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第20話 マティアスとヴェルナー

 予定の七時を過ぎたからか、遠くから、何かラッパのようなものを吹く音やときの声が聞こえてきた。 

 見ると、ゼフリア、エィヴィス両軍の船が、続々とアラル川に漕ぎ出している。


 影の矢に貫かれて倒れたマティアスの傍にしゃがみ込んで様子を確認していたわたしは、ヴェルナーの方に振り返って首を横に振った。


首魁しゅかいのマティアスさんは亡くなりました。いくさをする必要はありません。撤退の合図をお願いします、ヴェルナーさん。……ヴェルナーさん?」


 だが、わたしの声が聞こえていないのか、ヴェルナーは目を輝かせて、拾った悪魔の書のページをパラパラとっている。


「フッフッフッフッ、アッハッハッハ! 見える! 見えるぞ! 先日見たときは確かに白紙にしか見えなかったのに、今はしっかりと中身が読める。マティアスは本当に死んだようだな。どれ。早速、魔法陣を作動させるとしようか」

「ヴェルナーさん!?」


 ヴェルナーが悪魔の書を構える。


「エグレーデレ ヴィルガン ヴィルトゥーティス(出でよ、力の杖)!」


 ヴェルナーの足元に暴風が渦巻くと、左手に持った悪魔の書からゆっくりと漆黒の短杖ワンドが出てきた。

 愉悦ゆえつの表情を浮かべながら、ヴェルナーは書から杖を抜き出した。

 途端に禍々まがまがしい気があふれ出す。

 呪いが発動したのだ。


「行き場を求めて、身体の中を大量の魔素マナが暴れ回っているぞ! はっは、これが悪魔の書の力か! 何て素晴らしいんだ! だがエリンよ、追跡者チェイサーよ。真なる悪魔の書を持つ貴様にはまだ遠く及ばぬ。なればこそ、我が悪魔の書に人造悪魔を降ろそう! さぁ魔法陣よ、発動せよ!!」

「やめなさい! そんなことをしちゃ駄目!!」


 だが、わたしの叫びもむなしく、中州に描かれていた巨大魔法陣が目も開けていられないほどの光を帯びていく。

 魔法陣を中心に暴風が吹き荒れ、両岸から漕ぎ出された戦舟もモロに影響を受け、川岸に戻される。


 わたしも風の影響を少しでも避けるべく、その場にしゃがみ込んだ。

 黒ゴスロリのドレスの裾が、風で激しくはためく。


「さぁ、発動せよ! ナティビタティス ムタティオ(生生流転せいせいるてん)!」


 巨大魔法陣から猛烈な上昇気流が生まれ、そこから飛び出した無数の光の粒子が上空に向かって飛んでいく。

 そして……。


 ヒュルルルルルルゥゥゥゥゥ……パァァァァアン!!

 ヒュルルルルッルルゥゥゥ……ドカァァァァァアンン!!


 遥か上空で花火が弾けた。 

 赤、青、白、緑。

 明け方の花火ゆえ、夜ほどの迫力はないが、それでも充分見ごたえがある。

 船に乗った両軍が呆気に取られて空を見上げた。

 悪魔の書を持ったヴェルナーも、呆然とした表情で空を見上げている。


「は!? な、何で!?」

「魔法陣を書き換えたからだよ、ヴェルナー。これで人造悪魔は生まれない」


 驚愕に目を見開くヴェルナーの目の前で、マティアスが服についた土を払いながら立ち上がった。


「マティアス!? なぜお前が生きているんだ! そんなはずはない! 悪魔の書が使えるってことは、間違いなく所有権が私に移ったということだ! お前が生きているにも関わらず私が所有権を得るなどありえない!!」


 激しく動揺するヴェルナーにマティアスが冷静に説明する。


「いや、今の所有者は君で間違いない。魔法学の研究もかなり進んだし、これ以上持っていて精神汚染を受けるのも嫌だから、僕は所有権を放棄したんだよ」

「なんて勿体ないことを……。ん? ちょっと待て。……つまり何か? 私がこの先も悪魔の書の所有者であり続ける為には、人造悪魔なしにエリン嬢を倒さなければいけないということか? いやいや待て待て、それはキッツいな。おいマティアス、私の勝ち目はどのくらいある?」


 ヴェルナーがマティアスに訪ねる。

 マティアスは少し悩んだ末に答えた。


「うんとオマケして……一対九ってとこかな? もちろん君が一だ。ま、頑張れ」

「それをボロ負けって言うんだよ! 嫌な役を押しつけやがって……。とはいえ、悪魔の書が戦え戦えと私の心をかすんだ。やらないわけにはいかないだろうさ。エリン君、頼む!」

