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第8話 秘密の関係

 姉と湊さんが戻って来たのは、それから二時間後のことだった。

 初日、ということもあってすぐに戻って来たのだろう。私と岡先生の相性も考慮してくれたのかもしれない。けれど、これくらいの時間が妥当だと思った。さすがにこれ以上になると怪しまれるからだ。


「だから、あんまり遠くに行くなよ。あと、羽目も外すな。そのくらい守ってもらわないと、こっちも困る。できないっていうなら、もう引き受けないからな」

「分かった。気をつけるよ」

「でもまぁ、こっちも有意義な時間になったから、今回は勘弁しておくぜ」

「有意義?」


 湊さんの言葉に、岡先生が私に近づく。事前に打ち合わせをしていても、これはちょっとドキドキした。


「色々あって、付き合うことにした」

「え? 誰と誰が?」

「お姉ちゃん、敬語が取れているよ。勿論、私と岡先生」

「何でそんなことに? いえ、姉である私の許可もなく、そんなことになったのですか?」


 驚きを隠せないのは分かるけど……姉の言葉に私はカチンときた。けれど、最初に反撃の声を上げたのは私ではなかった。


「これでも担当医だから、栞の年齢は聞かなくても把握しているつもりだが……二十二歳にもなって、姉の許可が必要だったとはな。湊は知っていたか?」

「いや、それに僕のことも栞さんに言っていなかったほどだ。このくらいで怒ることはないだろう、琴美」

「っ! で、でも~」


 分かっている。姉の目論見なんて。岡先生が相手では、今後も私を利用し辛くなる、と思っているのだ。


「そう言うわけだから、今後もよろしく頼むな、一ノ瀬」


 おそらく、姉に言っている、とは思ったけれど……私にも言われているような気がした。



 ***



 翌日。岡先生の立ち会いのもと、私は警察に事情聴取を受けることになった。


 本当は担当医の湊さんがするべきなのだが、昨日、私と岡先生が恋人になったから、と身を引いたらしい。


 そんな取ってつけたような理由で仕事を擦りつけるなんて……岡先生も大変だな、と警察官越しに見ると、私を安心させるかのように微笑まれた。


「っ!」

「どうしましたか?」

「な、なんでもありません!」


 あ、あれは私が患者だから、入院している被害者だからで、他意はないはず! そ、そうよ、きっと。

 偽りでも、急に恋人関係になったものだから、私も慣れていないだけで……。


「あまり無理強いはさせないでください。昨日も色々と混乱していましたので」

「そうでしたか。また何か思い出しましたら、ご連絡ください」

「お疲れ様です」


 病室の入口まで警察を見送った岡先生が戻って来た。しかも、何故か深刻そうな顔で。


「一応、報告書では知っているつもりでいたが、まさかこれほど酷かったとはな」

「えっ、本気で心配してくれているんですか?」

「おい、これでも俺は医者だぞ。そして栞の担当医」

「そ、そう、でした」


 なんだろう。寂しいような、嬉しいような。よく分からない感情で、胸がいっぱいになった。


「気落ちするのは分かる。相手は車を使っているし、発見も遅い。防犯カメラやドライブレコーダーを屈指しても、捕まえられるかどうか、は運次第だからな」

「はい。こればかりはどうしようもないことは分かっています。だから大丈夫です。ありがとうございます」


 どうやら私を励ましてくれているらしい。けれど、それも医者だから? と邪推してしまう。今は二人きりだから、恋人の振りをする必要はないのだ。


「う~ん。やっぱり相手が警官だったからか?」

「何がですか?」

「素直すぎて気味が悪い。昨日みたいな軽口が言えないくらい、疲れているんじゃないか? いや、慣れない入院生活にも、か。一晩経ってみると、また違うからな」


 思わず、目を瞬きしてしまった。すると案の定、怪訝な顔を向けられる。


「何だよ」

「私のことをらしくないって言いますけど、岡先生の方がらしくないですよ。確かに医者で、私の担当医で……恋人(仮)ですけれど。そこまで気を遣われると、気味が悪いです」

「栞の言う通り、患者を気遣うのも医者の役割だ。だがな、普段から恋人の振りをしていた方が、いざという時に対処できることを知らないのか?」

「でも、二人きりの時までしなくても……」


 いい、と言いかけた途端、岡先生の腕が伸びてきて、咄嗟に目をつむった。


 今の私はベッドの上。しかも右足は包帯でぐるぐる巻きになっていて、自分ではほぼ動かせない状態。首のコルセットが邪魔をして、逸らすことさえもできないのだ。


 だから岡先生の機嫌を悪くしていいことはないのに、私は……。


「二人きりの時でないと信憑性が足りないだろう?」


 岡先生はそう言いながら、まるで覆いかぶさるような体勢で、私と向き合った。


「信憑性って誰に対してですか?」

「湊と一ノ瀬姉は勿論だが、二人のやっていることを表沙汰にするには、俺たちの関係を、全く関係のない外野に知らしめる必要がある」

「お姉ちゃんたち、いえ芳口先生は上手くそれを隠していたから、逆に私たちは大っぴらにする必要がある、というわけですか?」


 目には目を歯には歯を、ではないが、諸刃の剣のようにも思えてならなかった。けれど岡先生の言っていることも理解できる。


 岡先生の悪評が広まり、湊さんの尻拭いや肩代わりをしているのに、何故か非難がそっちばかりに向けられている、というのは解せなかったからだ。


 それはひとえに、普段から湊さんの評価が高いから、できた話だった。岡先生の自業自得とも捉えることができる。


 けれど、それすらも湊さんに操作されていたとしたら?

 私が姉に『手のかかる妹』『そそっかしい妹』というレッテルを、勝手に貼られていたのと同じように。


 ずっと傍にいなかったから忘れていたが、昨日の園子夫人の前で見せていた姉の姿で思い出した。

 あぁやって私を利用して、姉は自分を周りによく見せていたのだ。素の自分を上手く隠しながら、印象を操作していた。


「そうだ。隠蔽は湊の十八番おはこだからな。まさか一ノ瀬姉も、同じムジナだと思わなかったが」

「類は友を呼ぶだけではなかったってことですよ」

「だが、いいものも呼んでくれた」

「……それが私、ですか?」

「あぁ」


 岡先生の手が伸びて来て、私の髪を一房、掴んだ。愛おしそうに私を見つめ、髪にキスを落とす。


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