「それで、私を轢いた犯人は捕まったの?」
私の中では特に重要な話題ではなかったのだが、空気を変えるために尋ねた。いつまでも、姉と園子夫人がキャッキャしている姿を見たくなかったからだ。
全身が痛い上に、頭まで痛くなりそうな話題で盛り上がってほしくはない。するなら余所でやってよ。
しかし将来、親戚になるかもしれない園子夫人を前に、そんな言葉など言えるはずもなかった。
「ううん。それはまだ、と聞いているわ。だから栞が目を覚ましたら、事情聴取をしたいって言われたけれど、すぐには……さすがに無理よね?」
「ごめん。まだ状況が整理できなくて……」
「目が覚めたばかりだもの。仕方がないわ。警察の方にもそう言って、待ってもらうように伝えておくから、安心して」
「それでも、犯人に逃げられたら、栞さんたちも困ってしまうでしょう。だから明日には、と言われる可能性が高いと思うのよ。それでも栞さんは平気?」
園子夫人の言う通り、犯人の逃走から証拠隠滅……それらをさせないための初動捜査は大事なことだ。
私も、一刻も早く犯人を捕まえてもらって、慰謝料を請求しないと……。確か、入院代って高いと聞くから。あと手続きも大変だって。あぁ考えたらまた、頭が痛くなってきた。
「……一晩、頭の整理ができると思うので、だ、大丈夫です」
「そう、良かったわ。琴美さんも、なるべくフォローしてあげてね」
「はい。ありがとうございます」
一先ず私は、警察が来るまで考える猶予をもらえることに成功した。けれど、実際はそんなにのんびりとはしていられなかった。
***
理由は簡単だ。
一つ。現在の自分の状況である。
「いたたた」
動く度に、全身に走る痛み。
「我慢なさい。全身打撲に、左足の骨折しているのよ。当分は車椅子生活ってところね」
無常にも言い放たれたが、姉の言葉が全てを物語っていた。けれど愚痴りたくなるのは許してほしい。
私とて、好きで事故に遭ったわけではない。勿論、轢かれたことも含めて。
「そんなの困るよ。車椅子だなんて、どうやって仕事に行くの?」
「栞、あなた今、入院しているのよ。行けるわけがないでしょう?」
「そしたらお給料は? 入院代だってどれくらいになるのか……」
中卒の安月給で賄えるの?
すると姉は何がおかしいのか、クスクスと笑い出した。
「そこは心配しなくても大丈夫。私の彼が誰なのか、もう忘れたの?」
「覚えているよ。芳口院長夫妻の息子さんでしょう?」
「そして次期院長。私がお強請りすれば、どうにかしてくれるわ。運が良ければ全額チャラ」
自信満々に可愛くウィンクをするが、私は逆に不安になった。
「お姉ちゃん……まさかとは思うけど、それが目的で近づいたの?」
確かにウチは貧しい。人様に見せられないほどではないけれど、裕福な家から比べたら恥ずかしいレベルだった。
「そうだとしたら、栞は私を軽蔑する?」
「っ!」
「妹に高校を中退させてまで看護学校に通って、その間ずっと、妹の稼いだお金で生活していたのだから、まぁ無理もないけど」
「そ、そんなことは思っていないよ。ただ、秘密にされたのが……ショックだったの」
まぁ、本当に姉が玉の輿を狙いに湊さんに近づいたのなら、それはそれでまたショックだけど、軽蔑はしない。
だって、生きるためだもの。それを正当化したくない、と言えるほど、私は子どもでもないし、いい子でもなかった。
「うん。確かにショックかもね。僕だったら、酷いと言ったかもしれない」
突然、男性の声が遠くから聞こえてきて、私は横になっていた体を起こした。
姉もその声の主が誰だか分かるせいなのか、手を貸してくれる。そこはさすが看護師と言うべきか、一切もたつくことはなかった。
けれど男性に向き合った瞬間、女の顔に変化する。我が姉ながら器用だとしか言いようがない。声のトーンもどこか高くなり、嬉しそうに男性の名を呼んだ。
「湊さん! これはその、誤解なんですぅ」
姉の媚びた声が聞こえ、一気に気持ちが悪くなった。
世の中には裏表のある人間など五万といる。その中に姉がいるのだと思えばいいのだけれど……幼い時から共に過ごしていても、慣れることはなかった。
「両親が亡くなって、本来なら私が栞の、妹の面倒を見るべきだったんですが、小さい頃から看護師になりたいことを知っていた私のために、相談もなく一人で高校を中退して、ずっと私を支えて来てくれたんです」
いやいや、間違ってはいないけど、「手に職をつけるために、看護師になりたいの。だから栞。あんたを高校に通わせられるお金が無いの。分かるわよね」と言って中退するように促してきたのは、お姉ちゃんの方でしょうが!
忘れたとは言わせないわよ、と言いたかったが、姉に向き合う、爽やかなイケメンを見て、グッと堪えた。
なるほど、なるほど。これが網にかかった魚か。
「そんな苦労をかけた妹を驚かせたくて、ずっと黙っていました。あと、湊さんと無事に結婚できるかも不安でしたから……妹に、変な期待をさせるわけにはいきませんもの……」
確かに。上等な魚をゲットしたのに、逃げられました、なんてメンツが悪いものね。うんうん。その気持ち、よく分かるよ。特に妹の私に、そんな惨めな姿を見せたくないものね。
「だけど初めまして、が手術室というのは、さすがにね。僕も驚かされたよ」
「それは……ごめんなさい」
「いや、そこは……私が」
言うべきところだよ、と言おうとした瞬間、白衣を着た長身の爽やかイケメンこと、芳口湊さんが私の方に顔を向けた。