「はいはい」


 わたしの左目が金色こんじきに光り輝く。

 それを見たヴェルナーが、目に恐怖の色を浮かべてその場に立ちすくんだ。

 その様子は、まるで蛇に睨まれたカエルだ。

 隣に立つマティアスが憐れみの目で親友を見る。


「悪魔王ヴァル=アールよ。血の盟約に従い、真の力を表せ!」

「ほいきた!」


 川辺で花火見物と洒落込しゃれこんでいた二足歩行の白猫がピョーンとジャンプすると、悪魔の書へと変化へんげし、わたしの手の中に落ちてきた。

 ヴェルナーの黒い書と対照的に、雪のように真っ白で美しい魔導書だ。

 これこそが悪魔の書の頂点、蒼天のグリモワール。


「エグレーデレ ヴィルガン ヴィルトゥーティス(出でよ、力の杖)!」


 掛け声を合図にわたしを中心に強烈な風が渦巻くと、左手に持っていた悪魔の書がパラパラっとめくれ、中からゆっくりと真っ白な短杖が出てきた。

 わたしは右手で本から杖を引き抜きながら、距離を取った。

 ヴェルナーが思う存分魔法を使えるようにしてあげる必要がある。


「準備オーケー。さ、死にたくなかったら全力でかかってらっしゃい!」


 二十メートルほど離れたところで、二人に向かって叫んだ。

 わたしの声で正気に戻ったか、その場で石のように固まっていたヴェルナーが、急にあわて出した。


「おいおいおいおい、なんかめちゃくちゃ強そうなんだけど! どどどど、どうするんだよ、マティアスぅ!!」

「死に水は取ってやるよ。頑張って行っといで」

「えぇい、散り際はいさぎよくだ! 闇よ、集い来たりて我が牙となれ! そのあぎとで我が敵を嚙み砕け! 影竜の舞!!」


 ヴェルナーの周囲の地面から飛び出した無数の影の矢が空に向かって飛ぶと、やがて一つに合わさり、巨大な竜の形を成した。

 ウォーミングアップとでもいうのか、影の竜は空を自由に駆け回った後、川面から一メートルの高さでストップする。

 両軍の兵士が慌てて船を川岸へと避難させ始める。


「うんうん、初めてにしては良くできているわ。じゃ、いらっしゃい」

「お褒めにあずかり恐縮至極。では……行け、影竜よ! 我が敵を噛み砕け!!」


 ヴェルナーの合図を受けた影竜が、川面にソニックブームを巻き起こしながら猛スピードで突っ込んでくる。

 わたしは迫りくる影竜を前に、白杖で淡々と魔法陣を描いた。


「悪魔王ヴァル=アールの名において、光の支配者アプラスに願いたてまつる。我が敵を余さず灼き尽くさんことを。最後の審判ラストジャッジメント!」


 はたして――。


 ズモモモモモモ……。


 空を割って異空間より出現したのは、三階建ての建物とどっこいどっこいの大きさをした巨大で真っ白な球体――血走った一個の眼球だった。

 わたしのすぐ隣で、薄っすら輝きながら浮かんでいる。


 あまりの光景に、川に展開中の両軍兵士があんぐりと口を開けている。


 カッ! ヒュン!!


 突如、巨大眼球が前方に向かってまばゆい光を放った。

 超特大の光線ビームだ。

 光線はヴェルナーの作り出した影竜をあっさりと蒸発させると、そのままの勢いで遥か彼方の山をかすめて空に消えた。


 ズガガガガァァァァァァァァァァァァアンン!!!!


 距離があったせいか、一瞬遅れてここまで音が聞こえてきた。

 見ると、この距離からでも分かるくらい山から真っ黒な煙がもうもうと立ち上がっている。

 そりゃそうだ。

 山肌をごっそり削るレベルの魔法をぶっ放したのだから。


「あっちゃー。ちょっとやり過ぎたかな……」

「どうするんだよ。山の形、変わっちゃってるじゃないか」


 アルがわたしに呆れ顔を向ける。


「聖なるデンタール山が……。ひどい。ひどすぎる……」


 ヴェルナーは呆然とつぶやくと、その場にバタリと倒れた。

 目の前で起こった超絶の魔法戦に度肝を抜かれた両軍がその場で引き返していく。

 力を使い果たしたヴェルナーもまた、マティアスに担がれ、城へと戻っていった。


 そして、マティアスからヴェルナーへと所有権が移った悪魔の書は、白猫アルの見守る中、ここアラル川の中州で無事灰になったのであった――。

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