事情や姉の所業。湊さんとの逢瀬など、知ることができた、というわけである。また、看護師さんたちとも仲良くなれるキッカケにもなっていたらしい。


 しかし姉と結婚するのはあくまでも、湊さんである。だから姉は未だに湊さんの婚約者、という立場にいた。

 園子夫人が姉に対して難色を示しても、私と親戚になれるのならば、多少、目をつぶっているとかいないとか。

 目の前にいる園子夫人を見ていると、本当にそんな気がしてならなかった。


「だってこれからはもう、栞さんとなかなか会えないのよ。少しくらい、いいじゃない」

「大丈夫ですよ、院長夫人。栞を連れて来る時には連絡を入れますから」

「あら、さすがは尚史くんね。よく分かってくれていて、嬉しいわ。でも、そんなことをいうと遠慮なく甘えてしまうわよ」

「私も院長夫人とお話するのは好きなので、遠慮なさらないでください」


 なにせ湊さんが払うと言っていた私の入院代を、園子夫人が肩代わりしてくれたのだ。湊さんと姉の迷惑料ということも含めて。



 ***



 そうして私は、これから一緒に住むことになるマンションへ、岡先生と帰ってきた。


「お、お邪魔します」

「栞。ここは『ただいま』だろ?」


 手続きとリハビリも兼ねて、一時退院した際に訪れたことがあるだけに、岡先生は意味深に言う。


 いや、あながち間違いではない。だけどこれはこれで……ううん、少しだけ恥ずかしかった。けれど促されると嬉しくて堪らない。


「た、ただいま」

「お帰り」


 岡先生に言われて、改めて実感する。

 あぁ、今日から姉と離れてこの人と暮らすことになるのだと。


 そう思ったら顔がニヤけてしまった。しかしそれは岡先生も同じだったらしい。


「これで一先ずは安心だな」

「ひと、まず?」

「……一ノ瀬姉から離れて、これでお終い、なわけがないだろう。まだ何も解決していないのを忘れたか?」


 岡先生の言葉に、私は落胆の色を隠せなかった。


 分かっている。ただ姉から離れただけで、通院していれば嫌でも顔を合わせることになるのだ。

 岡先生もいるのに、別の病院に変更するのは、あまりにも不自然過ぎるし、何よりも園子夫人と約束してしまったから無理な話だった。


「しかも向こうは看護師だ。検査や診察だとか、適当なことで栞を呼び出すことだってあり得るだろう。それも本来の担当医である湊を使えば、さらに見分けがつかなくなる。ここにいれば、一ノ瀬姉は来られないが……」

「湊さんと一緒に来る可能性は……ありますもんね」

「栞は院長夫人のお気に入りだからな。名目はいくらでも作れる」


 園子夫人は良い事も悪い事も引き寄せてくるらしい。


「だから俺が留守の間は、インターホンが鳴っても、絶対に出るな。居留守を追及されたら、松葉杖を理由にすればいい」

「岡先生がいるから、ここでもリハビリをしているって言えばいいんですよね」


 早期退院ができたのは、それが理由だった。本当は私が病院にいると落ち着かない、という岡先生の事情だったけれど。


「……ここで先生はやめてくれ。もう病院にいるわけじゃない」

「あっ」


 もしかして、これも? 私を病院に置いておきたくなかった理由は。


「な、尚史なおふみ、さん?」

「う~ん。まだ硬いな。呼び捨てでも、タメ口でもいいぞ。さっきも言ったが、ここは病院じゃない。だから咎める人間もいないし、俺たちは恋人だろう? 思い切って尚でも史でも構わないぞ」

「っ! そ、そこはハードルが高いです!」

「なんで? 初対面の時からズケズケ言ってきたくせに。俺はそんなところに惚れたんだから遠慮するな」


 しょ、初対面で!?


「初耳です!」

「そうか? 考えてみればすぐに分かることだろう? 偽装恋人を持ちかけるにしても、誰だっていいわけじゃない。俺みたいな気難しい人間が相手ならな」

「……つまり、最初から私を?」

「気に入ったから誘った。条件が合ったのは言うまでもないが」


 だから遠慮がなかったのか。最初からスキンシップが多いな、とは思ったけれど。


 あ、あれは全部、そういうことだったのー!


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