姉と湊さんが戻って来たのは、それから二時間後のことだった。
初日、ということもあってすぐに戻って来たのだろう。私と岡先生の相性も考慮してくれたのかもしれない。けれど、これくらいの時間が妥当だと思った。さすがにこれ以上になると怪しまれるからだ。
「だから、あんまり遠くに行くなよ。あと、羽目も外すな。そのくらい守ってもらわないと、こっちも困る。できないっていうなら、もう引き受けないからな」
「分かった。気をつけるよ」
「でもまぁ、こっちも有意義な時間になったから、今回は勘弁しておくぜ」
「有意義?」
湊さんの言葉に、岡先生が私に近づく。事前に打ち合わせをしていても、これはちょっとドキドキした。
「色々あって、付き合うことにした」
「え? 誰と誰が?」
「お姉ちゃん、敬語が取れているよ。勿論、私と岡先生」
「何でそんなことに? いえ、姉である私の許可もなく、そんなことになったのですか?」
驚きを隠せないのは分かるけど……姉の言葉に私はカチンときた。けれど、最初に反撃の声を上げたのは私ではなかった。
「これでも担当医だから、栞の年齢は聞かなくても把握しているつもりだが……二十二歳にもなって、姉の許可が必要だったとはな。湊は知っていたか?」
「いや、それに僕のことも栞さんに言っていなかったほどだ。このくらいで怒ることはないだろう、琴美」
「っ! で、でも~」
分かっている。姉の目論見なんて。岡先生が相手では、今後も私を利用し辛くなる、と思っているのだ。
「そう言うわけだから、今後もよろしく頼むな、一ノ瀬」
おそらく、姉に言っている、とは思ったけれど……私にも言われているような気がした。
***
翌日。岡先生の立ち会いのもと、私は警察に事情聴取を受けることになった。
本当は担当医の湊さんがするべきなのだが、昨日、私と岡先生が恋人になったから、と身を引いたらしい。
そんな取ってつけたような理由で仕事を擦りつけるなんて……岡先生も大変だな、と警察官越しに見ると、私を安心させるかのように微笑まれた。
「っ!」
「どうしましたか?」
「な、なんでもありません!」
あ、あれは私が患者だから、入院している被害者だからで、他意はないはず! そ、そうよ、きっと。
偽りでも、急に恋人関係になったものだから、私も慣れていないだけで……。
「あまり無理強いはさせないでください。昨日も色々と混乱していましたので」
「そうでしたか。また何か思い出しましたら、ご連絡ください」
「お疲れ様です」
病室の入口まで警察を見送った岡先生が戻って来た。しかも、何故か深刻そうな顔で。
「一応、報告書では知っているつもりでいたが、まさかこれほど酷かったとはな」
「えっ、本気で心配してくれているんですか?」
「おい、これでも俺は医者だぞ。そして栞の担当医」
「そ、そう、でした」
なんだろう。寂しいような、嬉しいような。よく分からない感情で、胸がいっぱいになった。
「気落ちするのは分かる。相手は車を使っているし、発見も遅い。防犯カメラやドライブレコーダーを屈指しても、捕まえられるかどうか、は運次第だからな」
「はい。こればかりはどうしようもないことは分かっています。だから大丈夫です。ありがとうございます」
どうやら私を励ましてくれているらしい。けれど、それも医者だから? と邪推してしまう。今は二人きりだから、恋人の振りをする必要はないのだ。
「う~ん。やっぱり相手が警官だったからか?」
「何がですか?」
「素直すぎて気味が悪い。昨日みたいな軽口が言えないくらい、疲れているんじゃないか? いや、慣れない入院生活にも、か。一晩経ってみると、また違うからな」
思わず、目を瞬きしてしまった。すると案の定、怪訝な顔を向けられる。
「何だよ」
「私のことをらしくないって言いますけど、岡先生の方がらしくないですよ。確かに医者で、私の担当医で……恋人(仮)ですけれど。そこまで気を遣われると、気味が悪いです」
「栞の言う通り、患者を気遣うのも医者の役割だ。だがな、普段から恋人の振りをしていた方が、いざという時に対処できることを知らないのか?」
「でも、二人きりの時までしなくても……」
いい、と言いかけた途端、岡先生の腕が伸びてきて、咄嗟に目を
今の私はベッドの上。しかも右足は包帯でぐるぐる巻きになっていて、自分ではほぼ動かせない状態。首のコルセットが邪魔をして、逸らすことさえもできないのだ。
だから岡先生の機嫌を悪くしていいことはないのに、私は……。
「二人きりの時でないと信憑性が足りないだろう?」
岡先生はそう言いながら、まるで覆いかぶさるような体勢で、私と向き合った。
「信憑性って誰に対してですか?」
「湊と一ノ瀬姉は勿論だが、二人のやっていることを表沙汰にするには、俺たちの関係を、全く関係のない外野に知らしめる必要がある」
「お姉ちゃんたち、いえ芳口先生は上手くそれを隠していたから、逆に私たちは大っぴらにする必要がある、というわけですか?」
目には目を歯には歯を、ではないが、諸刃の剣のようにも思えてならなかった。けれど岡先生の言っていることも理解できる。
岡先生の悪評が広まり、湊さんの尻拭いや肩代わりをしているのに、何故か非難がそっちばかりに向けられている、というのは解せなかったからだ。
それは
けれど、それすらも湊さんに操作されていたとしたら?
私が姉に『手のかかる妹』『そそっかしい妹』というレッテルを、勝手に貼られていたのと同じように。
ずっと傍にいなかったから忘れていたが、昨日の園子夫人の前で見せていた姉の姿で思い出した。
あぁやって私を利用して、姉は自分を周りによく見せていたのだ。素の自分を上手く隠しながら、印象を操作していた。
「そうだ。隠蔽は湊の
「類は友を呼ぶだけではなかったってことですよ」
「だが、いいものも呼んでくれた」
「……それが私、ですか?」
「あぁ」
岡先生の手が伸びて来て、私の髪を一房、掴んだ。愛おしそうに私を見つめ、髪にキスを落とす。